閑話 片道切符
「ルホスちゃん、帝国に行きませんか?」
「?」
マーレは優しげな笑みを浮かべて、目の前に居る鬼牙種の少女、ルホスにそう問い掛けた。
その笑みは形だけのもので、目は全くと言っていいほど笑っていない。
王国内にある教会が、元Aランク冒険者の<剛腕狩人:ヘドナ>率いる盗賊に襲撃されてから二日が経った。
当時、一番の功労者であるルホスは、今はマーレの家にて、ソファーの上で横になっていた。
少女は寛いでいる訳ではない。
ルホスは全身に酷い筋肉痛を負っていて、身動きがまともに取れないのだ。
ルホスが動く場面と言ったら、用を足しに行くときだけだ。
水浴びはできないため、マーレにほぼ毎日身体を、湯水を湿らせた布で拭いてもらっている日々を送っていた。
「どうした、急に」
「ナエドコさんに会いたくないですか? 寂しくないですか? 寂しいですよねぇ」
ずい。ずいずい。マーレはその目が笑っていない笑みを浮かべながら、ソファーの上で横たわるルホスに迫った。
その尋常ならざる雰囲気に、ルホスは思わず身構えてしまう。
「い、いや、寂しいけど」
「では行きましょう!」
「でも我のこの状態じゃ、スズキの下へ行っても何もできん」
「では治ったら行きましょう!」
「ど、どうしたんだ、本当に......」
マーレはこの二日間、ルホスの面倒をつきっきりで看ていた。
朝、起床したら、同じく起きているルホスに食事を与え、日中はギルド職員として仕事をし、帰ってきたら今度は夕飯を与えていた。
今まで媚びたい異性にしかやってこなかった「あーん」を、この鬼牙種の少女にしてやった。
それ自体、苦労はそこまでではない。
が、問題はその量である。
「正直、色々と限界なんです」
「?」
ルホスに背を向けたマーレは、少女が位置的に自分の顔を見れないことをいいことに、全く笑っていない笑みを掻き消して真顔になった。
ルホスがこの二日間で摂った食料は、一般成人男性の消費量と比較するならば、約六十食分に上る。
普段以上に食べていた。育ち盛りだからという理由で、片付けて良いレベルではない。
正直、常軌を逸していると言う他なかった。
無論、最近は教会に通っていたおかげで、その食費はマーレの負担にはならなかった。
が、この体たらくだ。動けない上に暴食という、まさに経済の厄災と言わざるを得ないルホスに、マーレは限界を迎えていた。
金欠でどうにかなりそうである。
まさかこの状態で面倒見れないからと行って、教会に押し付けるわけにもいかない。
マーレに保護者という意識はないが、半ば途中でルホスを見捨てるのも気持ち的に憚れた。
しかしものには限度がある。
故に今更になって教会に押し付けるのではなく、帝国に居るスズキの下へ送り届けることを決意した。
「なんで急にスズキのとこに我を連れて行こうとするんだ?」
「おほほ。なぜでしょうね〜」
「というか、どうやってスズキの下へ?」
「ナエドコさんは帝国のお城に居るみたいですので、【転移魔法】を使ってあなたを送り届けます」
「な、なぜもっと早くそれを言ってくれなかった......」
「......私も今になって後悔しています」
もっと早く送ってほしかった。
もっと早く送りつければ良かった。
二人は同じ気持ちに駆られた。
『え、ナニ? お嬢、帝国に行クの?』
「「っ?!」」
この場に聞くはずのない第三者の声を聞いて、マーレとルホスは驚いた。かなり年配の男性の声だが、酷く掠れて聞き取りづらい。
声のする方へ振り返ると、そこには一体のモンスター――スケルトンが居た。
真っ白な頭部には金色に輝く王冠が乗せられており、細身には似つかわしくない重圧感を漂わせる長い外套が床を撫でていた。
眼窩には深紅色の炎が灯されており、ゆらゆらと静かに揺れている。
また両手の五指に豪勢な装飾品があり、指輪、腕輪一つ一つに同一な物は存在しない。すべて不揃いだが、どれか一つだけでも一財産を築けるほど神々しい。
そんなスケルトンには相応しくない、豪華絢爛な容姿をしたモンスターは、マーレの一人暮らしの空間で佇んでいた。
このようなスケルトン、世界中どこを探したって居ない。居るはずもない。
ビスコロラッチ。異名は<
一言で言ってしまえば、闇の支配者というに相応しい存在だ。
「お、お祖父ちゃん?!」
『ひさしブり』
「ら、ラッチさん......勝手に人の家に上がらないでください......」
『めンご』
どこか軽い調子で、ビスコロラッチは答えた。
急な訪問者。それも大物。おそらく今この国の実力者たちが束になっても敵わない存在が、この空間に居る。
マーレは頭を抱えたくなった。
「あなた、軽い気持ちで王国に入っていいのですか?」
『一応、大丈夫ジャ』
「い、一応ですか......」
『アーレスとかいう化け物女は帝国に居るみたいジャし、タフティスとも顔見知りジャから、たぶんあの男には侵入してきたこトはバレてると思うが、敵意出してないし、下手に戦闘に持ってく方が嫌じゃロ。この国消えちゃうヨ』
と、饒舌に語るビスコロラッチを前に、マーレはこれ以上の言及は止めることにした。
王国騎士団の総隊長がそれでいいのかと不安にもなるが、ビスコロラッチの性格を知ってか知らずか、放置するという中々柔軟な思考の持ち主でもあることに、マーレはある種の評価もしていた。
『で、お嬢、帝国行くン?』
「え? あ、うん。行けるなら行こうかな」
と、祖父の問いに、ルホスは淡々と答えた。
『そうカ......帝国に行きたいカ......』
「えっと......駄目?」
「......。」
マーレはなんかむず痒かった。
全く今の話と関係無いが、ルホスがいつも自分に対して使う口調と、祖父に向けるそれが違ったからだ。
後者の方がよっぽど年相応に無邪気さや可愛らしさがあるではないか。
マーレはツッコみたくて仕方がなかった。
『いや、トめんよ? ただ......』
「ただ?」
『お嬢、【棍牙】を使えるようになっタな?』
「あ」
そう問われて、ルホスは様子を一変させた。
「そう! それ! 私、【種族固有魔法】というの使えるんだって! 実際、初めて使ったけど!! なんで教えてくれなかったの?!」
『う、ウーん。別に教えル気が無かった訳じゃないんじゃが......』
「あれ、すっごく強いんだよ! びっくりした!」
『お、落ち着こウか』
興奮する孫娘に、ビスコロラッチは若干気圧されていた。
その光景が不思議で仕方ないマーレはだんまりである。
ビスコロラッチは顎に手を当てて、真面目な口調で語った。
『お嬢、お願いガある。【棍牙】はもう使わないでクれ』
「っ?!」
その言葉に、ルホスは絶句した。
マーレはというと、どこか納得のいった顔つきである。
(たしかに【棍牙】は破格の力を得られますが、今のルホスちゃんの様子を見るに、代償が大きすぎますからね)
そう思うマーレであった。
【棍牙】という【種族固有魔法】をマーレは知っていた。
初めて使ったら、誰しも今のルホスのように全身筋肉痛に苛まれる。ルホスに限った話ではないのだ。
が、ルホスの場合は少し訳が違う。
それは、
「な、なんで......」
『お嬢、【棍牙】一振りで力尽きただロう』
「っ?!」
コストパフォーマンスが非常に悪いこと。
魔力の消費はもちろんのこと、全身への負荷が尋常ではない。今のルホスは傷こそ完治しているが、なぜか筋肉痛だけは治っていなかった。
それに今となっては、筋肉痛だけではない。なにか骨が軋むような違和感さえあった。
『戦場では使い物にならんヨ』
「で、でもこれから練習すれば――」
『それも止めた方ガええ』
「なんで?!」
祖父の多くは語らない言葉に、ルホスは興奮を抑えきれずに問い質した。
ビスコロラッチは静かに答える。
『【棍牙】は肉体が一人前に育ってから初めて使えて、徐々に慣らしていく魔法ジャ』
「じょ、徐々に?」
『ウむ。今のお嬢が生成だけデもすれば、体内を巡る膂力のバランスが崩れテ、呼吸一つでもタイミングがズレたら重症になル』
「で、でも前はそれくらい――」
『偶然じゃナ。呼吸一つで敵との間合いを一瞬で詰め、一振りデ戦いを終わらせた。その一連の流れが偶々良かった二過ぎない』
「そ、そんな......」
ルホスが絶望したような声を漏らす。
それに同情したのか、ビスコロラッチは孫娘の頭を撫でた。
『【反転魔法:修復】』
瞬間、ルホスの身体が淡い白光に包まれる。
「あ、筋肉痛治った」
『【修復】は【回復魔法】と違って元に戻すだけじゃカらな』
「そっか。ありがと」
『ウむ』
ルホスは先程までの絶望感を他所に、ようやくまともに動かせるようになった自身の身体を動かした。
『じゃ、儂は帰るかのウ』
「え、もう帰るんですか?」
『ちょっと声上擦ってナい?』
マーレは嬉々とした声音で言ってしまったことに、言われて気づく。
『あんま長居してもネ? 一応、用は済んダし』
「そう......。また今度家に帰ったら、ゆっくり話そうね」
ルホスのその言葉を最後に、ビスコロラッチは【転移魔法】でこの場から姿を消した。
静寂を取り戻したのも束の間、自然な流れでこの場から立ち去ったビスコロラッチに用があったことを思い出して、マーレが一際大きな声を上げた。
「あ!!」
「ど、どうした、急に」
「あの骨にお金返してもらわないといけなかったの忘れてました!!」
そういえば、以前、闇オークションで祖父を競り落としたとかなんとか言ってたことを、ルホスは思い出した。
ルホスは居た堪れない気持ちに駆られたので助言する。
「直接、お祖父ちゃんの家に行ったら?」
「場所知りませんよ! あなたは?!」
「わ、我は攫われて王国に来たから、帰り道なんてわかんない」
「......。」
それで先程、よく「また今度家に帰ったら、ゆっくり話そうね」と言えたもんだ。
マーレは終日、不満な気持ちに駆られるのであった。
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