第362話 両立は不可能で、対立は必然で

 「あ、アデルモウスさんッ!」


 聖女シスイは幾度となくその名を呼んだ。


 ここ、クーリトース大聖堂のとある渡り廊下にて、一人の少女が腕を掴まれ、強引に歩かされていた。向かう先は、大天使ガブリエールの像がある部屋。


 少女の手を強く掴んで、何も言わずに進む者はアデルモウス枢機卿であった。


 「......。」


 「アデルモウスさん!! 何か言ってください! なぜあのようなことをされたのですか?!」


 シスイは己の腕が、痣ができるほど強く握られてもかまわずに訴えた。


 少女が指す話は、アデルモウスと鈴木の戦闘のことと、教会の裏で行われていることである。


 前者は少し前、シスイはここより離れた丘の上で、二人の戦闘を目の当たりにしていた。


 その時に見た、アデルモウスの冷徹な一面に少女は恐怖すら覚えていた。普段は優しく、太陽のような笑みを浮かべる男が、温もりなど感じない眼差しで、鈴木と相対していたことが信じられなかった。


 それもそのはず、シスイにとってアデルモウスは一番長く共に過ごしてきた人物で、それは親が居ないシスイにとって、唯一の心の拠り所でもあったのだから。


 後者に至っては、以前、鈴木から説明があったように、ある程度理解しているつもりだった。


 故に少女は言及を続ける。


 「アデルモウスさん! 説明してください!」


 「......。」


 が、アデルモウスは口を開かない。


 やがて天使像のある部屋へやってきた二人は、一際早い足取りを止めて、アデルモウスは近くのチャーチチェアにシスイを放り投げるようにして腕を引いた。


 チャーチチェアは十人ほど座れるような長椅子で、そこにシスイは両手を着いて倒れる。


 「きゃ!」


 「暫くの間、大聖堂から出ることを禁じます。そして一日の大半をここで過ごしなさい」


 どこまでも冷たくあしらう男の言動に、シスイは目端に涙を浮かべた。


 「なぜ......あなたのようなお方が......」


 「......あなたは知る必要がありません」


 歯噛みするシスイに、アデルモウスは背を向けて言う。


 「護衛を付けます。私が許可するまで一人で行動することは控え、その方と共に生活しなさい」


 「......。」


 そう言い残し、アデルモウスはこの場を後にした。男と入れ替わりでこの部屋に入ってきた者は、外套を纏った一人の女だ。


 黒を基調とした外套に身を包んでいても、身体の輪郭から女とわかる外見だ。目深にフードをかぶっていて顔こそ見受けられないが、垣間見える目や口は美女のそれだとわかった。


 そんな怪しげな人物がシスイの護衛としてこの場にやってきたのだ。


 しかしシスイは特に距離を置くわけでもなく、ただただその場で悲しむだけであった。



******



 「バフォメルト」


 「おや、これはこれは。本日はどういったご要件で?」


 クーリトース大聖堂の地下施設にやってきたアデルモウスは、漆黒の外套、真っ白な仮面を身に着けていた。男の格好は、まるでこの場に来る時は枢機卿としてではなく、教会の裏の一員として切り替えているような容姿だ。


 また二人の男が居るここは、教会として似つかわしくない雰囲気が漂う研究施設であった。


 辺りは薄暗く、特別灯りになるようなものは無い。が、部屋の中央にある祭壇から暗い紫色の光があり、それだけが辺りを照らしている。


 その祭壇の上には女神の片足が置かれていた。祭壇は複雑な術式が施されており、まるで脈打つように羅列した文字が明滅している。


 そして女神の片足から血のように黒い何かが祭壇の溝を辿って流れ落ちていた。


 その溝が集約された溜り場は、真っ黒な液体で満たされている。


 「女神様の片足から<絶魔の石>を作れているか?」


 「ええ。順調に」


 「そうか」


 アデルモウスの短い問いに、バフォメルトは笑みを浮かべて答える。その笑みは事務的なもので、大人特有の作りものであった。


 アデルモウスは続けて問う。


 「呪具の方はどうだ?」


 「そちらも順調に。まぁ、物によりますが、かなり良い物に仕上がってますよ。これはその成果物です」


 「ほう......」


 バフォメルトは懐から羽根ペンのような物を取り出して、アデルモウスに渡す。


 「これは?」


 「【幻想武具リュー・アーマー】に部類する<ソロモンの鍵>です」


 「能力は何だ」


 「元は“魔法を一から創るための術式を書く”という能力でした。が、、“魔法の術式に干渉できる”ようになりました。元の力は残したままで」


 「それは......素晴らしいな」


 バフォメルトの説明に、アデルモウスは感嘆の声を漏らす。


 魔法は例外無く特定の術式を構築して、初めて発動が可能となる。それらの魔法を発現可能とする術式の多くは、世の文明の発展と共に既知のものとなった。


 そして魔法の始まりは、人類にとって並々ならぬ研究の積み重ねの果てに実現された。魔法一つ創ることに必要な設備、術式の理解、消費魔力量、用途に沿った効果範囲など様々な面で苦労を強いられた。


 が、その始まりを単独で創ることができるのが、<ソロモンの鍵>だ。


 その能力は術式の構築のみならず、既存の術式に干渉して書き換えられることも可能であった。


 「代償は?」


 ギワナ教会が集めた<三想古代武具>は呪具と呼ばれる代物ばかりだ。故に各国から破壊及び封印を目的として集めることを可能とした。


 それら呪具の能力と見合わぬ条件に関して研究するのが、ギワナ教会の裏に潜む組織――<堕罪教典ホーリー・ギルト>の目的だ。


 そしてその目的の要を担うのが、バフォメルトであった。


 「元々、“自身が保有する血を代償にして術式を書く”というものでしたが、そちらも改変されて、“血を代償にして術式を書く”......になりました」


 「ほう......自他関係無く血を消費すれば術式を書ける訳か」


 「ええ。何か都合の良い者を生贄に、魔法を研究しましょう」


 「その辺りは追々考えていこう」


 アデルモウスの言葉に、バフォメルトは軽く頭を垂れて応じる。


 <堕罪教典ホーリー・ギルト>の目的の一つ、魔法の根絶化計画は他者に対してだ。より厳密に言えば、ギワナ聖国に与しない国、ギワナ教会に仇なす者だ。


 それらの敵から武力を根こそぎ奪い取り、自分たちだけが力を持って、優位な立場に居続けること。誰も逆らうことができなければ、争いなど生まれるはずもない。なにせギワナ教は“平和”を愛しているのだから。


 故にこの世に必要な思考は二つ。


 聖国に下るか、聖国に滅ぼされるか。


 圧倒的な力の差は虐殺の果てに、ギワナ教を遵守する者だけが残る。


 そんな独裁的でありながら、理想に近い世界がもう直訪れようとしていたのだ。


 「いや、我らの悲願はまだまだ遠いな」


 「ええ。呪具の力、魔法、その次は【固有錬成】になります」


 「......そうだ」


 バフォメルトの言葉に、アデルモウスは脳裏にシスイの顔が浮かんだ。


 バフォメルトはそんなアデルモウスにかまわず、銀縁眼鏡のブリッジを指先で持ち上げてから問う。


 「時に一つお聞きしたいのですが」


 「なんだ?」


 「聖女シスイは【固有錬成】を所有しているのでしょうか?」


 その一言を聞いて、アデルモウスは驚愕するが、表情には出さず、なんとか内心で止めることに成功した。


 (なぜシスイの【固有錬成】をこいつが......。まさか、あの時の接触で感じ取ったのか?)


 アデルモウスの指す“あの時”とは、バフォメルトとアズザエルが大天使ガブリエールの像がある教会内部の部屋で、聖女シスイと接触した時を指す。


 聖女シスイからは他愛無いことを話していたと聞いていたが、とアデルモウスは胸中に焦燥感を募らせながら答える。


 「【固有錬成】持ちだ、と言ったら、どうするつもりだ?」


 下手な嘘が通じる男ではない。そう考えているアデルモウスは、バフォメルトの言動に警戒した。


 対し、問われた側は、ニチャリと気味の悪い笑みを浮かべて答える。


 「聖女シスイの【固有錬成】を、私の【固有錬成】を使って、今以上の力を引き出します」


 大凡、人が纏う雰囲気とは思えぬ程、陰鬱な空気を辺りに漂わせながら、男は微笑んでいた。


 もはや確定事項と言わんばかりに......聖女シスイが持つ【固有錬成】の正体に気づいていると言わんばかりに、バフォメルトは自信あり気に語ってみせた。


 アデルモウスはそんなバフォメルトに対し、幾分か声音を落として言う。


 「あの子は教会の表の顔として居てもらう。......手を出すな」


 その声は底冷えしそうなほど殺気を孕んでいた。しかしバフォメルトは狼狽えるどころか、軽快な調子で言う。


 「今よりも多くの人々を心酔させるには、今以上の力が要る......至極真っ当な考えです」


 今、<堕罪教典ホーリー・ギルト>内で互いの思想を賭けた戦いが始まろうとしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る