第358話 愛される者

 「今、なんと?」


 ドサリ。アデルモウスは抱えていた荷物を床に落とし、そう聞き返した。


 時は遡り、アデルモウスがまだ枢機卿の地位に就いていない、中央都市の教会に居た頃の話だ。アデルモウスは自身よりも階級が上の司教に近況報告を行うため、夜分遅くに司教が居る部屋へ訪れていた。


 司教は中年男性だ。暖色の炎が照らす赤紫色のワインが注がれたグラスを片手に、外の景色を窓辺から眺めながら言った。


 「この教会にもう孤児を養う余裕は無い」


 「だから子供たちをこの街から追い出したのですか!!」


 アデルモウスは眼前の机に両手を叩きつけた。


 しかし司教は動じた様子もなく、淡々と語る。


 「追い出したのではない。地方の村に移ってもらっただけだ」


 「トーガ村は貧しい村です! 孤児を育てる余裕はあるはずがない!」


 アデルモウスの荒々しい言動に、司教は溜息を吐いて、まるで子供の我儘を目にしたかのような呆れの念を顔に浮かばせていた。


 トーガ村はアデルモウスが居るこの街よりも貧しく、人口も減少の一途を辿っている。年々、活気が無くなっていく村は、近い将来、自然消滅が予想されていた。


 そのため、アデルモウスは村の消滅を危惧し、この街と合併ができないかと模索していたが、それはまだ先の話である。


 そんな村に孤児を送りつけるなど言語道断だ。ろくに食事ができず、未発達な身体に労働力が強いられるのは明らかだった。


 まさか自分が今朝から留守にしていた間に、孤児院に居た子たちの大凡半分を、この街から追い出すとは思っていなかったアデルモウスである。


 故にアデルモウスは司教に怒声を浴びせていた。


 「それに最近、あの村は自分たちの子を売り飛ばしていると聞いてます!」


 「人聞きが悪いことを言うな。出稼ぎの一種だ」


 「そんなこと、子供たちの未来を潰していい理由にはなりません!」


 「ではどうしろと? 食うために働くか、大人しく餓死するか、その二択は変わらんぞ」


 「そ、それは......」


 どう足掻いたって綺麗事で片付くことはない。困窮の原因が貧しさにあるのであれば、それを改善するのは富だけだ。金は種を撒けば生えてくる作物とは違い、出所を見極めなければならないのである。


 しかしアデルモウスは知っていた。


 眼前の司教が私腹を肥やしていることを。


 この地に来てから、職務を全うせず、国の支援金を不正利用することや、領主と裏で村の資金を領得していることを。


 それでもこの街には、この司教が必要だ。僅かでも支援を得るためには、この醜い男が必要だった。


 アデルモウスは悔しげに呟く。


 「......我々大人の贅沢は、子の幸福を叶えた先にあるものです」


 その言葉に、司教はアデルモウスへ冷たい視線を向けた。


 「口には気をつけろ」


 「......。」


 アデルモウスは謝罪の意を込めて、深々と頭を下げる。唇に血が滲むほど歯を食い込ませているが、それは司教には見えない影であった。



*****



 「シスイ! ライオット! シリル!」


 深夜の森の中、アデルモウスは馬を走らせていた。木々の間から垣間見える月明かりだけが頼りで、辺りは闇夜の一色で塗られているが、男はかまわず走り続けた。


 そんなアデルモウスの口から漏れ出るのは、孤児院から追い出された子たちの名前である。


 一人で中央都市を出たアデルモウスが向かう先はトーガ村だ。


 つい先刻、司教から無慈悲な報告を受けてから、居ても立っても居られなかったのだ。というのも、トーガ村に送った孤児たちの馬車に、護衛を一人も付けていないことが原因である。


 道中、危険なモンスターや山賊に襲われても、なんら不思議ではないのが、近隣の治安状況だ。


 故に焦燥感を胸に募らせながら、アデルモウスは静かな森を駆け抜けていた。


 「っ!!」


 そしてその道中、信じられないものを目にする。


 アデルモウスは疾走する馬を止め、その光景に釘付けになっていた。


 馬から下り、アデルモウスはゆっくりとその場に向かう。


 「こ、これは......」


 アデルモウスはダマのような唾を飲み込んだ。


 男の眼前に広がる光景は――死体の数々だ。


 その大半は幼い見た目の者で、子供と断言できないほど、死体は人の原形を留めていなかった。辺りに臓物を撒き散らし、時折目にする頭部には苦痛が滲んでいた。


 「し、りる......」


 そして死体の多くは、孤児院を追い出された子たちだった。


 血の臭いが漂い、アデルモウスの嗅覚を狂わせる。夥しい肉塊が当時の残虐さを物語っているようだ。


 男はこの惨状をひと目見て、人の所業ではないことを悟った。おそらくモンスターに襲われたのだろう。食い散らかされた様も散見される。


 中には、大柄な男が倒れていたが、例に漏れず、物言わぬ死体であった。おそらく御者だろう。自前の剣と思しき武器こそ近くに落ちていたが、役に立っていなかったのは明白だ。


 「ら、ライオット、ライオット! パール! ジェシカ!!」


 それでもアデルモウスは子供たちの名前を叫んだ。


 居たら返事をしなさい。そんなことすら言えないほど、男は必死に子供たちの名前を口にすることしかできなかった。


 しかし時間が経つに連れて気づく。


 自身が名前を呼んだ子たちが、視界の中に死体として居ることを。


 明るい笑顔を咲かせていた子供たちの顔が、感情の無い人形のように、将又、苦悶の末に死んでいったことを。


 やがてアデルモウスの口から、生存している可能性のある子の名前が次第に減っていった頃合いで、男はまたも信じられない光景を目の当たりにした。


 男の前には――


 「っ?!」


 一体のモンスターと少女が居た。


 前者はBランク相当で、成人男性を優に超える巨体の狼のような見た目をしたモンスター、レッドウルフだ。


 後者は橙色の長髪が特徴の少女――シスイである。少女はまるで魂が抜けたように、虚ろな眼差しでどこかを見ていた。衣服は泥や血で汚れているが、外傷こそ見受けられない。


 そして信じられない光景は少女の生存とは別にあった。


 レッドウルフがシスイの頬を舐めていたのだ。


 それは親が子にする愛情表現のようなものに近い、慈しみのある行為である。


 アデルモウスは眼前に広がる光景が理解できなかった。


 辺り一帯の死体は、あのレッドウルフが殺戮を繰り返したことは明白だ。Bランクモンスターなら納得できる。理解できないのは、なぜそんな凶悪なモンスターがシスイを愛でているのか。


 アデルモウスは自身の目を疑ったが、次の瞬間には少女の名を叫んでいた。


 「シスイ!!」


 その声に反応したのはレッドウルフである。


 アデルモウスを瞳に映したレッドウルフは、ゆっくりと立ち上がり、シスイを背に唸り声を上げる。


 なぜ、子を守る親のような素振りを見せるのか。


 特別、シスイとレッドウルフに関係があるとは思えない。そんなことを考えているアデルモウスに、レッドウルフは牙を剥き出して襲いかかった。


 が、


 「死ね」


 『ッ!!』


 レッドウルフの頭部は身体から切り離されていた。


 アデルモウスは武器を持っていないが、その身こそ武器に成りえるほど鍛え抜かれている。


 レッドウルフを素手で圧倒した男は、冷めた眼差しでモンスターの死体を一瞥してから、シスイの下へ駆け寄る。


 「シスイ! 大丈夫ですか!!」


 アデルモウスが少女の肩を揺すると、その虚ろな瞳は見上げた先で男を映した。


 「あ、でる......もうす、さん」


 「はい、私です! 無事で良かった! 怪我はありませんか?!」


 アデルモウスは眼前の子供には聞き取れないかもしれないと自覚していたが、焦るあまりに早口になってしまった。


 しかしシスイの反応はアデルモウスの予想と違った。


 少女は目端からツーっと涙を流し、言葉を紡ぐ。


 「眼の前でライオット君たちが殺されました。生きたまま、モンスターに食べられました」


 なのに、と少女は呟いてから続ける。


 「なぜ......私だけ生き残っているのですか」


 そう、少女は掠れる声で言葉を紡いだ。

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