閑話 とある女傭兵の過去 1

 「頼む、娘だけは......娘の命だけは取らないでくれ」


 とある地方の貴族が統べる領地にて、領主の屋敷の中には悲惨な光景が広がっていた。この屋敷は何者かによって襲撃を受けた。領民が寝静まった頃合いの出来事だ。


 屋敷の窓ガラスに豪雨が打ち付けられ、不定期に轟音と激しい稲光を撒き散らす様は、まるで空からこの領地を支配しているようであった。


 しかし現実はこの領地全域ではない。屋敷の中で静かに行われていた。


 襲撃者は屋敷の真正面から入り、目に映った全ての者を殺した。


 門番だろうと、護衛だろうと、使用人だろうと、殺して殺して殺しまくった。


 逃げ出す者も、命乞いする者も等しく殺しまくった。


 それが、この屋敷を襲撃した者であった。


 そして当然、領主もその対象だ。


 「頼む......娘だけは」


 屋敷の人間のほとんどは殺害された中、領主だけはまだ無事であった。


 領主は中年男性だ。上等なバスローブに身を包め、襲撃者の前で膝を折り、頭を下げている。おそらく就寝前に入浴していたであろう格好だ。


 そんな男は無様にも襲撃者に対して、額を冷たい床に擦りつけている。そこに貴族の矜持など欠片もなかった。


 その様を見下ろす襲撃者は......片頬に手を当てて口を開いた。


 「娘だけはって言われてもねぇ......」


 襲撃者は――<赫蛇>のレベッカであった。


 これはレベッカが傭兵となって間もない日の出来事。もう十数年以上前のことだ。少女という若さに関わらず、傭兵として名を売り、依頼をこなす日々を送っていた傭兵の過去の記憶。


 レベッカはとある依頼を受けて、この屋敷に来ていた。


 依頼内容は、国税を私欲のために使った貴族の始末。詳細は興味が無かったレベッカにはわからなかったが、ただこの貴族が国の資金を横領している事実があることは明らかだった。


 その事実さえあれば、レベッカは平然と人を殺すことができた。


 曰く、同じ仕事をするなら、悪人を倒した方が後味良いじゃない、と。


 そう主張するレベッカは、この屋敷に来てから人を見かけては殺すを繰り返してきたため、全身返り血で染まっていた。


 「頼む! 娘は関係無い!」


 「都合が良いわねぇ。別に説教するつもりは無いけれど、あなたが今までしてきたことって重罪ばかりじゃない?」


 「そうだ! 私が悪い! だから娘を見逃してくれ!」


 そう必死に乞う貴族の傍らに二人ほど、床に伏している者が居た。


 一人は男の妻。既にレベッカの手によって殺されていた。


 愛する妻......いや、実際のところ、この夫婦の間に愛情があったかは定かじゃないが、妻に先立たれても、夫は娘の身だけを案じていた。


 薄情と侮蔑するべきか、娘思いと評するべきか、レベッカの内心は複雑であった。


 そしてもう一人は赤子だ。生まれて数か月だが、おそらく女の子だろうと判断したレベッカである。赤子は泣くことなく、ただただ無力にも床に転がっていた。


 赤子故にこの惨状を理解できないのだ。


 母を殺され、父も殺されそうになっているこの状況を。


 次は何も理解しないまま自身も殺されるということを。


 相手が赤子だろうと、レベッカは自分の行いを曲げるつもりは無かった。


 「私が受けた依頼はこの地の領主と屋敷の人間の殺害よ」


 その言葉を聞いて、男は絶望の色を顔に浮かばせた。


 「今まで犯してきた罪の重さは重々理解している。だが......娘は関係無いんだ」


 「無くは無いわよ。血縁関係的に殺さないと」


 「こんな赤子をか?!」


 「仕事だもの」


 平然と答えるレベッカを目にし、男は顔をくしゃりと歪ませて、目端に涙を浮かべた。


 しかしレベッカに温情は無い。平然とした態度で絶望を与えた。


 「あの世でこの子と奥さんの三人で仲良く過ごしなさいな」


 「なんでもする! 金なら私の財産全てをあげよう!」


 「あら、それは嬉しい」


 レベッカは金に飢えていた。


 しかしここでレベッカは気になってしまった。


 どうしてそこまでして領主は娘を護ろうとしているのか。国の金を貪り、私欲を満たしていた自他共に認める下劣極まりない人間が、なぜ娘を護ろうとしているのか気になってしまった。


 果たして男のコレは愛情だろうか。


 そう思うのも、レベッカは物心がつく前に両親と別れてしまったからだ。両親の顔すら知らず、愛を知らずに今まで生きてきた。そしてそれはこれからも続く。


 故にレベッカは問う。


 「ねぇ、なんでそこまでして娘を護ろうとするの?」


 「......は?」


 「ちょっとした疑問よ」


 そんな女傭兵の素朴な質問に、男は答えた。


 「救い......だったんだ」


 「は?」


 男の言葉に、レベッカは首を傾げた。


 男は床に仰向けで転がっている赤子をそっと抱き寄せた。


 「貴族として許されない行為をした自覚はある。しかしそんな私でも、娘の無邪気な顔を見るだけで......救われた気がした」


 「......。」


 男は愛しそうに、腕の中に居る娘を見つめた。なんて愛情に溢れた眼差しなんだろう。愛を知らぬレベッカでも、親が子に向けるそれは本物だと感じてしまう程に温かかった。


 だからか、レベッカはつい言ってしまった。


 「そう。そんなに娘を助けたいのなら......いいわよ、私が近くの村まで、その子を連れて行ってあげる」


 ただし、と言葉を切ってから、レベッカは続けた。


 「自分で自分を殺しなさい」


 「私が......私を?」


 一瞬、何を言っているのか理解できないといった様子を見せる男であったが、レベッカが手にしていた鞭を男に差し出したことで、自分がこれから何をすべきか察した。


 「......わかった」


 「......。」


 近くには首を切れるような武器は無い。部屋から出て、少し歩けば兵たちの武器が手に入るが、レベッカはそれを許さなかった。


 男はレベッカから鞭を受け取った。そしてそれを自身の首に巻き付け、レベッカを見上げた。


 「娘を頼む」


 最後にそれだけを告げ、男は力強く鞭の両端を外へと引いた。そこに一切の躊躇いはなかった。


 「あぐぅがあぁあはッ」


 男は藻掻いた。地べたをのたうち回りながらも、口から泡や涎を垂れ流しながらも、顔を赤く染め上げながらも、自身の首を絞め続けた。


 やがて気を失うと共に、男は糸が切れた人形のように大人しくなった。両腕の力が抜けたとは言え、鞭はしっかりと男の首の頸動脈を圧迫し続けていたのだ。


 そんな父親だった死体を見下ろしながら、レベッカは呟いた。


 「......なによ、じゃない」


 その言葉の真意は、おそらく誰からも理解を得られないだろう。


 レベッカは男の首から鞭を取った。そのタイミングで、どこからとなく声が聞こえる。


 『おい、俺様は反対だぞ』


 「あら、ベンちゃん」


 『ベンちゃん呼びやめろや』


 【幻想武具リュー・アーマー】の<討神鞭>だ。“有魂ソール”故に、こうして所有者であるレベッカと会話することができる。


 『そのガキを近くの村まで連れてく気だろ』


 「ええ。そういう話だもの」


 『なんでだよ!! 依頼はどうすんだよ?!』


 「赤子一人くらいバレないわよ」


 『死体の数で、後々バレるわ!』


 「ならこうすればいいわ」


 そう言って、レベッカは初級の火属性魔法を辺りに放った。引火したそれらは、瞬く間に屋敷を火の海へと変えていく。


 『おいおいおいおい。レベッカさんよぉ、マジでどうしちまったんだ?』


 「別に~」


 レベッカは床に寝転がっている赤子を抱き上げ、早々に屋敷を後にした。


 赤子は見知らぬレベッカを見上げ、次第に泣き始めた。その声は大きく、まるで両親の死を悲しんでいるようにさえ聞こえてくる。


 「まぁ、帰りの途中に村があったじゃない? そこで適当な民家の前にこの子を置いてけば、十分約束を果たしたと言えるでしょ」


 『その村はここの領民のとこだろ。勘の良い野郎なら、領主の死と関わっていると察して、その厄介事の塊みたいな赤子を始末するはずだ』


 「ご忠告ありがと。なら、次の次の村まで連れて行こうかしら?」


 『あ』


 「ベンちゃんって、賢いのに馬鹿よねぇ」


 『んだとごらぁ!!』


 これは女傭兵レベッカが、その道を極める途中で出会った赤子との記憶である。


 この出会いが、女傭兵の将来にどのような影響を及ぼすのかは、まだ誰にもわからなかった。

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