第308話 倫理観とかいいっす

 あなたはこの水を飲めば透明人間になれます、とコップを差し出されながら言われたら、世の人間はどうするだろうか。


 想像してほしい。そう問われた場所は大勢の人に囲まれた輪の中で、周りの人々は自分に注目している状況だ。


 おそらく多くの人は――その水を飲まない。


 だって水を飲むことは、他者を欺くことを意味してしまうのだから。


 そりゃあそうだ。透明人間になったらできることは増えてしまう。何やってもバレないんだから、どう足掻いても『透明人間 イコール 悪事を働く人』となる。


 そんな奴、同じ人間として受け入れられるはずがない。


 しかし中にはそれでも透明人間になりたいと願って、その水を欲する者も居るだろう。


 でもその水を手に取ろうとした瞬間、周囲の人間は敵と化す。透明人間になる前に命を奪われるかもしれない。そもそも、その水を飲めば本当に透明人間になれるかすら確信が得られない。


 故に人間はメリットとデメリットを吟味して選択する。大衆に嫌われないようにするか、欲のままに生きるか。


 『この男、透明人間になれると聞いたら、やること決まってると言わんばかりに即決しましたよ』


 「ま、まさかここまで戸惑いがないとは......」


 「いったい何がナエドコ君の原動力になっているの......」


 『す、鈴木、お、おま......躊躇って言葉知らないのか......』


 え、僕はどっちかって? 飲むのか、飲まないのかって?


 いやいや、長々と講釈を垂れたけど、こう言うよ。


 「んなこと知らねぇんすよ」


 童貞は必死なんだ。



*****



 「「『『......。』』」」


 場に重たい沈黙が流れる。


 僕が透明人間になって悪事を働くことを宣言する行為に走ったせいだ。


 この黄金の指輪――<ギュロスの指輪>だっけ? なんかこれを使うと、透明人間になれるとかなんとか言ってたから、使わない選択肢はありえないなって思いました、ええ、はい。


 悪いですか?


 僕はミーシャさんを見やった。


 「?!」


 彼女はビクッと肩を震わせた。


 まるで不審者を目の当たりにしたかのような眼差しを、彼女は僕に向けている。


 あれ、この【幻想武具リュー・アーマー】、スキルは勝手に発動しないんだよね。発動したら、周囲の人間から嫌われるっていう代償があったのは覚えている。


 僕はまだスキルを使った覚えが無いんだけどな。


 「あの」


 「な、なにかな? 聞かれてもワタシが借りている部屋の番号は教えないよ?」


 「......。」


 まだ何も言ってないのに、僕が透明人間になって覗きに行くと思い込むのはどうかと思う。


 でも僕に責める資格はないから何も言えない。


 そんな僕に、サースヴァティーさんが声をかける。若干怯えた声で。


 「な、ナエドコ君、その指輪の力を使っていなければ、まだ容易に外すことができる。さぁ、力に溺れる前に、その指輪を私に......」


 と、サースヴァティーさんが小さな御手手を僕に差し出してきた。


 でも僕は無言で、左手をサッとズボンのポケットの中にしまいこんだ。


 明確な拒絶の意思を示すかのように。


 「「......。」」


 再び、場に重たい沈黙が訪れた。


 今度は僕から口を開くことにした。


 「今日は誘ってくれてありがとうございました」


 「このタイミングでお礼を言う神経......」


 「では気を取り直して、物色の続きといきましょうか」


 「も、もはや率先して動く気だね。彼の目は宝探しをする者のそれになっている」


 『い、一応、この保管庫の中は呪具だらけだから、迂闊なことしてほしくないんだが......』


 『個人的には苗床さんに乗り気になってもらえて嬉しいのですが、価値観のベクトルが予想より斜め上で対処に困ります......』


 そんなこんなで、僕らは日が昇るまで<三想古代武具>の物色をするのであった。



*****



 「あ、レベッカさん」


 「あら、スーく――ん?!」


 物色から帰ってきた僕は、部屋の前で偶然にもレベッカさんと遭遇した。


 今回の依頼は彼女と僕の二人一組で雇われたわけだが、見張り役は朝と晩で分かれていた。レベッカさんが昨晩から今の時間まで見張り役などをして、僕は空いた時間は自由に過ごしている。で、時間が来れば役割は逆転する。


 正直、あっという間に一日が過ぎて楽な案件だな、という感想しか湧かない。それに今回の護送では、相当の数の護衛役が雇われているし。


 で、僕らが借りている部屋で、レベッカさんと僕は遭遇したわけだが、先方からやや素っ頓狂な声が上がった。


 レベッカさんが僕の顔に指を指して言う。


 「な、なにかしら、そのマスク」


 『かっちょいだろ!』


 『普通です、普通』


 「ああ、これですか」


 そうだった。今の僕、死ぬまで外れない仮面を着けているんだった。


 この仮面の正体について、とりあえず彼女に説明することにした。


 「これ、<パドランの仮面>という【幻想武具リュー・アーマー】です。死ぬまで外れないみたいです」


 「......行くとは思ってたけど、初日から真っ先に保管庫に向かうなんて......」


 軽く引いた様子を見せるレベッカさん。


 僕だって好きで行ったんじゃないんですよ。


 あ、そうだ。あのミーシャさんとサースヴァティーさんのことを伝えとこ。僕は部屋に戻って、レベッカさんとお茶しながら話した。


 レベッカさんは僕に聞かされた話しに、特に驚いた様子も見せず、平然と茶を啜って言った。


 「へぇ。まぁ、この船には色んな人が乗っているから不思議じゃないわね」


 「にしても、まさか<幻の牡牛ファントム・ブル>が関わっているとは......」


 「関わっていると言っても、下っ端なのでしょ? そのミーシャって人と、サースヴァティーという龍種の子は」


 「みたいですね。少なくとも<5th>や<4th>、<1st>と面識のある僕からしたら、たしかに幹部じゃないように思えます」


 ただ油断ならない存在ってことには変わりないが。


 レベッカさんは「安心なさい」と言ってから、言葉を続けた。


 「私たちの目的はこの船の護送。ギワナ聖国で何かするわけじゃないのだから、国に到着したら関わることは無いでしょう?」


 「そうですけど......」


 ミーシャさんたちの目的は二つ。この船に積まれている<三想古代武具>の物色と、ギワナ聖国での潜入調査。後者に関して、是非協力してほしいと声をかけられた僕だが、手伝う義理は無い。国についたら、とんずらしよう。


 斯くして、護送生活は二日目を迎えるのであった。

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