第511話 ひったくり犯、まさかの

 「マルナ、夕食の材料買いたいから、お店のある大通りの方に寄っていってくれない?」


 『わかったー』


 「あ、近くに着いたら、マルナは僕らを下ろして一人で先に帰っててね」


 『ええー! なんで!!』


 『この犬っころ、少し前、通行人を踏み潰しかけたことを忘れたんですかね』


 『こいつの脳みそ、梅干しサイズなんじゃね』


 妹者さんのあんまりな物言いに否定できないのが痛いところ。


 現在、ヤマトさんを残して城からアーレス邸の帰路に就いていた僕は、マルナガルムの上に乗っていた。


 行きと帰りに、王族御用達の馬車に乗って贅沢できないのは辛いけど、マルナガルムの背に乗るのもモフモフしていて座り心地が良い。


 が、この毛玉野郎、行き交う通行人が邪魔だったら、普通に蹴飛ばすんだ。悪怯れることなくね。


 おかげで過去に何度か怪我人を出した前科がある。何度アーレスさんとエマさんに怒られたことか。


 そんなマルナガルムが言い訳をする。


 『だって弱いくせに、王の前を過るんだもん』


 これだ。僕を言い訳に使わないでくれ。僕にとっては善意百パーセントだから強く言えない。


 「だってじゃないよ。また街の人を怪我させたらお尻ペンペンだからね」


 『あれ気持ち良いから好き!』


 『逆効果じゃないですか』


 『鈴木は後でケツバットな』


 なんで。


 僕は悪い子をちゃんと叱る大人になるんだ。決して美少女のお尻をスパンキングしたいからではない。ないったらないのだ。


 しばらくして、通行人が多くなったところで、僕はマルナガルムを先に帰らせることにした。


 本当は巨狼じゃなくて人の姿になった方が幾らかマシなんだけど、もう街の人もマルナガルムのことを“無邪気に暴れる馬車”くらいの認識でいるし、今更だよな。


 「何買ってく?」


 『その前に、私も人の姿になっていいですか?』


 「え゛」


 僕は思わず間の抜けた声を出した。


 姉者さんが小首を傾げて言う。首無いけど。


 『なんですか、その目は』


 「いやだって......」


 姉者さんを外に出すと、また僕の体内に核を戻す時が来て、そうなると姉者さんに口渡しで核を飲ましてくるんだよな。


 で、十数秒くらい、長い時はもっとキスを続行される。


 それが堪らなく辛い。


 姉者さんは見た目だけは絶世の美女だから、普段とのギャップで頭がおかしくなりそうな思いをする。


 そんな僕の葛藤を察してか、姉者さんが意地の悪い笑みを浮かべた。


 『おやおや。もしかして鈴木さんは私のことを意識しちゃってるんですか(笑)』


 「ち、ちがッ」


 『な?! だ、駄目だぞ! あたしの姉だぞ!!』


 『そうですよ〜。お姉ちゃんに欲情したら駄目ですよー。でも鈴木さんがどうしてもと言うなら――』


 と、彼女が言いかけたその時だ。


 ドンッ。僕は前を歩く人とぶつかってしまった。


 ぶつかった人は全身を覆う外套を纏っていて、誰だか判断がつかない。その人は僕とぶつかったことを気にせずに過ぎ去ろうとしていた。


 『余所見してっからだ、馬鹿が』


 『ほら、謝りなさい、鈴木さん』


 「......。」


 『『?』』


 そこで僕は呟く。


 「スられた」


 『『?』』


 僕の呟きに、魔族姉妹が揃って小首を傾げた。首無いけど。


 僕は二人に言った。


 「いや、スられたんだよ。僕の財布が」


 そして後方を見やれば、さっき僕とぶつかった人の姿はどこにも無かった。



*****



 「まさかスリに遭うなんて。人生初の体験でびっくりだよ」


 『いや、なに落ち着いてんだ』


 『ちょっとちょっと。スられたって本当ですか? 全然気づきませんでしたよ』


 さっきまで大通りに居た僕は近くの人気の無い路地裏に移動してきて、スられたことを魔族姉妹に説明していた。


 日本じゃあまり無い体験だったよ。華麗な手口だったな。


 「二人は両手に寄生してるし、スられても気づきにくいよね」


 『にしても気づく方がすげーわ』


 『最近の鈴木さん、無駄にスペックが高くなってきましたからね』


 “無駄に”ってなんだ、“無駄に”って。


 『とりあえず追うぞ』


 「え、今から追っても、あのには追いつかないよ?」


 『それでもうちの家計には大打撃です。わかってます? 今金欠なんですよ......って、今“女性”って言いました?』


 「うん」


 『な、なんでわかんだよ。外套纏っててわかんねー奴だったろ』


 「揉んだから」


 『『は?』』


 僕は再度口にした。


 「その人のおっぱいを揉んだからさ。ぶつかった拍子にね」


 『『......。』』


 二人は絶句していた。


 なに、僕の財布をスったんだから、おっぱいくらい揉まれても文句は言えないでしょ。


 ありがとうございます。二揉みできましたよ。三揉みできなかったのが今の僕の限界だね。精進しなければ。


 『童貞をこじらせるとここまで悪化するんですね......』


 「え」


 『これはある意味、あーしらの責任だな』


 「......。」


 その、事故に乗じて女性の胸を揉みしだいたことは悪いと思うよ。


 でもさ、まず自責の念に駆られる前に僕を叱ろうよ......。こいつには何を言っても無駄だな、みたいな目で僕を見ないで......。


 そんなこんなで、僕は【固有錬成:縮地失跡】と【固有錬成:賢愚精錬】を使い、盗人の下へ転移するのであった。



*****



 「はぁはぁ......なんなんだ、あいつ!」


 鈴木が魔族姉妹に呆れられている頃合。同じく人気の無い路地裏にやってきた、外套を纏った少女は息を荒らげていた。


 建物に背を預け、ズルズルとその場に座り込み、先程までの出来事を思い出す。


 この少女は盗人だ。少し前、大通りの行き交う通行人に紛れて、鈴木という見るからに無防備な一般人を狙って犯行に及んだ。


 盗んだのはやや使い古された革製の財布だ。


 財布の中身はあまり期待していないが、少女にとっては日銭を得ればそれだけでいい話であった。


 そしてその盗人の正体は――。


 「ぶつかった拍子にのむ、胸を揉んできたぞッ」


 ガイアンだ。


 以前、王国へ来る道中、鈴木と共に馬車に乗っていた鬼牙種の少女である。


 ガイアンは旅の途中で傭兵旅団<龍ノ黄昏ラグナロク>と逸れてしまい、右往左往して今に至るのだが、未だに仲間と再会できていなかった。


 故に貯金を使い果たしたガイアンは日銭を稼ぐべく、ある行動を取ろうとした。


 それは傭兵として活動することだ。


 が、<龍ノ黄昏ラグナロク>という世に広く知れ渡った傭兵集団ならともかく、そこに所属している一団員のガイアンは無名で、ろくに依頼を受けることができなかった。


 加えて大の人間嫌いという性格の持ち主である。どこかで雇ってもらおうにもコミュニケーションがままならなかった。


 そんなガイアンは先程ぶつかった少年のことを“鈴木”と認識していなかった。日々を生きるのに必死で、鈴木という人間を忘れていたのである。


 「あれは事故か? いやでも確かにぶつかった拍子に狙って胸を揉んできた気がするぞ......」


 鈴木の髪が真っ白になっていたことも気づかなかった原因の一つだが、それ以上に狙いやすかったという印象があった。


 ガイアンはもう過ぎたことは忘れようと思い、今しがた盗んだ財布の中身を確認する。


 「うわ、しけてる......」


 「しけてて悪いね」


 「?!」


 ガイアンは視界の外から声をかけられて、その場を一気に飛び下がった。


 気配すら感じなかった。まるで今まで影に潜んでいたかのように、突如現れた不気味な人物だと、鬼牙種の少女は思った。


 「ど、どうやってここまで......」


 そう問い質すガイアンは、額に一本の黒光りする角を生やし、臨戦態勢を取る。


 対し、この場に現れたのは白髪の少年――鈴木だ。


 「財布返してもらいたくて。やっぱ胸を揉んだだけで、全財産盗られるのは割に合わないかなと」


 などと、最低な発言をする変態であった。

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