閑話 帝国の姫と執事

 「入って」


 帝国城、皇女の部屋の出入り口となる扉がノックされ、ロトルは入室の許可を出した。


 「失礼いたします」


 中に入ってきたのは、黒を基調とした執事服を来た女性――バートである。


 マーギンス邸で闇組織による襲撃から生還した彼女は、その際に負った傷が完全に癒えており、職務に復帰していた。


 バートの復帰初日は、言うまでもなくその主人、ロトル・ヴィクトリア・ボロンの付き添いである。


 「調子はどうかしら?」


 「お陰様で快調です」


 「そう。ならこれからも私の世話役お願いね」


 「......。」


 この部屋の主であるロトルは、淡々とそう答えた。


 それに対し、バートの表情は浮かない。


 それもそのはず、マーギンス邸で世話になっていた際に、バートが皇帝の命により、ロトルを監視していたことが発覚してしまったのだから。


 が、バートの職務復帰を許可し、皇女に付き添わせることを命じたのはロトル本人である。


 主人を裏切った使用人が、主人の下に戻るよう命じた理由が理解できず、バートは青ざめた表情になっていた。


 それに拍車を掛けるように、ロトルの様子はバートが裏切る前の態度そのものであったから、その不安はより一層強まった。


 いっそ裏切った自身を死罪に課してほしい。そんな心情でさえあった。


 「......畏まりました」


 「なによ、元気無いわね」


 一方のロトルは、この部屋の中央にある一際大きい長方形のテーブルの上を、なにやら資料やら地図といった物で埋め尽くしていた。


 視線はそれらに向けられており、ろくにバートを見ることはなかった。


 床にも同様の物が散乱しており、これが今日一日でなされた光景ではないことをバートは察する。


 「で、殿下」


 「お茶」


 「え?」


 「喉乾いたわ。いつものお願い」


 主人にそう言われ、バートは大人しくその願いに応えた。


 やがて紅茶とお菓子を用意し終えたバートは、この部屋にあるもう一つの小さなテーブルの上にそれらを並べた。


 準備ができたことを主人に伝えると、ロトルは素直に応じて席に着いた。


 「ん。やっぱりバートの淹れたお茶は最高ね」


 「殿下」


 「なに?」


 「なぜ......私をまた御側に?」


 バートは覚悟した顔つきで、短くそう問う。


 それに対し、ロトルは紅茶で湿らせた口の中に、お菓子を含めながら答えた。


 以前のバートであれば、その所作をお行儀が悪いと注意しただろうが、今はそんなことはない。


 「私の専属執事はあなただけだからよ」


 「っ?!」


 ロトルが言い切った内容に、バートは驚愕の色を顔に浮かべた。


 「で、ですが私は殿下を――」


 言いかけたバートに、ロトルは遮って続ける。


 「パパの命令で私を監視してたのでしょ? なら逆らえないじゃない」


 「し、しかし......」


 「そしてなにより、私のためでもあったのよね」


 「......。」


 ロトルの言に、バートは押し黙った。


 バートの首にはもう監視をするチョーカーは無い。ある日突然消失してからそのままだ。そのチョーカーがあった場所を、バートは無意識に手を当ててしまった。


 その様子から肯定と受け取ったのか、ロトルは続けた。


 「何年付き合ってると思ってんのよ。そりゃあ結果的には、私の【固有錬成】がパパや闇組織にバレてしまったけど」


 「申し訳......ございません」


 「もうここまで来たら、私の側に置けるのは信頼できる者のみ。暗殺なんて絶対にされたくないわ」


 「わ、私は殿下を裏切った身です! 御身の側に私が居てはいけません!」


 「なら“賭け”と捉えなさい」


 「っ?!」


 強く、そして低く真剣味を帯びたロトルの言葉に、バートは息を呑んだ。


 「バート、あなたはマーギンス邸で襲撃された日、命がけでレベッカを護ったわね。私の命に背いてまで、レベッカを」


 「......はい」


 当時、ロトルはバートの裏切りにショックを受け、許可を出すまで謹慎を命じた。気持ちの整理が追いつかなかったからだ。


 が、バートは襲撃当時、それを破って身動きの取れないレベッカを助けた。


 敵の狙いが戦力を削ることと察して、即座に行動に出るべきと判断したからだ。


 「それはなぜかしら?」


 ロトルは手にしているティーカップの水面を見つめながら、問う。


 「それは......」


 「必要だったからでしょう? ここでレベッカを失ったら、更に私の命を脅かすと察したのではなくて?」


 「......。」


 ロトルの言葉に、バートは何も返せない。図星だからだ。


 レベッカが助かったのはバートが死守したおかげでもある。そうさせたのは今までの実績で、レベッカの存在が必要不可欠と判断したからだ。


 悔しいほどに、他を見つけ出せないほど、その実力を認めてしまっているからだ。


 ロトルの使用人として付き従う自分では届かない力を、レベッカは持っている。


 そしてバートの代わりはいくらでも居る。


 何の取り柄もない自分は、ただロトルに仕えてから年月が長いというだけで、それ以外に特筆すべきことは何一つとして無い。


 それがあの日、バートを突き動かした理由だ。


 「バート、もうこの先言わないと思うから、しっかりと聞きなさい」


 カチャ。ロトルは手にしているティーカップをテーブルの上に置いて、立ち上がった。


 その足先は、この部屋の窓際へ向けられている。やがて振り返ったロトルは、その君主の片鱗――否、威厳を示すようにして言った。


 「あなたの忠誠心に代わりは居ないわ。ならばその命、死ぬまで私のために使いなさい。......これはバートを選んだ私の賭けよ。全力で私を支えること。いい?」


 バートはその言葉に涙を流した。


 頬を伝ってぽろぽろと止めどなく流れ落ちる涙は、バートが嗚咽を漏らす引き金となった。


 やがて震える身を押し殺しながら、バートは深く深く頭を下げるのであった。

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