第520話 籠の中のお姫様たち
「逃げられちゃったね〜」
「ちッ。まだ城の中にしか手を回していないというのに......」
鈴木がマルナに乗って城壁を超えた後、その場に残ったアギレスとハミーゲはそれぞれ違った反応を見せた。
アギレスはどこか楽しげに頭の後ろへ腕を組み、ハミーゲは舌打ちをして苛立ちをあらわにしていた。
ハミーゲはある魔法具を使って城の者を操っている。それは先日、怪しげな雰囲気を纏うメイドの格好をした人外の女、イシュターヌから授かった<傀儡の笛>だ。
ハミーゲは最初、それを使うことを躊躇っていた。しかし屋敷の者で試したところ、それが本物だと察する。ハミーゲは次に実の父に笛の音を聞かせ、言いなりにした。
今まで横暴な態度を繰り返しきた父に、ハミーゲは罵詈雑言と暴力を振って悦に浸っていたのだ。
そしてその快感を覚えてしまったハミーゲはズルムケ王城に向かった。
公爵家の跡取り息子として権力を振るい、城の兵を集めて<傀儡の笛>を鳴らす。それだけで城に居る騎士のほとんどは操り人形と化した。
その頃合いで、ハミーゲは城内の異常を察したアギレスと遭遇する。
アギレスはすぐにハミーゲを連行しようとしたが、城の兵たちがそれを阻止する。当初、すぐに城の兵たちが操られていると察したアギレスは、自身も傀儡にされてはいけないと思い、ハミーゲから距離を取った。
が、遅かった。ハミーゲが再び<傀儡の笛>を鳴らし、アギレスから正気を奪ったのだ。
そこからはとんとん拍子で物事が運んでいった。
城の中で最高戦力を誇るアギレスを傀儡にした後、ハミーゲは国王グランシバを傀儡にし、その後にヘヴァイス王子殿下を傀儡にした。
次々にこの国の重鎮たちを傀儡にし、傀儡にして、また傀儡にしていった。
そこでハミーゲはあることに気づいた。ハミーゲは懐から<傀儡の笛>を取り出し、それを見つめる。
「......そう長くは保ちませんか」
<傀儡の笛>に亀裂が入っていたのだ。それはイシュターヌが忠告していた通りだった。笛が壊れてしまえば、この魔法具の効果は消えてしまう。が、この笛を使う場面はもう多くない。
あとは傀儡にしていない奴らをどうにかするだけだ。
アテラとアウロディーテの生みの親、第一王妃ルウリは無視だ。第二王妃リアンザも。大した権力を持たないものは、既に傀儡と化した国王から大人しくするよう命じればいい。
問題はヘヴァイス以外の王家の血を継ぐ者たちだ。
「いや、アウロディーテ姫殿下は偽者だから特に考える必要はありませんね。アテラ姫殿下に<傀儡の笛>を使うかどうか......」
アテラ一人ならばどうとでもなる。将来の王となる子を孕ませれば用済みだ。アテラを従順にしてしまえば楽だが、<傀儡の笛>の使用は極力避けたい。
それに、
「ある程度抵抗してくれた方が唆りますからねぇ」
と、ハミーゲは下卑た笑みを浮かべるのであった。するとそんなハミーゲを他所に、アギレスが告げる。
「さて、ボクチンはこれからスズキを追うよ」
「今からですか? あの神獣......マルナガルムと言いましたっけ。今から追っても追いつくとは思えませんが」
アギレスは「わかってないな〜」と言わんばかりに人差し指をハミーゲの前で左右に振る。
「僕ら<
「なるほど......」
「ハミーゲ卿は?」
「私は......そうですねぇ」
ハミーゲは背後の巨城を見上げながら告げる。
「もう少し、城の中を掃除しようと思います。私が手引した私兵たちと共に」
*****
「こ、これは一体どういうことですの?!」
「落ち着け、アテラ!」
某所、部屋の中に居たアテラは、そこから見える戦闘の一旦を目の当たりにしていた。
ガイアンに指示して鈴木に地下牢から出てもらったところまでは把握している。が、なぜ城内で戦闘が勃発しているのだろうか。鈴木を捕らえようと城の兵が参集していたことはアテラにもわかった。
また数刻前、アテラは父である国王を問い詰めていた。
アテラは国王に鈴木は何ら罪を犯してないことを強く主張したが、それを国王が信じず、アテラを追い返す結果で終わってしまった。
明らかに常軌を逸している城内の状況に、アテラは不安が募る一方であった。
「ガイアンさん、すぐにこの城を離れますわよ――」
そう、アテラが言い欠けたときであった。
「この城から逃げられたら困るねぇ、お姫様」
「「っ?!」」
いつの間にかこの部屋の扉が開かれており、そこに背を預けている男が居た。
その男の様相は王国騎士の格好であった。ヘルムを外し、ろくに手入れのされていない髭を晒す男は、ただそこに立っているというだけでも隙が無かった。
が、アテラはその男をひと目見て理解する。故に問い質す。
「......城の騎士にあなたのような者はおりませんわ。何者ですの?」
「ひゅ〜。わかっちゃう?」
「ええ。あなたのような素行の悪い騎士は教育をし直しますもの」
すると、開かれた扉からぞろぞろと複数人の輩が現れた。全員、最初の男と同じく、王国騎士の鎧を身に纏い、何が面白いのか下卑た笑みを浮かべている。
その先頭、どうやら騎士の格好をした集団のリーダーと思しき先程の男が、仰々しくお辞儀する。
「はじめまして、アテラ姫殿下。私めはザルバロウと申します。業界じゃあそれなりに......って言っても、お姫様にはわからねぇか」
「......<殺人王>ザルバロウですわね」
<殺人王>ザルバロウ。先の件、暗殺者ギルドに所属していたジュマがトップクラスの実力者とするならば、またザルバロウも同じく有数の実力者であった。
男が過去に繰り返してきた殺人は依頼の数を優に超える。というのも、依頼に関わらず、現地に居た者たちを皆殺しにすることで有名だからだ。
故に人類史上、もっとも多く人を殺したであろう記録が残っているこの者にはある異名が付けられた。
それが<殺人王>である。
「お? 知ってんの? 嬉しいね。殺ししかしてこなかったから、有名になるなんて歯痒いぜ」
「なぜあなたがこのような場所に?」
「俺らはハミーゲの旦那に雇ってもらった元暗殺者ギルドの残党だよ。あのくそ<
「......。」
「ああ、安心しな。旦那から姫殿下には傷を付けるなと言われてっからさ。大人しく捕まってくれや」
そう言ってザルバロウが前に一歩踏み出した途端、男の半歩前で斬撃が走った。それは硬い石造りの床を荒々しく削り、轟音を撒き散らす一陣の風である。
その風を巻き起こした者はアテラの前に立った。
「ようやくメイドらしい仕事ができるようになったな!」
鬼牙種の少女、ガイアンである。
*****
「外が騒がしいですね、お姉様......」
「......。」
ズルムケ王城のとある一室、アウロディーテは部屋の窓から外の景色を眺めていた。開かれた窓からは外の喧騒が聞こえてきて、時折何かが爆発して破壊したような音が聞こえてくる。
このような夜更けに、この城で何があったというのだろうか。アウロディーテは不安が募る一方であったが、部屋から出て誰かに事情を聞く勇気も無い。
そう、アウロディーテが部屋を出る時はヤマト――もとい“お姉様”のために、お酒を取ってくるときだけなのだ。
悲しい第一王女である。
一方、ヤマトはアウロディーテのベッドの上でおっさんのように横になっており、おっさんのように腹を掻いて、おっさんのように酒のつまみを口にしている。
そんな居候ヤマトはやや興味なさげに言った。
「ふむ。この気配は......小僧が外で何者かと戦っておるな」
「な?!」
アウロディーテはその言葉を聞いて、ヤマトの方へ詰め寄った。
「お姉様! それはどういうことでしょうか?!」
「こ、これ、揺らすな。酒が......酒が溢れるッ」
ちなみにアウロディーテがヤマトを“お姉様”呼びする理由はこう。
人の寿命を遥かに超える時で培われたヤマトの叡智を尊敬し、世の男性を魅了してきたヤマトの美貌を尊敬し、また......城の者から教えられることが無かった“オトナ”の知識を有しているヤマトを尊敬しているからだ。
故にアウロディーテはわずか数日でヤマトに懐いてしまった。今ではべったりもいいところである。
ヤマトは身を起こし、アウロディーテを落ち着かせてから言う。
「落ち着け。たしかに戦闘の中心に小僧が居る気配はしたが、何も心配は要らん」
「で、ですがッ。スズキ様が危ない目に遭っているかもしれないのですよね?!」
「どちらかといえば小僧の相手をしている奴の方が危ないというか......」
その刹那、戦闘中の現場から、闇の<大魔将>が周囲一帯を沼のような魔力の闇で埋め尽くす気配をヤマトは感じ取り、少し前にも同じことを体験したことを思い出す。
その闇は明らかに城全域を覆っており、場合によっては次の瞬間にもこの城に居る者たちを殺めることができるほどであった。
(小僧め、そこまで追い詰められているというのか......いや、力が制御できないくらい怒っとるのか)
が、それも束の間、それらの闇は瞬く間に力を失っていき、気配が遠ざかっていくのをヤマトは感じた。同時に、ヤマトはその闇を弱めた者の顕現も感じ取る。
ヤマトが怪訝な顔つきをするものだから、アウロディーテは戸惑ってしまい、名を呼んでしまう。
「......。」
「お姉様?」
「......なんでもない。それよりもう酒はよいから。お主はこの部屋から一歩も出るなよ。出る時は吾輩に言え。よいな?」
「は、はぁ」
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