第388話 愛してごめんなさい、ありがとう

 「......やはり来ていただけないのでしょうか」


 『さぁ?』


 シスイは女神像の近くにあるベンチに腰をかけて、沈みゆく夕日を眺めていた。ここに来て、かなりの時間が経過している。


 目的はレベッカと話すため。だというのに、レベッカの姿は未だに見受けられない。


 やはりあの時、交わした約束は偽りのもので、自分を避けているのではないかと、シスイは不安に思い、胸を傷めるのであった。


 そう思った、その時だ。


 「......。」


 「っ?! れ、レベッカさん!!」


 この場に近づいてくる者の気配を感じ、シスイはそちらを振り向く。


 そこには辺りを橙色に染め上げる夕日が眩しいのか、サングラスをした仏頂面の女が立っていた。相も変わらず、ブロンドヘアーを涼しい風に靡かせている。


 そんな女――レベッカの顔や身体には所々傷があった。その殆どは手当されているが、見ていて痛々しいものである。


 先程まで怪我など無かったというのに、どういう訳か......シスイは慌てて駆け寄ろうとする。


 「ど、どうされたのですか?! その傷、もしかしてまだ組織の人間が......」


 「......違うわよ。スー君と喧嘩してきただけ」


 「え゛」


 女の信じられない言葉を聞いて、シスイは間の抜けた声を漏らした。


 しかしレベッカは悪態を吐く。


 「ったく。スー君なんか大嫌い。この国を発とうと私が言い出したら、容赦なく攻撃してくるんだから......」


 「え、えっと......な、ナエドコさんはどちらに?」


 「石にして、帝国に送りつけてやったわ」


 「......。」


 鈴木、またも帝国に送還の知らせ。


 シスイは以前にも同じことがあったようなと思いつつ、心の中で鈴木を憐れむ。


 レベッカは近くの三人ほど座れるベンチにドカッ腰を下ろした。足を組んで、堂々としている姿を晒す。


 シスイはその隣にちょこんと座る。


 前者が獅子ならば、後者は子兎のような雰囲気だ。


 「「......。」」


 しばし沈黙する二人。夕日を眺めているだけで、どちらから話すべきか、互いの様子を窺っているのが丸わかりだ。


 やがて、二人は声を揃えて口を開く。


 「ねぇ」


 「あ、あの!」


 「「あ」」


 「どうぞ」


 「は、はい」


 ややグダグダになったが、会話はしっかりと始まりそうだった。


 「その......今回の件、お世話になりました。レベッカさんたちには感謝してもし足りなくて......」


 「別に。依頼だったから護っただけよ」


 などと、そっぽを向いて、冷たい言葉を放つ女、レベッカ。


 シスイは彼女の機嫌を損ねてはならないと必死になった。


 「わ、悪かったわね」


 「え?」


 が、レベッカもこの機会を棒に振ってはならないと必死になる。


 「その、かなり酷い目に遭ったでしょう?」


 「わ、私なんか大した怪我もなく――」


 「それでも、敵に護衛対象を傷つけることを許してしまった。......申し訳ないと思っているわ」


 「レベッカさん......」


 シスイは歯噛みする。


 感謝の気持ちはあれど、レベッカを恨む気持ちなど毛頭無い。そしてそれは、今回の件とは別の所にもある。


 シスイはそのことを告げようと、手に汗を握りながら口を開いた――その時だ。


 「ご、ごめんなさい」


 途端、レベッカが震える声を押し殺すように、小さく言葉を紡ぐ。


 「い、今から言うことは、決して謝って済むような......事では無いわ」


 女の上擦った声。シスイは隣に座っている女の肩が小刻みに震えている様を目の当たりにした。


 やがてレベッカはそっぽを向くことを止め、隣のシスイの方へ向き直る。掛けていたサングラスを外し、シスイを見つめた。


 「あなたから両親を奪ったのは......両親を殺したのは、私よ」


 言葉の途中で言い換えたのは、遠回しな言い方をせずに過去の出来事をありのまま伝えるためだ。その意図をシスイは正しく理解していた。


 両親を失った少女は、奪った張本人を見つめた。


 一方、目の前の少女の両親を殺した女傭兵は、両親を殺された少女を見つめている。


 後者は何かに怯えるように、顔を青くしていたが、それでもこの場から逃げてはならないと、これは事実だと、示すように見つめた。


 「当時、私はとある依頼であなたの両親を殺した。私情は無いわ。後悔も無い。だから、あなたには私を恨む権利があるわ」


 「......。」


 沈黙がこの場を支配する。レベッカはシスイを見つめているのに、ただ顔を向けているというだけで、少女の目を見ていない感覚に陥った。


 こんな事実を告げられて、相手はどう思うだろう。やはり恨むだろうか。いや、恨んで当然だ。自分が過去にしてきた罪はそれほどまでに重いのだから。


 あの日、自分が依頼を受けずとも、シスイの両親は誰かの手によって殺されていたことだろう。しかしそんなことは言い訳に過ぎない。


 たとえ極悪人であろうと、あの両親はシスイを愛していた。


 死の間際まで、娘を愛し、護ろうとしていたのだ。


 当時の記憶が、レベッカの脳裏に過る。


 赤子の鳴き声が、自分の罪を訴えてくるように反芻していた。


 それでも、ただ事実だけを語るとレベッカは決めてこの場に来たのだ。


 レベッカのそんな思いを受けて、シスイが口を開く。


 「ならば、その上で申し上げます」


 少女はレベッカの顔に向けて、ゆっくりと両手を差し伸ばした。


 レベッカは目を瞑ることもせず、差し伸ばされた手が自身に触れることを許した。その手は汗で少し湿っていたが、どこまでも温もりを感じるそれであった。


 シスイはレベッカの頬に手を添えて、【回復魔法】を発動する。レベッカが鈴木と喧嘩した際にできた傷は、そんな少女の癒やしの手によって綺麗に治された。


 その行為に、レベッカは瞬きを忘れて、少女の瞳を覗き込んだ。


 そこでレベッカは初めて―――そう、少女と目を合わせたことに気づいた。


 シスイは微笑みかけて、言葉を紡ぐ。


 「今までずっと......私を守ってくださり、ありがとうございます」


 レベッカは目の前の少女が、瞳に涙を浮かばせていることに気づく。


 「少し前、アデルモウスさんから伺いました。......両親はどのような人だったか。なぜあなたが私の両親の命を奪ったのか。どうして私がこの国に......教会に預けられたのか」


 同時に、レベッカは自身の頬に伝って雫が流れ落ちるのを感じた。それが涙であることを、女はすぐに理解した。


 そしてレベッカは疑問を抱く。


 過去にアデルモウスに伝えたことは......シスイの両親を殺した、という事実だけだ。どういった両親だったかなど、伝えた覚えは一切無い。


 誰にも語ったことなどない、当時のシスイを生かした証拠など、どこにも残さなかったはずの証拠をどうやって......そんな疑問が、レベッカを不安にさせる。


 「どういうこと......」


 自然とレベッカの口から漏れ出た言葉に、シスイは苦笑しながら答えた。


 「アデルモウスさん、実はああ見えて、ご自身で見たものしか信じない方なのです。私の素性を必死にお調べになったようでして」


 「え?」


 「レベッカさんが私を教会に預けた当時のことを、アデルモウスさんは語ってくださいました」


 曰く、その女傭兵は赤子を大切に抱きかかえていた、と。


 曰く、その女傭兵は赤子に十分な世話を尽くしていた、と。


 曰く、その女傭兵は赤子を愛していた、と。


 紡がれる数々の言葉に、レベッカが嗚咽する。


 まるで過去の出来事を纏めた資料の内容を全て読み上げるかのように、シスイはアデルモウスの調査内容を語り続けた。


 「その女傭兵は......屋敷に居る者を全て殺し尽くすべきだったのに、赤子だけを連れ出した。各地を転々とし、時には赤子を護りながら戦い、時には寝る間も惜しんで世話をした」


 違う。こんなことを話したかったのではない。


 私はあなたから、あなたを愛する両親を奪った。


 なぜそんな事実を受けても尚、自身を優しく見つめるのか。


 そんな思いがレベッカの胸中に渦巻く。この張り裂けそうな思いはいつまで続くのか、レベッカは今にも逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。


 それでも、シスイの言葉は最後まで止まらなかった。


 最後の一文まで、事実を......女傭兵の思いを噛み締めるように――。


 「そして子は“シスイ”という名で、女傭兵は“レベッカ”という名である」


 そんな最後の一文は、当事者たちの名を確かめるように、幾度となく繰り返された“名前”だった。


 シスイはぽろぽろと自身の頬を伝って流れ落ちる涙を拭わずに、代わりにレベッカの涙を指先で拭った。


 「人を殺した罪は背負うべきです。でも、あなたが守ってきた命があることを忘れないでください」


 「ち、違うの......私は............私は......」


 レベッカは小さくしゃくり上げた。


 息をすることすらままならなくなった女は、続く言葉を口にすることができない。


 シスイはそんなレベッカに思いを告げた。


 「私は......多くの方々に愛されて生きてきました。たとえそれが私の【固有錬成】による影響だったとしても......」


 【固有錬成:慈愛久遠】。たとえ強制的に人から一身に愛を集めたとしても、シスイは決してそれを偽りの愛とは思わなかった。


 果たして、それは傲慢だろうか。


 傲慢と呼ぶには......些か早計ではなかろうか。


 なぜならばシスイは――。


 「これから私は受けた愛を、倍にして返します。多くの人に愛されたのですから、今度は......今度は、私が愛しても......いいじゃないですか」


 レベッカと同様に、シスイもしゃくり上げて声を震わせる。


 「だから」


 そして少女は、聖女は、シスイは......レベッカを真っ直ぐに見つめた。


 「だから......レベッカさんを愛する資格を......私にください」


 そんな思いに呼応するかのように、レベッカは言葉を紡ぐ。


 堪えきれなくなった壁が崩壊し、抑え込んでいた感情が溢れ出すようにして、レベッカは涙を流し続けた。


 レベッカはシスイを強く抱き締めて、ありのままの感情を吐露した。


 「愛して......もう逃げないから、私を......愛して......私も........私も......」


 「はい......は、い......」


 そんな二人の影は夕日が沈むまで、いつまでも、いつまでも重なり続けるのであった。

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