管理人

 小さなリュックを背負った一人の少女が、小高い丘を登っていく。

 吐く息は白い。見上げた空には黒い雲が重く垂れこめており、あと数時間もすれば雪が降り出すだろう。

 吹き付けてくる風は冷たく、肌を刺すようだ。

「……っしゅんっ」

 先程からくしゃみが止まらない。このままでは風邪をひいてしまう。急がなければ。

 少女は丘の上にそびえる高い塔を見上げた。赤い三角の屋根の下に窓がひとつあるだけの、なんの飾り気もない塔。

 その塔を囲うようにして灰色の石壁があり、それはまるで、お姫様の住むお城を守る城壁のようだ。

 少女はやっとその城壁まで辿り着くと、ふうと息をつく。

 城壁には門があるが、固く閉ざされている。こちら側からは開けられそうにない。

 少女は門をこんこんとノックした。

「城主様、こんにちは」

 大きな声を出すわけではない。ごく近くにいる者に話しかけるような声量だ。

 再度ノックをし、少女は「私です」と続ける。

「アイです、城主様」

 内側でかんぬきの外される音がし、城門が開く。うっすらと開いたその隙間から、アイは猫のようにするりと中に入った。

 すぐに門が閉まる。そこには誰もおらず、城門は勝手に開いて閉じた。

 綺麗に整えられた芝生の真ん中に、高い塔がぽつんと建っていた。他にはなんにもない。

 お城があるわけでも、他の建物があるわけでもない。

 空にも届きそうな尖塔だけが、寂しそうに立っている。

 アイは塔に近付くと、氷のように冷たい石壁をぺちぺちと叩く。

「城主様、早く開けて」

 寒さに歯の根が合わない。力を抜くとかちかちと鳴ってしまう。

「城主様!」

 アイが我慢出来ずに、先程よりも強く石壁を叩くと、彼女が叩いていた壁のすぐ左側が、音もなくぽっかりと口を開けた。

 中は真っ暗で何も見えなかったが、アイは迷うことなく入っていく。

 開いた時と同じように音を立てることなく閉まる入口。辺りは完全な暗闇に包まれた。

 しばらく待ったが何も起きない。アイは呆れたように溜め息をつき、「城主様?」ともう何度目かわからない呼びかけをした。

 青白く床が光る。そのぼんやりとした灯りを頼りに周囲を確認し、石壁に沿って登っていく螺旋階段を見つけた。

 吐く息が自然と重くなる。やはりこれを上がらなければ駄目なのか。

 丘を歩いてきて足はかなり疲れている。塔の中は外よりも暖かいので、それだけが救いだ。

 階段は10段程しかない。半分進むと新しい階段が現れ、その分登り終わった段が消えた。

 現れては消える不思議な階段を、今日はどのくらい歩かされるのだろう。

 前回来た時は、塔の主がアイの存在を途中で忘れてすっかり眠り込んでしまい、新しい階段が現れなくなってしまった。

 しかも灯りまで消えてしまい、真っ暗闇の中で数時間放置されたのだ。さすがにあの時は気が狂うかと思った。

 今日はそんな酷いことになりませんように、と祈っていると、新しい階段の先に見慣れた扉が見えた。

 今回は随分と早い。いつもならあと数十段は登らされるのに。今日の塔の主は忙しいようだ。

 現れた木の扉は塔と同じくなんの飾り気もない、なんの変哲もない木の扉だ。

 アイは軽くノックをして、ドアノブに手をかけた。

 押し開けた扉の中、真っ先に目に飛び込んできたのは、大量の本だった。

 壁という壁全てに本棚が設置されており、その全ての棚に本が埋まっている。

 きちんと整理されて納まっているものを探す方が大変で、とれも斜めだったり横倒しになっている。

 本の隙間を埋めるように、ガラクタにしか見えない様々なものが置いてあった。

 空になったジャムの瓶、歪んで開かなくなった飴の缶、片方のレンズが割れている眼鏡などなど。

 捨てないのかと尋ねたことがあるのだが、曖昧あいまいにはぐらかされてしまった。

 ところで先程から、赤ん坊の泣き声が部屋中に響いている。

 部屋の奥、立派な暖炉の前に、一人の少年が立っていた。その腕には、号泣する赤ん坊が抱かれている。

 アイは部屋に足を踏み入れた。厚みのある絨毯の、ふっくらとした感触を足の裏に感じる。

「城主様」

「やぁ、アイ」

 少年はアイよりもずっと幼く見えた。瞳の色が角度によってくるくると変わった。

「その子、送るんですか?」

「うん。すぐ済ませるから、ちょっと待っててね」

 城主と呼ばれた少年は、赤ん坊を抱えたまま暖炉に近付く。

 火は消えており、白い灰があるばかり。その灰の上に、未だ泣き続ける赤ん坊をそっと横たえた。

 城主は大粒の涙を流す赤ん坊の頬を撫でて笑う。

「元気だね。……幸せになりな」

 立ち上がると、膝に着いた灰を払い落とす。

 暖炉の上に置いてあった布を広げ、片側を暖炉の開口部に引っ掛けた。反対側も同じように引っ掛ける。

 赤ん坊の姿は布の向こうに隠れてしまい見えないが、泣き声は変わらずに聞こえていた。

 城主は近くにあったテーブルに手を伸ばす。そこにはガラス製の、小さなベルが転がっていた。

「さて」

 ふるりとベルを揺らすが、赤ん坊の声に掻き消されて、繊細な音はほとんど聞こえない。

 数度揺らすが、やはり聞こえない。

 すると突然、ちりん、とベルの音が部屋に響いた。代わりに、赤ん坊の泣き声がぴたりと聞こえなくなる。

 泣き止んだわけでなない。急にぷっつりと、全く聞こえなくなった。

 城主は窺うようにもう一度ベルを鳴らす。しばらく間をあけて、応えるようにチリン、と別のベルの音がアイの耳に聞こえた。

 室内には城主とアイしかいない。誰がどこで鳴らしているのか、アイはいつも不思議だった。

 城主は鳴らしていたベルを暖炉の上に転がすと、布をさっさと外していく。

 赤ん坊の姿は無かった。寝かされていた場所の灰が少し凹んでいて、確かにそこにいたのだと分かる。

「……どこに、行ったの?」

 送る、と言ってはいたが、どこに送っているのか。

 不安そうに尋ねてくるアイに、城主はにこりと笑う。

「魔女のとこ」

「魔女?」

「うん」

 城主は無邪気に笑うと、布を適当に丸めてその辺りにぽいと放る。

 お気に入りの揺り椅子にぽんと座った。

「で、今日の要件は?」

「あ」

 アイは慌てて背負っていたリュックを下ろし、厳重に封をされた一通の手紙を取り出す。

「王様から」

 差し出された封書を城主は嫌そうに見つめるだけで、受け取ろうとしない。

「城主様」

 大きく息を吐き、汚いものでも触るかのように指で摘み、中身を見ることなく机の上に放り出した。

 ぱちんと指を鳴らすと封書の端に火がつき、あっという間に燃え尽きた。

「見なくてよかったんですか?」

「どうせ王都に来いっていう話でしょ。いつもと同じ」

 城主は膝を抱える。

「ボクは外に興味ないよ」

「……そうですか」

 それで、とちらりとアイに視線を向ける。

「君の目的は、読まれることも返事を貰えないことも分かってる手紙を届けに来ることだけ?」

 全てお見通しか。まぁ、隠すようなことでもない。

「見ててもいいですか?」

 アイが示したものを見て、城主は笑う。

「いいよ。君も物好きだね」

 この部屋の大半のスペースを占めているのは本棚ではない。

 部屋の中央に据えられた大きな箱庭が、この部屋におけるアイの目的のものだった。

 ぼんやりとこの箱庭を眺めるのが、最近の彼女のブームだ。

 城主の有り余る魔力を常に注がれているこの箱庭では、小さな太陽と月が巡り、たくさんの人々や生き物が実際に生活している。

 初めて見た時には理解が出来ず、本当に驚いた。

 今、箱庭の世界は夜。白く輝く満月が照らす様は、どこか神秘的で美しい。

「綺麗」

「……そう?」

 城主の声は気乗りしていない。

 無視して眺めていると、二つある山のうちの一方から、二羽の白い鳥が飛び立った。

 尾の長いその鳥は、金粉を振り撒きながら羽ばたき、気付けば箱庭の外に出てきていた。

「え」

 突然のことに慌てるアイ。城主は「あぁ」と椅子に預けていた体を起こした。

「終わったのか」

 二羽の鳥は蝶のようにひらひらと飛び、差し出された城主の手に舞い降りた。

「城主様、これは……?」

「うーん、なんて言えばいいのかな」

 鳥は体を丸く折り畳んで休み、そのまま真ん丸な一粒の真珠になってしまった。

 満月のように白く美しい小さな二つの真珠が、城主の手の平の上の転がる。

「この箱庭の世界を回す要素を持った人たちが、その役目を終えたんだよ」

 城主の説明はアイにはよく理解できなかった。

 こてんと首を傾げるアイに、城主はふわりと笑う。

「別にシステムが分からなくても、箱庭は楽しめるでしょ?」

「それはそうですけど……」

「じゃあいいじゃない」

 揺り椅子の隣にあったテーブルに、いつの間にか水の入ったコップが置かれていた。

 城主は真珠二つを口に含むと、水と一緒にごくりと飲み込んでしまう。

「城主様!?」

 慌てるアイに、城主は片手を上げて大丈夫だと伝える。

「もともとボクの魔力から生まれたものだよ。ボクの体に戻しただけだから、心配ない」

 彼と一緒に過ごしていると、理屈は理解出来ないし説明されても返って混乱することが多々ある。もうとりあえずそういうものだと思うしかない。

 これもそのたぐいのものなのだと、アイは自分を無理矢理に納得させる。

 そこらに転がっていた丸椅子を持ってきて、箱庭の近くに座った。

 覗き込んだ世界はやはり美しい。

「そういえば」

 城主の声が楽しそうに弾む。

「気付いた人がいるんだ」

「気付いた?」

「うん。ボクの存在に」

「……え!?」

 アイは驚いて、勢いよく城主を振り返る。椅子から腰が浮いていた。

 その様子が面白かったようで、城主はけらけらと笑った。

「まさか気付かれるなんて思わなかった」

「……それで、どうするんですか」

「うん?どうもしないよ」

 城主の瞳の色が薄い紫に変わる。藤の花の色だ。

「ボクの存在に気付いたからといって、何か出来る訳でも無いし」

「それは、そうですけど」

「あ、でもね」

 今度は真紅に変わった。禍々しい、まるで血の色。

「飽きてきたから、そろそろ新しく作り替えようかと思ってたんだ。でも、もう少しこのまま様子を見ることにした」

 それはここに生きる人々にとって僥倖ぎょうこうなのかどうか。

 城主は無邪気に笑う。

「君も頻繁に来てくれるし、その箱庭おもちゃも無駄にならなくてよかったよ」

 アイは煌々と輝く満月に照らされた、儚く脆い造られた世界を見つめる。

 どこか別の場所に送られた先程の赤ん坊も、この狭く限りある世界に生きる人々も。どうか一晩でも長く、心穏やかに眠れますようにと、偽りの月に祈った。

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箱庭ノ天 文月 @fumiduki15

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