第353話 闇夜に浮かぶ邪悪な笑み

 「ナエドコさん、遅いですね......」


 クーリトース大聖堂内部、大天使ガブリエール像がある部屋に、聖女シスイはステンドグラスを眺めていた。色付きの窓ガラスからでは外の景色がわかりづらいが、それでも夜を迎えたとわかる頃合いだ。


 シスイの呟きに、ガブリエールが答える。その声は天使像から聞こえた。


 『約束の時間までには戻ってくると言ったのにね〜』


 「はい。何か良からぬ事態に巻き込まれていないといいのですが......」


 『どうだろうね~』


 すると不意に、シスイは窓に雫が付いていることに気づいた。それは次第に数を増していき、一際強い風と共に打ち付けられている様を目にする。雨が降ってきたのだろう。


 部屋の中は依然と静寂に包まれているため、雨音がやけに響いて聞こえた。


 ガブリエールはなんとなしでシスイに聞いた。


 『シスイちゃんはさ、あの子をどう思う?』


 “あの子”とは鈴木のことだ。大天使という寿命の概念が無い存在の少女にとっては、人間などいくつ年を取っても誤差の範囲でしかない。


 故に“あの子”と言ったのだ。ガブリエールが指す人物を察したシスイは答えた。


 「そうですね......。とても不思議な方かと思います」

 

 『というと?』


 「えっと......言葉にすることが難しいのですが、不誠実に見えて、実はどこまでも純粋な方......でしょうか」


 『はは。まぁ、節操の無さは第一印象でわかるよね〜』


 そして、とガブリエールは呟いてから続ける。


 『あの子の中には、とんだ化け物が居るよ。それも二......いや、三かな? 上手く隠れているようだけど』


 「それはどういう......」


 そう、シスイが言いかけた時だ。


 ガチャリ。部屋の扉が開いて、そこから見知らぬ二人組が現れた。


 一人は女。栗色のショーボブで、ボーイッシュな印象を受けるが、目つきが鋭く、美女でありながら、気の強さを窺える雰囲気を漂わせている。格好からして、まず教会の者ではなく、一般人だとシスイは見た。


 もう一人は男。整った顔立ちで、薄茶色の髪をオールバックにしている壮年だ。纏う雰囲気は穏やかで、格好は一般人のそれだが、教会の人間に共通するような清楚さがあった。


 そんな二人組が、大天使像のあるこの間にやってきたのだ。


 「っ?!」


 そして男の方に対し、シスイは目を見開く。


 なにせ、男は先日、大聖堂の地下から女神の片足を持ち出したシスイを追いかけ、殺そうとしてきた人物なのだから。


 その男の名は――バフォメルト。


 「こんばんは。夜分に申し訳ありません。まだ祈願しても?」


 バフォメルトは柔和な笑みを浮かべて、聖女シスイに問う。


 シスイは自身が震えていることに気づいておらず、思わず掠れた声で口を開いてしまった。


 「ひゃ......い。ど、どうぞ、こちらへ」


 「ありがとうございます」


 バフォメルトは紳士然とした素振りで軽く一礼し、付き人かのように女性を伴いながら、ゆっくりと天使像の前に近づく。きっと女も教会の地下の関係者だろう。


 コツコツ。二人組が床に打ち付ける靴音が、この空間に響く。シスイは震えを押し殺しながら、可能な限り平静を装うと気を張る。緊張で自身の心臓が張り裂けそうな思いだった。


 そんなシスイに、バフォメルトは大天使像に祈りを捧げた後、視線をシスイに移さずに口を開いた。


 「天使様に祈願される方は少ないのですか?」


 「え?」


 不意の質問に、シスイは思わず聞き返してしまいそうになったが、言われたことを反芻し、すぐに答える。


 「え、ええ。大抵の方は、女神クラトの祭壇がある大広間の方で祈願されます。大天使ガブリエールまで礼拝される方は、そう多くはいらっしゃいません」


 「なるほど。あちらの祭壇よりも、こちらの天使像の方が力を持っているように感じるのですがね」


 「っ?!」


 その言葉に、シスイが驚愕する。ガブリエールの存在に気づいているのか、そう考えたからだ。ガブリエールも迂闊に声を発せない。しかしガブリエールはシスイの反応からして、眼前の二人が教会地下の関係者だと察した。


 いや、確信を持ったのはそれだけではない。二人から漂ってくる空気が、常人の纏うそれとは異なるからだ。積み重ねてきた業を直感的に感じ取ったからである。


 (ここで滅してもいいんだけど......。あの子が戻ってきていない状況でこいつらを殺ると、却ってシスイちゃんが危ないか)


 と、聖女シスイの今後について考えたガブリエールは、バフォメルトと女を見下ろすだけに止めた。


 そんな中、この場に新たな声が響く。


 「バフォメルト、アズザエル」


 二人の名を呼ぶ男が現れた。


 その者は白髪の初老の男で、部屋の出入り口付近に立っている。男は酷く冷めた視線を二人に向けていた。


 その男の存在に気づいたシスイが、男の名を呼ぶ。


 「あ、アデルモウスさん?!」


 アデルモウス枢機卿だ。教会の者として礼装に身を包める様は清楚であり、誠実さを体現しているようである。


が、アデルモウスの瞳には一切の光を宿していない、底知れない闇が潜んでいるように、シスイは見えてしまった。


 人が纏う負の気配に慣れていないシスイだからこそ、その雰囲気を敏感に捉えたのだ。一言で言えば、アデルモウスは“殺気”を向けているように思った。


 微かに恐れた様子のシスイを他所に、アデルモウスはバフォメルトとアズザエルに問う。


 曇り無き笑顔を作り上げて。


 「もう大聖堂を閉める時間です。またお越しください」


 先程までの空気が張り詰めた状況を掻き消すような笑みを浮かべるアデルモウス。シスイは幼い頃から共に生活してきたアデルモウスが、まるで別人のように見えてしまったのである。


 しかしアデルモウスの言葉を受けても、平然として応えるのがバフォメルトという男であった。


 「これは申し訳ありません。また来ます」


 そう言い残し、扉の横に立つアデルモウスを通り過ぎて、バフォメルトとアズザエルはこの場を立ち去るのであった。


 シスイはその様子を緊張しながら見つつ、アデルモウスに問う。


 「あ、あの!」


 「シスイさん」

 

 が、シスイの言葉を遮ってアデルモウスが先に言った。


 「彼らと何をお話されてましたか?」


 「え? あ、特には。ただ人々は、大天使ガブリエールへの礼拝をあまりされないというお話だけ......」


 「左様ですか」


 「あ、あの、アデルモウスさん、なぜあの方たちのお名前をご存知なのですか?」


 「ただの知り合いですよ」


 ですが、と言ってから、アデルモウスは続けた。


 「あなたは関わっちゃいけませんよ」


 「......。」


 アデルモウスは柔和な笑みを浮かべているのに、その目は全くと言っていいほど優しくはなかった。感情の籠もっていない表情を見て、シスイは俯いてから静かに返事をする。


 そんなシスイを残し、アデルモウスは踵を返すのであった。



*****



 「なんで私をあそこに連れてったの? アデルモウスに殺されるかと思ったじゃん」


 アズザエルは少し前を歩くバフォメルトに対して、不機嫌そうに問う。


 大天使ガブリエールが祀られている部屋から出た二人は、その足で大聖堂から離れた。


 二人が訪れた場所は、女神クラトの石像がある丘の上である。シスイは毎日ここに来て、祈りと清掃の日課を繰り返している。そんな場所へ、手元の灯りだけを頼りに二人はやってきた。


 バフォメルトは女神像を見上げながら答える。


 「確かめたかったからですよ」


 「何を?」


 「あの聖女の【固有錬成】を」


 「っ?!」


 バフォメルトの言葉に、アズザエルは驚愕した。


 聖女シスイが【固有錬成】持ちという情報が無かったためだ。


 「は、初耳よ」


 「私も半信半疑でしたが、確信しました」


 「というと?」


 バフォメルトは女神像から視線をアズザエルに移して質問する。


 「その前に教えてください。あなたは聖女シスイと対面したとき、どう思いましたか?」


 「どうって言われても......良い子だなって思ったくらい?」


 「では、何かしてあげたいって思いましたか?」


 「は?」


 「彼女に対して、何か喜ぶことをしてあげたい、笑顔を見たい、などはありましたか?」


 「それは......」


 そう言いかけて、アズザエルは気づく。


 対面したのは、先程の十数分にも満たない短い間。しかし、女は気づいてしまう。


 「思った。............気がした」


 アズザエルは自身がどういった人間かを理解している。とてもじゃないが、真っ当な生き方をしてきていない。非人道的な行為など、息をするかのように繰り返してきた人生だ。


 そんな自分が、初対面の聖女シスイに対して、笑顔にしてあげたい、という感情を抱くとはどういことか。


 アズザエルの戸惑った様子に、バフォメルトは顎に手を当てる。


 「やはり......」


 「“やはり”って。バフォメルトも私と同じことを?」


 「ええ。最初、私は彼女がとても良い子で、抜きん出た容姿だから、無意識にそういう目で見てしまったのかと思っていましたが、どうやら違うみたいですね」


 「だとしたら、聖女の【固有錬成】って......」


 そう、アズザエルが言い切る前に、バフォメルトはニタリと不気味な笑みを浮かべて呟いた。


 「アデルモウス枢機卿、隠し事とはつれませんねぇ......」


 そんな男の口角が、まるで闇夜に浮かぶ三日月のように目立つのであった。

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