第224話 長い時を経て復讐

 「な、なんだこれは......」 


 日付が変わって間もない夜間帯、荒れ果てた闇組織の本拠地を前に、帝国宰相クハロ・マップーは唖然としていた。


 今日は月に一度の定期会議だ。


 クハロは目立たたないよう外套を纏っているが、その中には身なりのいい貴族服を着ている。


 そして彼の手には一本のワインボトルが握られていた。


 クハロは七年前、闇組織の襲撃の際に意図して片腕を失ったが、もう片方の腕は健在だ。その腕に、年代物のワインボトルが握られている。


 もう直、王国との戦争が始まる。始まれば、宰相が闇組織を手引きして、隙を突いて帝国を内部から支配することが可能だ。


 そしてその支配の座に着くのはこの男、クハロ・マップーである。


 皇族を皆殺しにし、血塗られてきた帝国の歴史に基づいて頂点に君臨する。それこそがクハロの野望であり、それが可能となる力を持っていた。


 それは自身と密接な関係を持つ闇組織――<黒き王冠ブラック・クラウン>の協力だ。


 その組織の本拠地に、<合鍵>を利用して転移してきたクハロだが、どういうことか、拠点があった場所は瓦礫の山と化していた。


 「何かの......間違いか?」


 クハロは自身がやってきた扉の方へ振り返った。


 <合鍵>は扉と離れた先の扉を繋ぐ。転移元は宰相の屋敷のとある一室の扉。転移先はここ、本拠地だった場所の部屋の扉だ。


 転移先の扉だけは無事だった。


 周りが瓦礫に埋もれているが、辛うじて転移先の扉だけは、この荒れ果てた場所に佇んでいた。


 故にクハロは転移してきたわけだが、事の状況に理解が追い付かない。


 「やぁやぁ。宰相殿、こんな夜更けにどうされましたか?」


 「っ?!」


 そして突如、クハロの背後から青年の声が聞こえてきた。


 クハロが振り返ると、そこには月夜に照らされている一人の青年が、瓦礫の上に腰を下ろしていた。


 チリン。


 青年は青緑色の長髪を三つ編みに結いで、その先に涼しい音を鳴らす鈴が飾っている。


 身なりは軽装備だが、騎士である。それも帝国である刺繍が施された騎士服。


 そんな男は肩に一本の槍を掛けており、それ以外に武器を携帯しているようには見えなかった。


 騎士の恰好をした人物は、クハロが常日頃から警戒して止まなかった存在――


 「お、オーディー?!」


 「お久しぶりです」


 オーディー・バルトクト。帝国騎士団総隊長、その人である。


 「な、なぜお前がッ!!」


 「俺だけじゃあないですよ」


 そう言って、オーディーは視線を宰相からその横に移動させた。


 その視線を辿って、宰相がそちらへ振り向くと、そこにはこのような荒れ果てた地に居ていいはずのない人物が居た。


 「へ、へい......か」


 「どうした? 顔色が悪いぞ、宰相」


 帝国皇帝、バーダン・フェイル・ボロンである。


 バーダンは動きやすいよう、まるで騎乗でもするかのような格好でその場に佇んでいた。そしてバーダンの腰にはショートソードが携えてある。


 全く予想だにしていなかったことに、クハロは顔を真っ青にした。


 「ど、どうやってこのような場所に......」


 「先に向かわせたオーディーに、転移できる魔法具を使わせてな。遥々、城からやって来たのだ。......して、宰相はどのようにして、ここに来れた?」


 「っ?!」


 その皇帝の問いに、クハロは答えることが出来なかった。


 バーダンが皇帝になってから、今までずっと支えてきた宰相クハロは、その職務のうち、外交を担当をすることも決して少なくなかった。


 故に必要とされるのは、その過程で身についたポーカーフェイス。嘘を嘘と思わせない主張を磨いてきたクハロだが、今、この場で取り繕うことが容易にできなかった。


 まさか正直に、闇組織が愛用する【合鍵】を使用して来たなどと言えるはずもない。


 かと言って、バーダンと同じく、転移できる魔法具でこの場にやってきたなど嘘を言えることも出来ない。


 基本的に使い切りとなるその魔法具を使ってしまえば、あとに残るのは何の使い道もないただの小物と化すだけなのだから、証拠が残っていなければならなかった。


 「わ、私は......」


 「よい。言わずともわかり切っていることよ」


 瞬間、クハロは視界に何かが舞って、自身の前に落下する様を目にした。


 ドチャ。何か生々しい音がすると共に、クハロは左頬に温かい液体がかかったことに気づく。

 

 「へ?」


 クハロは間の抜けた声を漏らした。


 自身の前に落ちているそれは見覚えのあるものだ。


 それは――自身の左腕だった。


 「いぎゃぁあぁあああぁあぁあ!!」


 この場に来るまでのクハロには、腕が一本しか無かった。


 七年前、王国からの帰路の途中、闇組織に襲撃された際に、右腕を失ってしまったからだ。


 残ったのは左腕のみ。しかしそれはたった今、切り落とされたのだ。


 「ほほう。良いワインではないか」


 「腕がぁ!! 腕がぁぁぁああ!!」


 そんな激痛で泣き叫ぶクハロを他所に、皇帝は片手にショートソードを、もう片方の手にはワインボトルを持っていた。


 前者は血塗られており、それがクハロの左腕を切り飛ばした際に付いたものだと容易に想像できる。


 そして後者は、この荒れ果てた地に似つかわしくない高級なワインボトルがある。クハロが持ってきたそれだ。


 瞬きする間に、バーダンはクハロから左腕とワインボトルを奪ったのだ。


 いつの間にか、切り落とされたクハロの左腕付近にやってきたオーディーが、それを拾い上げて肌を見た。


 「陛下、やっぱ宰相の左腕にも【合鍵】の術式が刻まれてますよ」


 「疑う気すら起きぬな」


 そう言って、バーダンは手にしていたワインボトルをオーディーに投げ渡した。


 それを片手で受け取ったオーディーは、躊躇なく、手刀で横真っ二つにワインボトルを切断した。


 ワインコルクのある方の瓶は切られた衝撃で宙を舞うが、すかさずそれを捕らえたオーディーが、切られた口を上にして、その空になってしまった器の中に、もう片方の瓶の中に入っているワインを半分ほど注いだ。


 その達人芸を難なくこなしたオーディーが、口を開く。


 「陛下、準備できました〜」


 「ふむ。こちらも用を済ませるとしよう」


 未だに激痛で地面に転げているクハロを他所に、主従の二人は毅然とした態度で会話をしていた。


 クハロはこのままでは確実に殺されると思い知り、両腕を無くしてバランスが取れない状態でも起き上がって、走り出した。


 「じにだぐない、じにたく、ないッ。まだじにたくないぃぃいい!!」


 クハロの顔は苦痛の極みで歪み切っていた。


 謝罪、命乞い、そんなもの全て無意味である。眼の前の主は、もう自身を赦す気など無い。


 事の顛末を知っているからだ。知った上で、七年もの間、クハロを側に置いていたのである。


 クハロは完全に油断しきっていた。全て思惑通りと人生を謳歌していた。


 それが間違いだったと、今、この瞬間、気付かされてしまった。


 そんな宰相を前に、皇帝バーダンはどこから取り出したのか、弓を手にしていた。


 「オーディーよ。最近、余は弓術も嗜んでいてな」


 弓を構え、矢を乗せた弦を引く。


 躊躇なく構えたその様は、まるで獲物を捕捉した狩人だ。


 もう獲物を人として、今まで自身を支えてきた従者とは思わない。むしろその逆、裏切り者に粛清すべく、矢を引いているのである。


 「さらばだ、宰相。いや、裏切り者よ」


 ヒュン――ズド。


 放たれた矢は、蹌踉めきながら駆けるクハロを追い、頭部の中央に突き刺さった。


 同時にクハロは前方へ倒れ、物言わぬ屍と化す。


 その顔はどこまでも苦痛に歪んで、裏切り者には相応しい終末を表していた。


 「ひゅ〜。お見事」


 一連の光景を眺めていたオーディーは、主に手にしていたワインボトルのうち、比較的量の少ない器を主に渡した。


 バーダンは弓をその場に放り投げ、それを受け取る。


 「......少ない方か」


 「はは。今回の成功報酬としてくださいよ。なんせ帝国に迫る魔獣の群れを撃退した後、帰国せず、そのままここに行けという勅命に従ったのですから」


 「はッ。生意気な奴め」


 そう悪態を吐いたバーダンは、近くの瓦礫の小山に腰を下ろして、夜空に浮かぶ月を見上げた。


 「リア......仇を討ったぞ」


 そしてバーダンはワインを口の中に含み、どこか乾いていた口内を湿らせた。


 おそらく亡き妻は、仇を討っても心の底から喜んでくれないだろう。それほどまでに暴力を嫌う女であったと、バーダンは知っていた。


 むしろこれからすることは、皇妃リア・ソフィア・ボロンが一番嫌う“戦争”である。


 「......死んだら地獄行きだな、余は。リアに会えんとは」


 「俺が死んだら伝えておきますよ」


 「お主も地獄行きだからな」


 今宵、七年前に刻まれた復讐は、初めて果たされるのであった。

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