第281話 旅に出よう
「はぁ......結局、ロトルさんは最後まで顔を合わせてくれなかったなぁ」
『まぁ、そんなものですよ。元気を出してください』
姉者さんにしては珍しい言葉が飛んできたな。
現在、僕は帝国城の裏口から退城しようとしていた。ここには皇帝さんが手配してくれた馬車があり、今からそれに乗って、この城......いや、この国からおさらばするのである。
また付近に人は居ない。おそらくバートさんが気を使ってくれたのだろう。
日は既に昇りきっているのだが、城門付近とあってか、やや陰っている。心做しかジメッとした湿り気がある気がするが、お城の裏口とはそういうものなのだろう。
「すまんな......」
そんなことを考えていたら、バートさんが苦笑しながら僕に謝ってきた。主君である皇女さんに代わっての謝罪だろう。
皇女さんは僕が旅に出ると意思を示してから、人が変わったように僕との距離を置いた。どう思ったのかは定かじゃないが、良くは思っていないはずだろう。そう思えるくらいには、僕と皇女さんの仲は深かったと思う。
それでも最後くらい、顔を見たかった。
「残念ですが、よろしくお伝え下さい」
「わかった」
僕はそれだけ伝えて、馬車に乗り込もうとした。
馬車の中にはルホスちゃんとウズメちゃんが居る。前者の艶のある黒髪の少女は両側にある片方の席を独占して寝そべっている。後者の白銀色の髪をした少女は、窓際に座って外の景色を眺めていた。
そんな二人が僕の存在に気づく。
「お、やっと出発か」
「うん」
「ロトル様とは話せませんでしたか......」
なにやら退屈そうにしていたルホスちゃんと、残念そうな顔つきになるウズメちゃん。
僕は苦笑しつつ、ウズメちゃんの隣の席に座ろうとした――その時だった。
「マイケルッ!!」
「『『「「っ?!」」』』」
魔族姉妹も含め、僕らは全員その大声に驚いてしまった。声からしてわかっていたが、馬車の外に出るとそこには――
「ろ、ロトルさん」
『なんだなんだ』
『なんか息荒いですね。走ってきたのでしょうか』
この国のお姫様が居た。姉者さんの言う通り、少し息が荒いのは城からここまで走ってきたからだろう。
彼女の美しい金色の長髪は日に当たらないこの場所でも目立っている。ルホスちゃんたちよりもやや年上で、僕と近しいからか、その容姿は見惚れてしまうほど可憐だ。
また彼女は強気で、それを体現するかのように少し吊り目なところが愛らしい少女だ。そんな彼女のルビー色に輝く瞳が、遠目からでもわかるくらい僕を捉えていた。
皇女さん――ロトルさんはドレスの裾を両手で持ち上げて、僕らの居る下へズカズカとやってきた。
な、なんか覇気があって緊張するな......。
馬車から降りた僕は、皇女さんが目の前に来るのを待った。ロリっ子共は馬車の中から顔を出して、そんな僕らを見ている。
「お、お会いできて嬉しい......です?」
「なんで疑問形なのよ......ったく、相変わらずパッと来ない男ね」
「あ、あはは」
こうして皇女さんと話せたのが久しぶりのように感じる。
い、一応、お別れの挨拶に来てくれたんだよね?
そんな僕の疑問を察したのか、皇女さんが深呼吸した後に口を開いた。
「言いたいことが二つあるわ」
そう宣言した後、彼女は僕に抱き着いてきた。
「『『っ?!』』」
香水なのか、花の香りがふんわりと漂ってくる。
僕を抱きしめてくる彼女の腕に込められた力は未だかつて無いほど大きかった。それでも少女の握力では苦しさは感じられない。
そして密着したからわかる......彼女は震えていた。
やっぱり僕らと別れるの、辛いんだろうなぁ。付き合いは長くなかったけど、それなりに仲は良かったと思えるし。
『て、てめぇ、離れろ――』
『はいはい、あなたは黙っていましょうね!!』
すぐさま右手がロトルさんの後頭部を鷲掴みしようとしていたが、既の所で姉者さんが右手を押さえつつ黙らせて、そのまま皇女さんの背中へと持っていく。
必然、僕も彼女の背に腕を回す形となってしまい、傍から見たら完全に男女のハグだ。
ハグだ(大切なことなので二回言いました)。
「......優しいのね」
僕がすぐに抱き返したのが意外だったのか、ロトルさんが僕の胸に顔を埋めながらそんなことを呟いていた。
ほぼ奇跡的な行動に違い無いのだが、まぁ、うん、ロマンチックな展開と捉えよう。
右手から『ふがー!ふがー!』と聞こえてくるが。
「言いたいこととは......なんでしょう?」
僕がそう聞くと、彼女は静かに答えた。
「ちゃんとお礼を言いたかったのよ。戦争の件も含め、出会ったときから私はあなたに何度も救われたわ」
「美少女を助けるのは男の役目です」
僕の即答に、彼女は苦笑した。
「今までありがとう。それと......大したお返しもできなくて申し訳ないわ」
少し悲しげに言う皇女さん。
大したお返しもできなかった、と彼女は言った。そう、僕は報酬を一切貰えなかったのだ。ギリギリまで粘ったのにな。あの日、皇帝さんたちにこの国を出ますよ宣言してから、報酬の話を切り出せなかったのである。
しくった。話題の順番ミスった。そう後悔した僕であった。
てか相手も相手だよね。なんで活躍した僕に報酬渡さないのさ。もしかして見返りを求めない人物だと僕は思われてる?
が、今更こんな別れ間際に「金目の物ください」なんて言えない。
ロマンチックな雰囲気を崩しちゃいけないのだ。
「はは、気にしないでください。どうしてもと言うのでしたら、僕の頬にキスの一つでも――」
そう冗談を言いかけたときだった。
「ん」
いつの間にか、皇女さんの顔が視界いっぱいに広がっていた。
彼女の両手は僕の首の後ろの方で組まれていて、身長差を埋めようと背伸びしていることに気づく。
真正面から近づいた彼女は、僕の口に――唇に、自身の唇を重ねてきたのだ。
「っ?!」
「「ああー!!」」
後ろの方でロリっ子共が叫ぶが、そんな声が気にならないほど、僕は今しがた起きた出来事に唖然としていた。
人生初の――異性からのキスである。
彼女の唇は柔らかくて、水っぽくて、すべすべで......なにこれぇ。
やがてゆっくりと僕の唇から自身のを離した彼女は、その愛らしい顔を真っ赤に染めながら口を開く。
「ほ、本当は何かお金になりそうな物を渡したかったのだけれど! 未然に防げたとは言え、我が国は軍を動かした訳じゃない? 体制を再編成するのも時間とお金がかかるのよ! だから色々とこれから資金が必要ってわけ!」
すごく早口だ。全然聞き取れないほど、彼女は焦って次から次へと口にする。
未だに放心状態の僕が、ほぼ無意識に彼女の名前を呼ぶと、彼女はそれまでのマシンガントークを止めて、落ち着いた様子で笑みを浮かべた。
その笑みはとても優しくて、どこか色気のある笑みであった。
「私の初めてよ。これで許しなさい」
きっと僕はアホ面を晒している。それ程までに、先の出来事は衝撃的だった。
そして魔族姉妹も同じくらい面食らったのか、先程までの騒がしさが嘘のように静かになり、両手から力が抜けていくのを感じる。
ロトルさんが僕から離れるよう数歩下がった。
「私、女帝になるわ」
「......え?」
「この目的は昔から変わらない。マイケルのおかげよ。ありがと」
......そうか。やっぱり彼女は皇帝さんの後を継ぐ気なんだ。
「立派な女帝になって、この帝国をもっと豊かに、そして笑顔で溢れさせるの! ママの夢を私が叶えるわ!」
ロトルさんは満面の笑みを僕に見せながら語った。
「胸張って自慢の国って言えるよう......マイケルに見せられるようにするから......」
次第に彼女の笑みが歪む。目元に大粒の涙が浮かぶ。そして......声が震える。
「するから......そんな国になったら......ずっと........ずっと私の側に居て..........近くで.......支えて......」
耐えきれなくなったのか、ロトルさんは俯いてしまった。頬を伝って落ちる涙が地面を湿らせる。彼女の握り締められた両の拳は、痛々しい程に力が込められていた。
僕はそんな彼女に近づいて、片膝を地に着ける。下から覗き込めば、彼女は目元を赤く腫らしていた。こっちまで胸が張り裂けそうな気持ちに駆られてしまう。
僕は片手を彼女の手に添えて言った。
「是が非でも。いつでも僕を
斯くして、僕らの長いようで短かった帝国での生活に終止符が打たれたのであった。
******
「殿下......」
既にこの場を発った馬車の後ろ姿はもはや見えない。
それでもどこか名残惜しそうな顔をする主人に、女執事は声をかけずにはいられなかった。自分の主人は間違いなく、あの冒険者の少年に恋をしている。
願わくば一時的なもので、時間が経つに連れて、その気持ちが薄れていってほしい。そう思ってしまうほど、バートは今のロトルを見ていられなかった。
「はぁ......私、頑張ってプロポーズしたつもりなんだけど......伝わったかしら?」
「......。」
どこか誤魔化すように、溜息を吐くロトルは、どこにでも居る少女のそれであった。バートは言葉を返せなかった。
ロトルが踵を返し、城内に戻ろうと歩を進めた。
「さてと、これから忙しくなるわね。バート、覚悟はいい?」
「この身が滅ぶまで。いえ、滅んでもお仕え致します」
「物騒なこと言わないでくれるかしら......」
やがて帝国皇女ロトル・ヴィクトリア・ボロンは後に女帝の座に君臨するのだが、それはまた別の話である。
―――――――――――――――
毎度ご愛読くださりありがとうございます。
次から新章です。
お楽しみください。
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