第462話 <龍ノ黄昏>

 「それでは私はこれで。シスイ、教会のことは頼みましたよ」


 「......はい」


 ギワナ聖国、クーリトース大聖堂の裏口にて、聖女シスイにそう伝えたのは、アデルモウス枢機卿だ。


 否、アデルモウス枢機卿である。


 まだ日が昇って間もないときのこと、アデルモウスは門出の様相でシスイの前に立っていた。この場は普段人気が無い場所だが、アデルモウスは敢えてそこから大聖堂を後にすることを決めていたのである。


 アデルモウスは苦笑しつつ、下を向くシスイの頭を撫でた。シスイの艶のある橙色の髪がふわりと波打つ。


 「そんな顔をしないでください。しばらく会えないだけですよ」


 「で、でも!」


 「それにこれは償いでもあります。償い切れるとは思っていませんが、私はこれで良いと思っています」


 アデルモウスは教会の裏で<堕罪教典ホーリー・ギルト>を手引きしていた責任を問われ、地方の教会へ異動することになった。序列も枢機卿から司祭へと落ち、相応の職務を任されることになっている。


 全ての責任をアデルモウスが負うかたちで話は収まったが、アバロウ教皇の慈悲により、地方司祭としてやり直すことを命じられたのである。


 それでも、シスイは納得がいかなかった。


 「わ、私はまだアデルモウスさんから教わることが多く残っています!」


 「ふふ。そうですか? 私からしたら、随分立派に育ったように思えますが」


 そう、アデルモウスがまるで子の成長を感じながら言うと、別所から女の声が聞こえてきた。


 「そうよぉ、シスイちゃんはもう立派な使なんだから」


 レベッカである。


 アデルモウスは柔和な笑みを維持したまま、壁に背を預けているレベッカに告げる。その目が全く笑っていないのは、この場に居る誰が見ても明らかであった。


 「あの、私たちの会話に入ってこないでくれませんか」


 「別にいいじゃない」


 「あとシスイは“天使”ではなくて“聖女”です」


 「はい? どっからどう見ても地上に舞い降りた天使じゃない。目が腐っているのかしら?」


 アデルモウスの額に青筋が浮かぶ。シスイはあわあわと慌てふためいた。


 「あ、あの、喧嘩は――」


 「というか、あなたはいつまでシスイの側に居る気ですか。もう必要無いと思いますが」


 「なに言っているの。私はシスイちゃんの護衛も兼ねて側に居るのよ。傭兵としてこの子を護るの。一生」


 「雇ってませんし、依頼の域を越えているのですよ、いつも。それに護衛の面で言えば、今は大天使ガブリエール様がいらっしゃるので、あなたは必要ありません。消えてください」


 「消えるのはあなたの方よ、アデルモウス司祭様(笑)」


 「......。」


 アデルモウスは笑みを崩さなかったが、場は完全に剣呑な雰囲気が漂い始めている。シスイは二人の間に割って入った。


 「け、喧嘩はお止めください!」


 「うん、止める止める〜♡」


 「どうしましょう。ここを去るのが不安になってきました」


 それからアデルモウスは束の間の賑やかな時を過ごし、この場を後にして、南方のとある辺境の村へと向かった。


 海に面した西方とは違い、陸路で目的の村まで向かうのだが、道中は平和そのものだ。聖国を出ると視界を遮るようなものが無い景色が続く。


 馬車の荷台の上で、アデルモウスは離れていく聖国を見つめた。


 「またいつか会えることを祈っております、シスイ」


 アデルモウスがそう呟いていると、ふと視界に何かが映った。その何かがこちらに近づいてきているのだ。


 「あれは......」


 アデルモウスは目を細めた。


 こちらへ近づいてくるのは......一頭の馬だ。その背に誰かが乗っていることに気づく。


 「アデルモウスさーん!!」


 「え゛」


 シスイである。


 思わずアデルモウスの口から間の抜けた声が漏れた。


 なぜシスイが乗馬など.....と思うアデルモウスであったが、たしか時々、乗馬の練習をさせていた覚えがあったのだ。


 理由は簡単、一人でも国を置いて逃げられるように、である。親馬鹿、ここに極まれり。どんな窮地に陥っても、シスイが国や人々を置いて亡命するはずが無いのに。


 御者の中年男はアデルモウスに問う。


 「停めるかい?」


 「......申し訳ありません」


 アデルモウス、珍しくも我儘を口にする。


 馬車が停まった後、シスイも追いついて馬を停めた。馬から降りたシスイは、自身の前に立つアデルモウスへと向き直る。


 「シスイ、もう別れの挨拶は済ませましたよ。どうしたのですか」


 「こ、こちらを!」


 そう言って、シスイは大事に抱えていたバケットを布に包まれた箱を渡した。


 アデルモウスはそれを受け取って、シスイに問う。


 「こちらは?」


 「お弁当です!」


 それからシスイは語った。


 「わ、私、アデルモウスさんにお世話になってばかりで何も返せていませんが、せめてこれだけでもと......」


 「それはまた......。そう言えば、あなたは料理が得意でしたね」


 「はい! 本当は今朝のお別れの際にお渡ししたかったのですが、レベッカさんが全部食べてしまい.....」


 「......。」


 あの女はどこまでも私を虚仮にしてくれるな。そう思うアデルモウスであったが、最後にこうして二人きりにさせてくれた配慮に、僅かばかりの感謝の念を抱いてしまう。


 レベッカはこの場に居ないから、きっとそういうことなのだろう、とアデルモウスは思った。


 男は手短に告げる。


 「ありがとうございます。あなたはきっと......良いお嫁さんになれますよ」


 この先も聖女として生きていかなければならない宿命を背負った少女に対して、酷なことを言ってしまった自覚はあった。


 が、その言葉をそのまま受け取るのが、ギワナ聖国の聖女である。


 「そ、そんな。にはまだ料理を振る舞ったことがなくて......お口に合うか不安ですが、頑張ります」


 「......。」


 あの男には泥でも食わせとけ。そう、アデルモスが思っていた時だ。


 ヒュンッ。視界の端から何かが自身の方へ飛んできたことに気づき、片手でそれを掴み取る。


 矢だ。


 シスイがアデルモウスが手にしている矢を見て、目を見開いた。


 「?!」


 「なるほど、このタイミングで私を襲ってきたということは......やはり私の存在をよく思っていない者も少なからず居るようですね」


 「あ、アデルモウスさん!」


 一気に顔を青くしたシスイを他所に、アデルモウスは今しがた矢を飛んできた方向を見やる。


 次第に、馬に乗ってこちらへ駆け寄ってくる集団を見つけた。


 (あの距離で矢を?)


 アデルモウスは自身が手にしている矢をパキッと折って、御者にこの場を早く立ち去るよう指示をした。御者の男は命が惜しかったらしく、アデルモウスたちを置いて、早々にこの場を後にした。


 シスイもこちらへ向かってくる集団を目の当たりにして、震える声で言う。


 「あ、あの方たちは一体......」


 「......。」


 アデルモウスは黙考する。


 シスイをこの場に止めていいのか、自分の側から離れないよう言うべきか迷ったのだ。自分の命を狙う集団が、シスイの命まで狙っていないとは限らないからだ。


 危険な目に合わせる訳にはいかない、とアデルモウスが考えていると、その集団が二人の前で馬を止めた。


 現れたのは、計十三名の屈強な戦士を思わせる者たちだ。中には女も居たが、露出した箇所からは引き締まった体躯が見受けられる。男は皆、鎧のように筋骨隆々としており、眼光が鋭かった。


 そしてその集団は全員共通して、髪の色が灰色だった。


 ほとんどの者たちは使い古された武器を携えており、獰猛な笑みを浮かべている。


 そんな集団を前に、アデルモウスはあることに気づく。


 「はは......そこまでして私を消したいですか」


 眼前の集団は、傭兵稼業をしている者ならば誰もが知っている。その多くは関わり合いたくないと言われる程に、連中は有名だった。


 そんな集団を前に、アデルモウスがその名を口にする。


 「<龍ノ黄昏ラグナロク>.....全員、鬼牙種の傭兵旅団ですか」


 

 

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