第409話 どこか遠くに行くなんて、言うなよ
「ふむ、<セラエル写本>ですか。鉄鎖による攻撃ができませんね」
「だったら、潔く負けを認めて――」
「嫌です」
姉者さんが右手を前に差し伸ばして、その手のひらを僕に向けてきた。
次の瞬間、薄浅葱色の魔法陣が展開され、【凍結魔法:螺旋氷槍】が放たれる。
僕はそれを真横に跳んで避けた。
くそ、戦闘続行かよ。
そんな僕に対し、姉者さんはこちらを小馬鹿にするようなわざとらしい態度を取った。
「おや? <セラエル写本>で私の攻撃は無効化されるのでは?」
「......知ってるくせに」
「ふふ」
微笑を浮かべる美女がここまで腹立つとは。
そう、<セラエル写本>はどんな攻撃も防ぐ万能な壁じゃない。
一つだけなんだ。無効化できる攻撃の種類は。
例えば、鉄鎖による刺突は“物理攻撃”に属する。その“物理攻撃”を<セラエル写本>で無効化できるが、魔法による攻撃は無効化できない。
逆も然り。魔法だけ防ぐと、物理攻撃が防げなくなる。
そしてこのことは僕だけじゃない。少し前、魔族姉妹にも共有していた情報だ。
姉者さんはどっちの攻撃も長けているから迷ってしまう。
僕は妹者さんの意見を聞くことにした。
「妹者さん、鉄鎖による物理攻撃と魔法による攻撃、どっちを無効化した方がいい?」
『断然、鉄鎖だ。肉体を取り戻したとは言え、まだ本調子じゃねぇーと思うから、魔力もそうねぇーと思う』
「わかった。ちなみに姉者さんの昇華した【固有錬成】――【
『わからん。まだ使えないことを祈るしかねぇー』
「......本当、君の姉は厄介だね」
『終わったら尻でも叩いてやれ』
そう僕が言い終えると同時に、姉者さんが口元を押さえながら問う。まるで欠伸を押し殺すように、余裕の態度で。
「作戦会議は終わりましたか?」
「ああ! 姉者さんの尻を叩くことになった!」
「どんな作戦ですか......」
僕は一気に前進する。
姉者さんの鉄鎖によるオールレンジ攻撃はもはや怖くはない。
それに、いろんな魔法を器用に使いこなす姉者さんと距離を置くことは好ましくないし、僕が今発動している【固有錬成:闘争罪過】の力を活用した方が良いに決まっている。
そう思って、大きく踏み込んだ――その時だ。
「甘い」
「っ?!」
『跳べッ!!』
妹者さんの指示に反応が遅れた僕は、視界に一線、白銀色の斬撃を目にした。
それは音を置き去りした一撃で、回避も防御も許されないほど――鋭かった
僕は前方に転がるようにして倒れた。
「ぐッ!」
『ご主人の足がッ!!』
『『妹者! 妹者!!』』
『わーってる!!』
僕の両足は、踏み込んだと同時に、姉者さんの攻撃で斬り飛ばされたのだ。
妹者さんがすぐに【祝福調和】を使って治してくれたので、酷い痛みは一瞬だけだったが......くそ、マジか。
僕は少し離れた所に悠然と立っている姉者さんを睨む。
彼女は自身の身長を優に超える刃渡りの大鎌を手にして、それを下段に構えていた。
冷気を帯びた、見ているだけで背筋が凍りつく思いに駆られる大鎌だ。
僕は冷や汗をかきながら問う。
「......なにそれ、始めて見る魔法なんだけど」
「ええ。大鎌なんて使いこなせる技能、苗床さんには無いでしょう?」
うっぜ。
そんな胸中で悪態を吐く僕に対し、妹者さんが低い声音で言ってきた。
『【凍結魔法:三日月六花】......姉者は基本、でっけぇー武器を扱うのが得意だ』
「なるほど。そう言えば、【氷戦斧】も大型の武器だね。何か得意な理由でも?」
『格好良いから、らしい......』
うっぜ。理由、うっぜ。
「来ないなら、こちらから行きますよ」
「っ?!」
と、姉者さんは氷の大鎌を片手に、近接戦で挑んでくる。
僕は手にした【閃焼紅蓮】で、姉者さんによる攻撃を受けるが、如何せん大鎌を扱う敵なんてあまり経験が無いから、攻撃を捌くので手一杯だ。
『【螺旋火槍】!!』
「うお。危ないですね」
『知るか! アホ姉貴なんて焼かれてちまえ!』
「うおぉぉお!!」
なんとか妹者さんのサポートありきで渡り合えているけど、このままじゃジリ貧だ。
というか、
「がら空きですね。【凍結魔法:氷牙】」
「っ!!」
姉者さんが余裕を取り戻しつつある。
僕は【氷牙】を避けつつ、【閃焼紅蓮】のリーチを手放さないよう、必死に食らいついた。両者の武具による激しい攻防が再開する。
「こんなことする目的は何?!」
「言ったでしょう? 今の苗床さんの力量を見て、今後の方針を決めようかと――」
「なんだよ、今後の方針って! 僕らから離れて、どっかに行く気?!」
「っ?!」
僕の言葉に、姉者さんは目を見開いた。
......図星かよ。
しかしそれは束の間のことで、姉者さんは目を細めて僕を見据える。
「......ええ、そうですね。肉体を取り戻した後は、苗床さんと別行動を取るつもりでした」
「なんで?! 僕らはこの先も一緒じゃなかったの!!」
「それは............状況が変わる前の話です」
そう言って、姉者さんは一際素早い斬撃で、【閃焼紅蓮】で受け切る僕を後方へ吹き飛ばす。
体勢を立て直して姉者さんを睨むと、彼女は陰で表情が見えないまま静かに語り出した。
「これからの戦いは......きっと今までより過酷になります」
「今更、それがなんだってんだよ......」
「ならば、はっきりと言いましょう」
姉者さんが何かを言い切る前に、言い切ってしまう前に、僕は動き出した。
【固有錬成:力点昇華】を発動して踏み込み、彼女との間合いを一気に詰める。
今から彼女が何を言おうとしているのか、既に気づいてしまっているからこそ、僕はそれを聞きたくないと言わんばかりに、感情で動いてしまった。
それが――いけなかった。
「【
上段から振り下ろした僕の【閃焼紅蓮】は、姉者さんを斬ることは無く、上段に構えたままになっていた。
突如、僕の周囲に鉄鎖生成の陣が展開され、そこから放たれた漆黒色の鉄鎖が僕を縛り付けたのだ。
【闘争罪過】と【力点昇華】込みの膂力でも、身動き一つ取ることが許されない絶対の束縛――【
姉者さんの奥の手だ。やっぱ使えたのか......。
「これから戦おうとしている敵は、おそらく私たち<
なんだよ、もう女神様気取りかよ。
姉者さんは身動きが取れない僕を、まるで愛しいものにでも触れるように、優しく頬を撫でてきた。
切なげな瞳で、じっと僕を見つめてくる。
そして彼女は、子供に言い聞かせる母親のような声音で言う。
「こんな全盛期から程遠い私相手に苦戦しているようでは、あなたは足手纏い――」
「そこから先は言わせないぞ」
足手纏いなんて......絶対に言わせない。
僕は勝った気でいる姉者さんを鼻で笑った。
「はッ。まだ僕らは負けてない」
「何を言って――」
僕はその名を叫んだ。
「妹者さんッ!」
『姉者ぁぁぁあああ!!』
「っ?!」
上段で止まっていた【閃焼紅蓮】が振り降ろされる。
妹者さんが右腕の支配権を使って、剣を振り下ろしたのだ。
【
ならば、僕じゃない人の行動なら?
今まで動かなった右腕が、妹者さんの意思によって動き始め、姉者さんを叩き斬ろうと一線が走る。
そんな咄嗟の出来事に対応しようとしたのか、姉者さんは僕を縛り付けていた【
が、
「うおおぉぉおお!!」
「っ!!」
束縛から解き放たれたように、僕は一気に彼女との距離を縮めて、そのまま姉者さんを地面に押し倒す。
妹者さんが振り下ろした刃は――押し倒された姉者さんの首筋に当てられるだけで、彼女を傷つけていなかった。
「ハァハァ......僕らの............勝ちだ」
「これはまた......一本取られてしまいました」
姉者さんは仰向けのまま、僕をじっと見つめてくる。その瞳にはもう闘志が宿っておらず、負けを認めたようだった。
「斬らないのですか?」
「......やんないよ。すごく痛いんだからね、斬られるの」
「はは、何を今更。......【害転々】を使わなかったのも?」
「......。」
「本当に困った人ですね」
僕が黙り込んでいると、彼女は苦笑した。
僕が【閃焼紅蓮】を霧散させると、彼女は自身の上に乗る僕に手を差し伸ばしてきて、先程と同じように、頬に手を添えてきた。
「なぜ......あなたがそんな顔をするのですか?」
僕はいったいどんな顔をしているのだろう。そんな疑問は、月が照らす彼女の瞳を覗き込めば直ぐにわかることだ。
......たしかに酷い顔だ。
姉者さんはポツリと語り出す。
「私はあなたを......姉妹と同じように、大切な家族だと思い始めてしまいました」
彼女は続けた。
「最初はただの寄生先で、私たちが肉体を取り戻すまでの養分に過ぎない人だと思っていました」
「それは......酷いな」
「ふふ。なのに......なぜでしょうね。......情とは不思議なものです」
「......。」
そんな切なそうに言う姉者さんに対し、僕は思っていることをそのまま伝えることにした。
「一緒に......居ようよ。このまま僕らでやっていこう?」
「......。」
胸に渦巻く思いを言語化することがすごく難しくて、頭の中で整理がつかないまま口にしてしまう。
「たしかに僕は頼りないよ。すぐに死ぬし、毎回賭けで動いて危ないことばっかしてる。......でも、それは姉者さんたちが居るからだ」
こんなこと言ったら、尚更不甲斐無い男に見えてしまうだろうか。
だというのに、僕は情けなくも、次第にぽろぽろと涙を流して、彼女の整った顔に涙の雨を降らせてしまう。
「......あなたには妹者が居るじゃないですか」
「妹者さんも、姉者さんも、漏れなく居て“僕ら”なんだ。......どっかに行かないでよ」
もっと頼られるような言葉を言わないと、姉者さんに呆れられてしまう。それなのに、僕の口から漏れ出るのは、情けない
姉者さんは、はあ、と溜息を吐いてから呟いた。
「出来の悪い弟を持った気分です」
「え?」
よく聞き取れなかったが、彼女は僕の両頬に添えた手を引き寄せて、僕の顔を自身の方へと近づける。
そして僕の額に優しくキスをした。
それから彼女は僕の頭を放して、微笑みながら言う。
僕は一瞬だけ惚けてしまったが、次第に自身の顔が急激に熱くなっていくことを実感した。
「後悔しても知りませんからね」
「も、もち、もちろん!」
「なに顔を赤くしてるんですか。おでこにキスしたくらいで」
「赤くなってない!」
『ちょ、おま! 本当にチョロいな?! あーしの姉だぞ!! 変な目で見るなよ!!』
「ふふ。やはり魅了されるほど、今の私の姿は美しいのですね」
「うるさい!!」
斯くして、僕らは喧しい夜を共に過ごすのであった。
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