第294話 両手はいつだってウルサかったんだ

 『マイケル、入るわよ』


 帝国城、皇女の寝室にて、ロトルさんはこの部屋の主にも拘らず、既に中に居る僕に対してそう声をかけ、扉を開けた。


 夜の今、後は寝るだけという頃合いで、僕は皇女の寝室にある天蓋付きのベッドの端に腰掛けている。


 落ち着かなかったんだ。これから僕は初夜を迎えるみたいだし。身体はとっくに童貞じゃないらしいんだけど。


 変な話があったもんだ。


 「ろ、ロトルさん、お疲れ様どぅえ――」


 僕は部屋の中に入ってきたロトルさんを見て、目を見開いてしまった。


 この部屋にある灯りはそう多くない。あるとしたら、ベッドの横にあるアロマキャンドルが灯す火くらいだ。あとは窓辺のカーテンは半開きで、月明かりが薄っすらと差し込む程度である。


 だからこの部屋に入ってきたばかりの皇女さんの姿ははっきりとしないんだけど......。


 「......。」


 「なによ?」


 すごく、すごくスケスケで生地の薄いワンピース――ランジェリーを纏っていた。


 未発達とは言え、異性の身体のラインがはっきりする衣装に、僕は思わず目を逸らしてしまった。


 「な、なんて格好しているんですか......」


 「え゛」


 ロトルさんから間の抜けた声が聞こえてきた。


 「ど、どうしたのよ、今日はいつになく初々しいじゃない」


 「い、いや、その、はは......」


 いやだってわからないもん。どんな反応すべきかわからないもん。


 ああー、結局何も思い出せないまま夜を迎えてしまった。


 僕は本当にこのまま流れに身を任せて、ロトルさんと一線を超えちゃっていいのだろうか。いや、昨日までの僕は一線どころかハードル走するくらいハッスルしてたみたいだけど。


 そんなことを僕が考えていたら、いつの間にかロトルさんが僕の隣に来て、腰掛けていた。アロマキャンドルとは違う甘い匂いが漂ってきて、頭がくらくらしそうである。彼女は僕の顔を心配そうに覗き込んできた。


 「本当に大丈夫?」


 「っ?!」


 角度的に彼女の見えちゃいけないところが見えそうだったので、僕は明後日の方向を見やる。


 「......。」


 「あ、あはは。えっと、今日は殿下もお疲れでしょうし、ゆっくり身体を休めましょう」


 「えい」


 「っ?!」


 可愛らしい声と共に、僕はロトルさんによってベッドに押し倒されてしまった。彼女はそのまま僕に抱き着いてくる。


 こちらの心音を聞くかのように、僕の胸に自身の耳を当てていた。


 そして彼女は聞いてきた。


 「今から変なことを聞くかもしれないわ」


 「え?」


 「ねぇ、あなたは本当に私の知っている“マイケル”なの?」


 「......。」


 彼女の問いかけに、僕は即答できなかった。


 “マイケル”。たぶん僕の名前なんだろう。パッと来ないが。ただそれよりも呼ばれ慣れてる名前が僕にはあったはず......なんだが思い出せない。


 黙り込む僕に、皇女さんは続けた。


 「あの日、あなたは<屍龍>から私の命を救ってくれたわ」


 ああ、そうだ。僕はロトルさんを助けた。当時はそんなつもりは無かったんだけど、成り行きだが、結果的にロトルさんと知り合えるきっかけにもなった。


 でも、それは僕の力だけじゃなかった――はずだ。


 「あの日、あなたは闇組織から何度も殺されそうになった私を助けてくれたわ」


 そうだ。人造魔族や<幻の牡牛ファントム・ブル>の幹部である<4th>も退いたのは僕だ。


 そのはずなのに、その場には僕じゃない誰かが居たことを思い浮かべてしまう。


 僕の隣に誰かが立ってくれていて、一緒に窮地を乗り越えてきたんじゃない。


 “隣”なんかじゃない。もっと近くに居てくれた存在――。


 「そして......王国との戦争も、あなたのおかげで防げたわ。マイケルは紛れもなく私の命の恩人。私の全てをあなたに捧げたいと思っているの」


 「......。」


 そんな彼女の甘い言葉を掛けられても、僕は両手を天に掲げて、返答をしなかった。それどころか、返答にはならない言葉を紡いでしまう。


 「


 「え?」


 僕の言葉に、上に居るロトルさんは目をぱちくりとさせた。それでも僕は両手を見上げたまま続けた。


 「とても......静かだ。あなたのような美少女に抱きつかれてベッドに押し倒されたら、絶対に騒がしくする連中が居るはずなのに......今は居ない」


 「えっと......この部屋には私とマイケルしか居ないわよ?」


 違う。そうじゃない。


 僕の両手には――“口”があったはずだ。


 すっごく口うるさくて、こうやって美少女と行為に走ろうとしたら、絶対に邪魔してくる存在だ。でもいっつもその存在に助けられてばかりだから強く言えなかった。


 僕は......そんな両手にあった“口”の存在を忘れてはいけなかったんだ。


 ――


 「ロトルさん」


 「......なに?」


 僕はロトルさんを抱きしめつつ、身を起こした。彼女の声音がどこか低く感じるが、気にしている場合じゃない。


 僕は謝った。


 「ごめんなさい。僕にはやらないといけないことがあるんです」


 「......やっぱり」


 「え?」


 彼女が小さく呟いた言葉に、僕は思わず聞き返してしまった。彼女は苦笑しながら続けた。


 「やっぱり、マイケルはマイケルねって」


 「それはどういう......」


 「今朝、私のことを“ロトルさん”って呼ぶから、何のつもりか問い質そうか迷ったわよ」


 そんなロトルさんの顔は不満気だが、どこか納得のいったような明るさがあった。


 僕が“ロトルさん”って呼ぶことがそんなに変なことなの? まさか夫婦という仲になっていたから、“ロトル”って呼び捨てにしてたのかな?


 「え、えっと、呼び捨てでしたっけ?」


 「ふふ。仮とは言え、未来の奥さんにそんなこと聞く?」


 「うっ」


 悪戯っぽく笑みを浮かべる彼女は、僕の頬に手を添えた。僕よりも三つ年下なのに、妖艶な瞳で見つめられると、心臓がドキリと脈打ってしまう。


 「以前、私が愛称で呼んでってマイケルに頼んだのよ。私には愛称なんて無いのにね」


 そりゃあそうだ。彼女は父親からも“ロトル”と呼ばれていたし。


 それでもかまわず、彼女は僕の耳元で囁いた。その息が、声が、僕の心臓をこれでもかと高鳴らせる。


 「“ロト”。たった一文字略しただけなのに、あなたは自慢気に言ったわ。『一文字削られてもあなたは美しい』って。......愛してるわ、マイケル」


 その言葉を最後に、僕の意識は暗転する。おそらく元いた世界に戻るのだろう。


 でも、その、なんだ。この世界の僕、そんな恥ずかしくて意味わからんこと言ったのか......。

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