第295話 クズ

 「自分で削いでみて、その耳」


 ドララドが愉快そうな笑みを浮かべながら、ウズメにそう言った。


 ウズメは自身の前に置かれた短剣を見つめた後、眼前の男の顔を見る。男の目は酷く淀んでいて、冷ややかな視線をウズメに浴びせていた。笑みこそ浮かべているが、当然、そこに優しさなど微塵も感じられない。


 『こ、この外道がッ!』


 『......落ち着きなさい。今動いては、苗床さんが殺されます』


 『でも!』


 『堪えなさい』


 『......くそッ』


 鈴木の方から魔族姉妹の声が聞こえる。


 ウズメは隣に立っている鈴木の方を不意に見やった。鈴木は疎か、魔族姉妹は助けてくれない。ここで動いてしまえば、敵の意識を鈴木へ向けてしまう。だからこの窮地は自力で乗り越えないといけない。


 鈴木が殺されてしまうのは......絶対に嫌だ。そんな胸中がウズメの中にあった。自然と隣に居る鈴木の服を掴んでしまう。震える手で握り締めてしまう。


 ドララドはそんなウズメの仕草に気づいてしまった。


 もはや取るに足りない存在の鈴木に意識を向ける。ウズメの何かに縋るような思いを汲み取って


 「はは〜。そうかそうか〜」


 ニタァと不気味な笑みを浮かべて、ドララドは鈴木の頭に手を当てた。


 「ふひッ。もしかしてこの男が大切なのか。仲間だもんね〜」


 「っ?!」


 「頭に穴をあけちゃおうかな〜」


 「や、やめッ――」


 ウズメがドララドの行動を止めようと、傷を負っていない片足だけでその場に立とうとした時だ。


 「おいおい。反抗するなよ」


 「っ?!」


 ズドン。ウズメが軸足にしようとした足が撃ち抜かれる。


 先程と同じように細い螺旋状の雷の槍がウズメの足を貫いたのだ。細いその形状は殺傷能力こそ低くても、痛めつけるのには最適と言わんばかりの代物である。


 先程、撃ち抜かれた足は【回復魔法】で止血程度の治療は行った。しかし新たに作られた穴から血がドクドクと流れ落ちる。


 さすがに次も【回復魔法】で治癒することを、相手は許してくれないだろう。故にウズメは苦痛で顔を歪めることしかできなかった。


 「ぐぅ......」


 「ちなみにさ、ここの伯爵、お前と同じくらいの年のガキがいたんだよ」


 激痛に苦しむエルフの少女を見下ろしながら、ドララドは語り始めた。


 「俺にコルポギス伯爵の護衛依頼が来た時は、運に恵まれたと思ったよ。知ってるか? 近くにはお誂え向きのモンスターが居るんだぜ? Aランク討伐指定のトノサマグリズリー。何か都合が悪いこと起きたら、全部モンスターのせいにできんだもん」


 ドララドの言っていることがわからない。いや、理解はできるが、なぜここで起こった不祥事をモンスターのせいにするのかがわからなかった。


 ドララドは続ける。


 「でさ、俺はこの屋敷に来てまず最初にやったことって何だと思う? なぁ!」


 「っ?!」


 ドララドはウズメが両手で押さえている患部を踏みつけた。痛みを与えるように、まるで羽虫を踏みつけるかのように。


 ウズメは必死に声を押し殺した。ドララドは加虐嗜好が刺激されて、興奮に息を荒らげる。


 「まずは全員に俺の【固有錬成】で催眠状態にした! 当然、伯爵には二人の子供が居たし、そいつらにもかけた! どっちも同じ顔した見分けのつかない兄弟だったよ。見分けつかなかったから......殺しちゃったぁ」


 ドララドは当時のことを思い出しながら、恍惚な笑みを浮かべる。


 「もちろん、俺が直接殺ったんじゃない。トノサマグリズリーの居る森へ、そのガキどもに散歩させたんだ」


 さもまるでペットに散歩させたかのようにドララドは語る。


 「で、見事、森のクマさんと対面した瞬間――」


 そう言って、ドララドは両手をパンッ合わせて音を鳴らした。


 「【固有錬成】を解除したんだ」


 その行為の意味は――絶望の開示であった。


 「先に殺されたのは......弟の方かな? なんか間抜け面晒してた(笑)。でも一瞬で......ブシュッ!!」


 ドララドは片手でもう片方の手を押しつぶすかのように見せつけ、当時の光景を熱弁する。


 「で、生き残った兄の方は、一瞬何が起こったのかわからなかったけど、自分の肩に乗ったのが千切れた弟の腕ってことに気づいた途端、発狂したんだ。すげぇ声で泣いて逃げんの。逃げ切れるわけないのにね?」


 ドララドは愉快そうな素振りで、しゃがみ込み、ウズメの白銀色の髪を掴んだ。


 「そこのクソ雑魚Dランク冒険者にも同じことしてあげよっか?」


 「あぅ」


 ウズメはドララドの笑みが目に焼き付いてしまい、涙を流す。虚しくも自身に選択肢は無い。数年前から長きに渡る奴隷生活で、この世が如何に弱肉強食の上で成り立っているかを身をもって知っているからだ。


 もはや逆らう気すら起きなかった。


 『姉者、駄目だ。もう我慢ならねぇ』


 『......お願いします。私たちには......苗床さんが必要なんです......可能性に賭けたい』


 『......。』


 妹者の憤怒を姉者は許してくれなかった。如何に傷つこうと鈴木が目を覚ますまで行動はできない。ひとつ間違えてしまえば......この世に鈴木という存在は消えてしまうのだから。


 今の魔族姉妹には激情に身を任せることすら許されなかった。


 「カウントダウンしま〜す」


 しかし男はどこまでも非道にして、下種であった。


 ウズメは小声で言う。


 「や、やります」


 「ひゅ〜。そう来なくっちゃ」


 ウズメは床に落ちている短剣を手に取り、自身の右耳の付け根に当てた。息を整えようとするも定まらない。かひゅっと掠れるような息が続いてしまった。


 それでもウズメは歯を食いしばった。目を瞑った。鈴木を......大切な人を......縋れる存在をもう失いたくないと願っていたからだ。


 故にウズメは――短剣を一気に振り下ろす。


 「ッ!!!!」


 ブシュッ。ウズメの右耳があった箇所から血が盛大に吹き出る。


 「うぅううぅああぁぁあああああ!!!」


 「おいおいおいおい! マジかよ!! マジでやったよ!! ぶひゃッ、ぶひゃひゃひゃひゃひゃ!!」


 ウズメが短剣を落として、片耳を失った箇所を両手で押さえた。血が止めどなく溢れ出て、この世のものとは思えない程の激痛がウズメを襲う。声にもならない絶叫が、少女の口から漏れた。


 それを見て愉快そうに笑い転げるドララドは腹を抱えていた。


 まさか本当にエルフが人間を守るために行動を取るとは思わなかったのだ。他種族故に、上っ面だけの関係だと読んでいた男であった。


 「ふひッ。やっべ、マジで面白い。てかエルフの耳って感度が高いんでしょ、人間と比べて。それを自分で削ぎ落とすとか(笑)」


 ドララドは面白くて仕方がない光景に、さらなる要求をした。


 「そうだ、今度はその削ぎ落とした耳を食べてみてよ! もしかしたら生えてくるかも――じぇッ」


 そう言いかけた瞬間であった。


 ドララドの顔面の輪郭が歪む。


 左の頬からめり込む拳が男の顔を歪ませたのだ。そしてそのままドララドは何も理解できないまま、部屋の壁を何枚も突き破って吹っ飛んでいった。


 ドララドの頬を殴ったのは――。


 ウズメは目の前に立つ人物を見て視界を歪ませた。


 涙で滲んだ視界の先、エルフの少女は待ち望んでいた者の背を見る。


 「ここまで頭に来たのは初めてだよ。......覚悟はいいな?」

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