第371話 祈りを捧げて
「ん......」
シスイは目を覚ました。アズザエルの【睡眠魔法】によって眠らされていたが、効果が切れたのか、少女は薄っすらと目を開く。
そして同時に、自身の頬を撫でるように、何かが垂れている感覚がした。それは生温かくて、嗅ぎ慣れない独特な臭いの何かであった。
「ふ......うぅ......く」
「れべ......ちか............さん?」
シスイは自身の前に、今日知り合った者が居ることを察した。
なんとなく、そう、なんとなくで眼前の女が、自身を護衛している女だと、シスイは察したのだ。
今までは外套に身を包んで、顔つきを見ることはできなかったが、シスイは護衛の女をレベチカ――レベッカと認識できた。無論、少女は偽名ということに未だ気づいていない。
そして少女は驚愕に目を見開く。
「レベチカさん!!」
「ごふッ」
レベッカの腹部に石の槍が刺さっていることに。
今しがた自身の頬をなぞっていたのは、レベッカが口から流した血なのだと。
自身を護るために、流した血であると、シスイは悟ったのだ。
そんな頃合いで、パチンと指を鳴らす音がこの空間に響く。
途端、薄暗かったこの大広間が、白一色で塗り潰されたように、明かりが空間の隅々まで照らし始めた。
まるで聖女シスイに、この場の地獄を見せつけるかのように景色は一変した。
「っ?!」
「おお。お目覚めですか、聖女シスイ」
シスイは倒れゆくレベッカを抱き寄せつつ、声のする方へ振り向く。
そこには不気味な程、優しげな笑みを浮かべる男が立っていた。
バフォメルトだ。男はこの空間の有様が、まるで視界に入っていないと言わんばかりに平然と歩み出す。
「滑稽ですよねぇ。アデルモウス枢機卿も、レベッカも、あなたを護るために命を落とす......。嗤いが止まりませんよ」
シスイは言われて気づき、自身の近くで、アデルモウスが倒れている様を目にする。
「アデルモウスさんッ!!」
名を叫んでも、アデルモウスはぴくりとも動かなかった。
二人共、バフォメルトの言う通り、重症を負って満身創痍だと察した――そんな時だ。
「に......げ、て......」
レベッカが、口の中に溜まった血を吐き捨てながら、言葉を紡ぐ。
「レベチカさん!」
「いい......子、だから......は、やく......」
シスイは咄嗟の判断で、レベチカに【回復魔法】を行使した。こと戦闘においては何の取り柄も無い無力な自身だが、【回復魔法】なら自信がある。
誰かが傷を負ったら癒やすために磨いてきた魔法だ。
誰かを救うための魔法だ。
しかし、
「くっ、私のレベルじゃ......治せない!!」
シスイは悔しそうに歯噛みする。
レベッカが負った傷はあまりにも深かった。血も流しすぎている。もう長くは保たない。そう確信が得られるほど、レベッカの死は近かった。
それにレベッカだけではない。すぐ近くに倒れているアデルモウスも楽観できるような状態ではなかった。
「ど、どうしたら......」
そんなシスイの下にやってきたのは、二人を容易くここまで追い詰めたであろうバフォメルトである。
バフォメルトは冷めた視線を眼下の少女に向けた。
「ひぃ」
「失礼」
バフォメルトは一言謝った後、シスイの細い首を掴み上げた。
シスイは苦悶の表情を浮かべる。
「くっ」
「ああ、殺す気は無いので安心してください」
バフォメルトはそう言って、すぐ近くの祭壇の上に、シスイの頭を軽く叩きつけた。
ガンッ。シスイの額からツーと血が流れるが、少女は痛みに泣き叫ぶことなく、バフォメルトを見上げた。その祭壇には女神の片足が置かれているのだが、シスイはそれを気にした様子も無い。
そんな少女の目は、恐怖が混じっていたが、微かな抵抗の意思が感じられた。
バフォメルトは不思議そうに問う。
「おや、意外ですね。怯えるだけの子供と思っていました。......どういう了見ですか、その目は」
「なぜ......」
「?」
「なぜこのような酷いことをされるのですか」
そんな少女の質問に、バフォメルトは苦笑しながら答えた。
男の悪怯れないその表情は、どこまでも柔和で不気味なものだ。
「理想のためですよ」
「......は?」
「一つ、昔話をしましょうか」
バフォメルトは祭壇にシスイを押し付けたまま語り出す。
「今から約百年前、第二次種族戦争が世界各国で勃発しました。当時、私は何の力も無い、ただの下級魔族でした」
「っ?!」
その言葉に、シスイは驚愕した。バフォメルトがシスイの考えていることを察し、疑問に答える。
「私、実は魔族なんですよ。
「な?! こ、ここは神聖な場のはずなのに、なぜ――」
「ええ。仰る通り、ここは神聖な場所です。何重にも張られた聖なる結界が、我々のような存在を拒絶する」
しかし、そう付け加えてから、バフォメルトは続けた。
「それは効果範囲内である“地上”での話。我々が居るこの地下まで効果は届きません」
「で、ですがあなたは先日、大天使ガブリエール様の下に......」
「ああ、それは<ソロモンの鍵>を使ったからです」
そう言って、バフォメルトは術式に干渉できる呪具――【
「話を戻しますが......当時の戦争は凄まじかった。あらゆる種族が存続をかけ、繁栄を望み、力の限りを尽くした」
バフォメルトは遠い過去の記憶を思い返しながら語り続ける。
「特に感動したのは人間側です。あなたたちは特別戦闘に優れている種族では無い。が、数の多さを利用して、攻めて、攻めて、攻め続けた。私はそんな人間たちに打ち震えた」
次第にバフォメルトの声が震える。それが歓喜からくる声音だと、シスイは感じ取った。
「死んだら何も意味が無いのに、誰もが誇りを胸に抱いて死を恐れなかった。大切な人を護るため、祖国のため、未来のため......。しかし現実は甘くはなかった」
バフォメルトは空いている手で拳を固く握り締めた。
「他種族との圧倒的な実力差が............虐殺の光景を繰り広げていた」
どこか悔しそうに、バフォメルトは歯噛みする。まるで舞台役者のように、当時の光景を熱く語る男の姿に、シスイは混乱を禁じ得なかった。
「無惨に殺される人間は戦場に立つ兵士のみにあらず。敵兵に戦線を超えられた国は、女子供問わず殺戮されました。一晩で一国が滅ぶのも不思議ではありませんでしたよ」
バフォメルトは当時の出来事を、自分のことのように嘆く。
「無論、当時の私は人間を殺す側でした。戦場では何度も死にかけた雑兵の一人で、何の恨みも無い人間を殺す日々を送っていました」
「なんてことを......」
そんなシスイの怒りを他所に、バフォメルトは平然と語る。
「しかしそんな時のことです。――降臨したんですよ」
バフォメルトは天を見上げ、感動のあまり、目端に涙を浮かべる。
「かの女神......クラト様が、戦場に!!」
「っ?!」
思いも寄らない名に、シスイは驚愕する。
「当時、人間側に味方する種族が居ました。それは天使族、神族......数こそ少ない存在でしたが、互いに手を取り合い、共存を成し遂げた唯一の両立関係です。............しかし女神クラトは違った」
何が? そう、シスイが疑問を抱くが、続くバフォメルトの言葉に、疑問は打ち砕かれる。
「実は女神クラトは天使族をでも神族でも無い別の種族――魔族なんですよ?」
「っ?!」
途端、バフォメルトが嗤い出す。
「ふふ、ふふふ......ふはははははは!! どんな気分ですか?! あなたたちが女神と崇め奉る存在は、過去に人間側に死の恐怖を植え付けた種族の一種であったと知り、何を思いますか?! はははははは!!」
バフォメルトはシスイの顔に近づき、少女の表情を堪能するように見つめた。
「でも恥じることはありません。なぜならそれは過ちではない。あなた方人間は正しい。なにせ女神クラトの偉業は全て事実なのだから!!」
男の高笑いが、この広い空間に響き渡る。
「女神クラトはたった一人で戦場を駆け回り、人間を護って、同族を裏切り、圧倒的な力で殺戮を繰り返しました。......運良く生き延びた私は、かの女神の神秘的な美しさに見惚れていました」
そして、と続けたバフォメルトは、まるで親が子に向けるような優しい笑みを浮かべた。
「誰もが女神クラトに感謝し、心酔し、祈りを捧げた。“英魔”と讃え、信仰の対象にした。やがてその行く先が――」
「ギワナ教の真髄となった......ということですか」
続く言葉を遮ったのは聖女シスイだ。シスイはその話を聞かされても、女神クラトへの信仰は揺るがない。
それを確信させるほど、シスイの瞳は絶望に染まっていなかった。
そのことが意外だったのか、バフォメルトが不思議そうに少女を見つめる。
「やはりあなたの信仰は本物ですね。素晴らしい」
「なぜあなたは......女神クラトの偉業をその目で確かめたはずなのに、このような非道を行えるのですか?」
その言葉に、バフォメルトは眼下の少女は何もわかっていないのだと悟り、何やら諦めがついた様子で言葉を続けた。
「全ては女神クラトの意思を継ぐため。さぁ、あなたもさらなる力を授かりましょう――【固有錬成:賢愚精錬】」
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