第372話 誰が為にアイはある?

 「あぁああぁぁぁぁあああ!!」


 クーリトース大聖堂、地下の大広間にて、少女の絶叫が響いた。


 聖女シスイの叫び声だ。


 少女はバフォメルトに頭を祭壇の上に押し付けられたまま、全身を焼かれるような痛みに叫んだ。


 「素晴らしい! 素晴らしい!!」


 【固有錬成:賢愚精錬】。バフォメルトのスキルだ。その効果は一言で言ってしまえば、“構築”と“分解”である。


 一種の錬金術にも似ており、その対象は目に見える物体に限らない。レベッカを追い詰めた巨大な石の槍や弩は、この磨き上げられた石造りの床から生成したものだ。


 その“構築”を成すために、床を“分解”し、別物へと“構築”する。


 そしてそれは【固有錬成】や<三想古代武具>が持つ特殊能力にも使うことができた。


 ただそれはバフォメルトにとって、必ずしも意図した結果に結びつく訳では無い。スキルの制限や呪具の持つ特殊能力の代償を知り得ないバフォメルトは、ただただ“分解”と“構築”を繰り返すだけだ。


 無論、“構築”の方向性は、能力の向上である。


 それに伴い、ありとあらゆる制限と代償が“分解”され、相応のものへと塗り替えられていった。


 「はははははは!! これだ! 私が求めていたのはこれだぁぁぁああ!!」


 バフォメルトは狂ったように声を上げた。


 シスイの【固有錬成】は他者から無償の愛を注がれること。


 それを改変されて得る力とは? もはや疑問など抱かない。抱きようが無いほど、至高のスキルはさらなる進化を遂げようとしていた。


 そしてその過程は、少女に地獄のような激しい痛みを与え続けた。


 【固有錬成】という生物の根幹にある魂に結びつく代物を、無理矢理に改変させているのだ。尋常ならざる苦痛が強いられてもなんら不思議ではない。


 だからか、シスイの肉体に異変が訪れる。


 「あぁぁああアアアぁああアァァア!!」


 四肢の所々に灰色の羽毛のようなものが生え、背中からは左右で大きさの異なる一対の翼が生えた。その翼は少女の小柄な体躯を上回るほど大きく、また純白さはあれど、気色の悪い泥のような血に染まっている。


 頭上には天使を思わせる光輪が、幾重にも連なるようにして輝きを放っており、辺りを眩く照らしている。


 そして、そんな少女は、片目までも異変していた。


 透き通るような青色の瞳は、瞳孔が金色に輝き、その周りが闇夜を思わせるほど漆黒色に染まっている。


 もはや聖女とは名ばかりの、異形の化け物へと変貌した少女であった。


 「ああ......なんと美しい......これが、【固有錬成】の昇華のためだけに肉体を作り変えられた生物の成れの果て」


 バフォメルトは感動のあまりに声を震わせ、涙を流す。


 聖女シスイの虚ろな瞳が、どこかを見ていた。


 「あ......どぇる......す」


 「?」


 シスイの視線の先には、床に横たわるアデルモウスが居た。今までに幾度となく自身を助けてくれた存在に縋ろうと、無意識にも名を呼ぶような切なさがあった。


 この地獄から自分を助けてほしい......そう願っているのだと、バフォメルトは思った。


 しかし、


 「しな......ない......で」


 「......。」


 聖女は、少女は、いや、一人の娘として、シスイはアデルモウスの死にゆく様を嘆いた。少し前、どんなに酷い仕打ちを受けても、自身をここまで育ててくれたのは、他でもないアデルモウスだった。


 両親の顔すらわからないシスイにとって、一番大切な存在だ。


 しかし聖女になってから、シスイはアデルモウスと同じ時を過ごす機会が減っていった。


 互いの立場を考えれば当然のことだ。至極当然のことだから、今になって思い出してしまう。過去の温もりのある生活が、少女の目端に涙を浮かばせたのだ。


 シスイの掠れるような声が届いたのか、死に体のアデルモウスがぴくりと指先を動かす。


 バフォメルトは顎を擦りながら、地に伏せるアデルモウスを不思議そうに見つめた。


 「ふむ。存外しぶとい方だ」


 バフォメルトは地面から石の槍を生成し、それを手にして歩み出した。


 その先はバフォメルトの下だ。


 「いけませんねぇ。聖女シスイ、あなたにはこれから万人から“信仰”を受けて支配してもらわねば困ります。こんな一個人に拘ってはいけません」


 「や......め」


 少女は弱々しい声で訴えた。


 鋭い石の槍を手にしているバフォメルトが、これから何をするかなど火を見るよりも明らかだ。


 しかし無力な自分は何もできない。力なく呻くだけだ。


 「そう、あの女神クラトのように、人々から祈られる存在になるのが、あなたの使命です」


 やがてアデルモウスの下へ辿り着いたバフォメルトは、手にしている槍を頭上高く掲げた。


 まるでこれから迎える未来が希望に満ち溢れていると言わんばかりに。


 「故に、あなたに大切な人は要らない! あなたが人々から必要とされるだけでいい! それを以て女神クラトの再臨を成す!!」


 「おね......が、い......だれ......か」


 誰か。誰でもいいから大切な人を助けて。


 その思いだけが強くなる一方で、何も現実は変わろうとしなかった――


 「なえ......どこ、さん......」


 ――少女がその名を呼ぶまでは。


 ヒュッ。風を切る石の槍が振り下ろされた――その時だ。


 「輝かしい未来に幸あれ!!―――」


 「無いよ。あんたの言う未来に、幸なんて」


 ズシュッ。振り下ろされた石の槍の先端が、何かによって阻まれた。


 鋭利な刃は何者かの手によって、強く握られていたのだ。


 その手から滲み出る鮮血がぽたりぽたりと流れ落ち、眼下のアデルモウスの頭部を朱に染めていく。


 「え?」


 一瞬、バフォメルトは何が起こっているのか理解できなかった。


 が、次の瞬間、バフォメルトの顔面の中央を、寸分違わず固く握られた拳が捉える。男の銀縁眼鏡がぐしゃりと破壊された瞬間だ。


 「女の子の涙が流れる未来なんて――輝かしいはずがない」


 「っ?!」


 深くめり込んだ拳が、バフォメルトを後方へ盛大に吹き飛ばした。


 シスイはこの場に現れた少年の姿を見て、唇を震わせた。目端に浮かぶ涙が大粒になって流れ落ちる。絶え間なく溢れ出る涙が、少年の輪郭を歪ませた。


 咽び泣きながら、少女は再びその名を口にした。


 「ナエドコざん゛!!」


 その少年は――鈴木は一歩ずつ歩を進めた。


 「来いよ、世のため人のためとかほざく“偽善者”」


 今しがた負った傷を気にすることなく、鈴木は手を血に染めながら拳を作り、それを前に突き出した。


 「“美少女専門ヒーロー”の僕が相手だ」

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