第379話 諦めないで

 『諦めちゃうの?』


 誰の声かわからない声が聞こえてきて、僕は頭を上げる。この場には居ないはずの誰かの声、その声の主を探して辺りを見渡した。


 「っ?!」


 そして絶句する。


 なにせ視界に広がる光景は――


 「ど、どこだ、ここ?!」


 ――どこまでも続く満天の星空と草原が広がっていたのだから。


 頭上の星空はきらきらと輝いていて、偶に流れ星のような動きも見受けられる。草原も先程まで僕が居た石造りの床のような硬さは無い。


 ど、どういうことだ。さっきまでクーリトース大聖堂の地下の広間に居たはずだぞ。


 幻覚? 夢? それとも既に死んじゃって、ここはあの世とか?


 「全部違うよ」


 「っ?!」


 すると、背後から先程よりも鮮明に女の人の声が聞こえてきたので、僕は驚いてしまった。


 声のする方へ振り返れば、そこには一人の女性が立っていた。


 全身真っ黒な衣装で身を包んでいる。決して派手では無いが、清楚さのあるスレンダーラインのドレス姿だ。起伏の富んだスタイルの持ち主で、身長は僕よりも少し高い。


 声を聞いただけでも美人なんだろうなって印象があるが、その人の顔は黒のベールに包まれていてわからない。


 僕は思わず声を荒らげてしまった。


 「だ、誰だ!」


 「ギュロス」


 女性が短く答える。


 ぎゅろ? え? ギュロス?!


 僕は慌てて自身の左手の人差し指にはめられている金色の指輪を見た。


 この指輪は【夢想武具リー・アーマー】――<ギュロスの指輪>だ。


 「ゆ、指輪の人?」


 「うん」


 「そ、“有魂ソール”だったのか......」


 「うん」


 「え、えっと、はじめまして。鈴木と申します」


 「はじめまして。私のことは好きに呼んで」


 「ギュっちゃん」


 「それは嫌」


 嫌だったのか。適当でごめんなさい。


 って、美女と戯れている場合じゃない!!


 「それよりここはどこ?!」


 「私が創り出した異空間」


 「い、異空間?」


 「うん。現実世界から切り離された別の空間」


 「は、はぁ」


 「反応薄いね」


 「い、いや、まぁ、びっくりしましたけど、僕は漫画とかラノベを読み込んでましたから。大体のことは『ああいうパターンね』で済みますし......」


 「“まんが”? “らのべ”?」


 「こっちの話です。ここはあれでしょう? 精神世界的な」


 「大体合ってる」


 ほらね。やっぱ人生には必要なんだよ。


 ギュロスさんは僕の腹部を指差して言った。


 「ここは異空間だから、君が負った傷は無いよ。現実世界と時間の流れも違う」


 「お? お、おお! 本当だ!」


 僕は自身のお腹をぺたぺたと触って、<鯨狩り>によって負った怪我が無いことを確認した。


 あれ、てか......。


 「魔族姉妹が居ない?!」


 僕は両手を見て、普段うるさい存在の二人が居ないことに気づく。


 ギュロスさんは僕の疑問に答える。


 「ここは私が創った空間。そこに君だけを招いた」


 「ということは、ここなら僕は二人に邪魔されずにエッチなことができるってことか!!」


 「そうだけど、そんなことのために君を招いたんじゃない」


 あ、はい。すみません。


 ギュロスさんは僕に問う。


 「諦めちゃうの?」


 その言葉は、最初に彼女の声を聞いた時の言葉だ。


 なんとなくその言葉の真意は察することができるけど、僕は確認した。


 「諦めるって......あの場から僕だけが逃げ出すこと?」


 「うん」


 「......仕方ないじゃないか。僕の命は僕だけじゃない。魔族姉妹の死にも繋がっているんだから」


 「それが諦める理由?」


 「......うん」


 僕はそう短く返事をして俯いた。


 敵わなかったな......。なんだよ、あのバフォメルトとかいう化け物。魔法を封じた上で、物理攻撃無効の【夢想武具リー・アーマー】を使うとか。チートかよ。


 「でも君なら勝てるよ」


 「......。」


 さっきも思ったけど、この人、もしかして僕の心を読んでない?


 「うん」


 返事しちゃってるよ......。人の心を読めるのは、ここが彼女が創り出した異空間だからかな。


 おっぱい揉ませてください。


 「嫌」


 断られてしまった。どうやら本当に人の心を読めるらしい。


 「あの、僕なら勝てる......というのは?」


 「そのままの意味」


 「バフォメルトに、ですか?」


 「うん」


 な、何を根拠に言ってるんだ。指輪の中から見てたなら、僕じゃバフォメルトに敵わないことくらいわかるだろうに。


 それに、


 「現実世界の僕は、シスイさんの【固有錬成】によって死にかけてますし......」


 「傷は応急処置をすればいい」


 「いや、妹者さんの【祝福調和】も僕の【害転々】も使えない状況なんですよ。傷を治せませんって」


 「治すのではなく、傷口を塞ぐだけの応急処置をすればいい」


 は?


 僕が疑問に思っていると、ギュロスさんは僕の手を指差した。


 「【固有錬成:摂理掌握】」


 「あ」


 思わず間の抜けた声が漏れる。


 そう言えば、なんで【摂理掌握】だけ使えるんだ。発動中の【闘争罪過】はともかく、他のスキルは使えないのに。


 「【摂理掌握】は手にしたものを変える。それは“形”だけじゃない。<絶望の石>による影響を受けない。理を捻じ曲げる」


 ま、マジか。すげぇこと知ったな。というか、なんでギュロスさんはそれを知ってるんだ。


 【摂理掌握】は手にしたものの形を変える。僕はそのスキルを<鯨狩り>に使って、三叉槍から剣に形を変えた。


 それを人間の身体に使って、傷を塞げって? できるの?


 「できる」


 と、またも僕の心の中で浮かべた疑問に答えるギュロスさん。


 な、なんで確信を持って言えるんだろう。


 「大体のことは知っているから」


 「?」


 「例えば、バフォメルトがなぜシスイを言いなりにできるのか、とか」


 「っ?! それはどういうことですか!!」


 僕はギュロスさんに迫って言及した。彼女は特に驚いた様子もなく答える。


 「今、あの少女――シスイは人の身ではなくなっている。“堕天使”に近い存在」


 「だ、堕天使?」


 「うん。そしてバフォメルトは悪魔デーモン種。同じく闇に生きる存在として、バフォメルトの声だけが


 じゃあ、シスイさんは何かの催眠効果を受けている訳ではないのか。いまいちピンと来ないけど、今の彼女にとって、自身と似たような存在は救いなのかもしれない。


 「シスイさんを止める方法は?」


 「気絶させればいい」


 おおう、美女の口から乱暴な発言が。


 もしかして、彼女はサディスティックな性格の持ち主なんだろうか。


 僕のお尻を蹴ってください。


 「嫌」


 あ、踏む系?


 「踏まない系」


 今更だが、ドライなツッコミだな。地味にノリが良いところも癖になりそう。


 「それで......諦めるの?」


 そしてギュロスさんは再度、僕にその質問をしてくる。


 だからか、問われた僕はつい聞いてしまった。


 「ギュロスさんは何を望んでいるの?」


 なんとなくだ。彼女が僕に諦めるのかどうか聞く度に、ベールで包まれている彼女の顔が、少しだけ辛そうにしているのを感じてしまった。


 彼女はそんな僕の問いに答えてくれた。


 「見たいの......最高のハッピーエンドを」


 ギュロスさんは自身の胸の前に両手を組み、まるで祈りのような仕草を取る。


 「私の力は。......でも君は違う.......気がする。だから見てみたい」


 そして彼女はこちらへ歩み寄り、僕の手をそっと握る。


 「諦めるの?」


 「ぼ、僕は......」


 “諦める”。その行為は至って簡単だ。


 現実世界の僕は足を動かせられる。【闘争罪過】の力が有効になっている今なら、すぐにあの場から逃げ出せる。


 「だから諦めるの?」


 そうだ。諦めて、もう一度、いつかどこかで挑めばいい。今にこだわる必要は無いんだ。


 たとえレベッカさんたちが死のうとも、シスイさんの涙を拭えずとも。


 「それで諦められるの?」


 諦めるしか無いんだ。今回は僕の力不足だった。姉者さんの片足は次の機会に――。


 「ううん、この言葉じゃない。間違えた」


 そう言って、彼女は僕の両頬に優しく手を添えた。


 「


 「っ?!」


 途端、目元が熱くなって涙が溢れ出した。胸に込み上げてくる熱いものが、僕に何かを訴えかけているようだ。


 どういう訳か、まるでその言葉を望んでいたかのように、心が揺さぶられてしまった。


 僕は震える声で言う。


 「なんで......ギュロスさんがそんなことを」


 「きっと今の君に必要な言葉は思いやりなんかじゃない......と思ったから」


 思いやり......魔族姉妹や武具の少女たちが、僕の身を案じてくれたのは素直に嬉しい。


 でもあの場で欲しかった言葉は――思いやりじゃなかった。


 頑張れって、最後まで一緒に戦おうって言ってほしかった。


 「私の力はまだ貸せないけど」


 ギュロスさんは再び僕の手を優しく掴んで告げる。


 「君なら負けないよ、あんな奴に」


 「......ありがとう」


 そして彼女は僕の手を掴んだまま、最後の質問をする。


 相変わらず黒のベールに包まれていて、彼女の面持ちはわからないが、微笑んでいるような気がした。


 「君が得意な武器は剣と言っていたけど、それは本当?」


 「え?」


 ギュロスさんはぎゅっと力を込めて僕の手を握る。


 「思い出して。君の得意な武器は――」


 彼女の続く言葉を最後に、僕の視界は真っ白に染まるのであった。

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