第209話 母を想う子と、憤怒の父と
「ムムンよ。今一度問う。......余は王国に戦争を仕掛けても良いのだろうか」
「......。」
時は遡ること、帝国皇女ロトルと鈴木が出会うよりも前の出来事。
月夜に照らされる帝国城のとある一室、執務室にて現皇帝バーダン・フェイル・ボロンは、執事姿のムムンに問いかけた。
ムムンはその問いに対し、今しがた淹れた茶を主の下へ運んで、机の上の書類が置かれていない空いたスペースにそれを置く。
「陛下、その問いに私はお答えできません」
「お主個人の気持ちでもいい」
「......私めの意見など聞いて、陛下の気持ちは揺らぐのでしょうか」
主に対して取っていい発言では無い。しかしそれを承知で、ムムンはそう返した。
それを理解した上で、バーダンは続けた。
「“揺らぐ”......か。やはり戦争なんぞすべきではないのだろうな。......リアの思いを継ぐのであれば尚更だ」
「......。」
バーダンはムムンが淹れた茶を手にとって啜る。
愛した妻を失い、怒りに身を任せて戦争の準備を着々と進めるバーダンは、その闘志に不純物が混ざり始めていることに気づく。
その不純物とは良識であり、妻との約束でもあった。
“帝国”と“戦争”の繋がりは深い。歴史を紐解けば、帝国は戦争無くして発展したとは言えない国だということがわかる。
しかしバーダンの代になってその思想は変わった。
戦争によって他国の富を奪うのではなく、他国との貿易によって自国を発展させていこう。そんな今までの思想とは真逆と言っていいほどの方針に切り替わっていった。
バーダンは語り始める。
「この茶は......ハーブティーはリアが好んでよく飲んでいたな」
「......はい。北方でしか生息しない葉を使用しております」
「こうして時々、いや、ふとした瞬間に脳裏に過ってしまう。亡き妻が語っていたことを......。本当に暴力が嫌いな女であった」
ムムンは静かに相槌を打った後、主人に問う。
「陛下、この事態を生んだのは――」
「わかっておる。件の組織のせいだろう」
ムムンの言葉を遮って、バーダンは溜息混じりに返した。
バーダンの言う件の組織とは、<
リア皇妃は王国の騎士の襲撃によって死亡した。しかしその事実は、帝国騎士団長のオーディーの指示の下、襲撃のあった場所を調査した結果から王国が関与していないことが判明する。
その事実を知るのは帝国の中でもごく一部の者のみで、数える程しか居ない。
それでもバーダンはこの七年間、王国との戦争に向けて準備を止めなかった。
理由は......娘の願いを叶えるためであった。
「今でも思い出す。ロトルが......我が娘があそこまで泣いて懇願してきたのだ。王国に仕返せと、滅ぼせと。母の愛情を誰よりも一身に浴びたあの子が、だ」
「......。」
思い起こすは七年前の出来事。
当時、帝国宰相と共に襲撃から帰還したロトルは、目を覚まして父に泣きついた。
それはバーダンが語ったように憎悪の満ちた言葉の数々だった。
バーダンも当時は冷静さを欠いていたとは言え、皇妃を襲撃した事実を入念に調査すれば真相に辿り着くことは容易かった。
例として、現場の足跡がその良い例である。
皆殺しされた護衛の帝国精鋭部隊が作った足跡とは別の複数の足跡は、言うまでもなく襲撃者たちのものだ。
しかし襲撃者たちは全員、王国の騎士の姿をしていた。ではどのようにして王国が関与していないのかと判明したのか。
その事実は付いた足跡が残す、“足運び”であった。
複数の足跡が合っとは言え、乱れた足取りは少なからず帝国精鋭部隊に苦戦したことが見受けられた。同時に、とてもじゃないが、洗練された王国騎士が付ける足跡ではないことにも気付かされる。
如何にも騎士の“質”ではなく、輩の“数”でその場を押し切ったと言わんばかりの痕跡。
それこそが、まず王国の騎士がその場に居なかったことが判明した事実であった。
すると執務室のドアがノックされた。ムムンは皇帝が首肯するのを確認してから応じる。
「失礼いたします」
静かに入室してきたのは帝国皇女の専属執事を担うバードだ。
「陛下、例の件で参りました」
一礼したバードが言う例の件とは、帝国皇女ロトルの一日の監視報告である。
バードの首にはバーダンの命令により、周囲を盗聴するチョーカーが装着されている。
無論、バードを監視するためではない。帝国皇女であるロトルを監視するためだ。
監視というには少し語弊があるが、近年のロトルの動きは闇組織の拠点を潰していることが目立つ。
帝国騎士団長のオーディーがついていることから身の安全は保障されているが、それでも危険な行為に他ならない。
その上、ロトル自ら城を抜け出すこともしばしばある。
無論、抜け出すというからには城の者には秘密にして、だ。
護衛としてオーディーらを連れているから最低限、バーダンの安心は得られているものの、不安が拭えないのは言うまでもない。
また城から抜け出す方法とやらが特殊であった。
その方法とはロトルの【固有錬成】を活用してである。ロトルの【固有錬成:異形投影】は他人の姿に化けられるスキルだ。
そんなスキルを身に着けたことをバーダンが知ったのは、バードを通して監視する日々の中でであった。娘から直接話された訳では無い。
そして監視を一日中行うことは皇帝という身分であるバーダンには不可能であった。
故にここにバードを呼びつけたのはバーダンが盗聴できなかった時間帯のロトルの様子を聞くためである。
ほぼ毎晩行われている日課のような定期報告だが、バードは自身が仕えているロトルに対して罪悪感を抱いていた。
「以上で報告を終えます」
「うむ。ご苦労。下がってよい」
一通りの報告を終えたバードは、深々と一礼して踵を返した。
そんなバードの後ろ姿に対し、バーダンは声を掛ける。
「すまぬ」
短く、そして極めて小さい声だったが、その謝罪はバードの耳にしっかりと届いていた。
バーダンも好きで監視をしているのではない。しかしロトルを見張っていないと気が済まないほど、皇帝はまだ父親という生き物であった。
「......いえ、殿下の為でもありますので」
バードは再度、振り返ってからそう返答し、この部屋を後にした。
静けさを取り戻した執務室にて、最初に口を開いたのはムムンだ。
「この後も殿下が就寝されるまでお仕事を?」
「無論だ。父が娘より先に寝るなど怠慢よ」
「......あまりご無理なさらず」
「ふっ。お主は本当に甘やかしてくるな」
バーダンは苦笑しながら仕事に戻った。
*****
『【固有錬成:異形投影】』
「っ?!」
バーダンは艶の無い漆黒の小箱から聞こえてきた娘の声に驚愕の色を顔に浮かべた。
寝静まったこの夜間帯に、娘が【固有錬成】を発動したことに不意を突かれたからだ。
まさか今から城を抜け出すというだろうか。さすがのバーダンでもそれは見過ごせない。
そもそも今晩、何かを決行するなんて報告、執事であるバードから聞かされていない。
バードはロトルの身を案じてバーダンに報告していた。故にその報告に虚偽は無く、この事態はバードも知らないことであると察した。
が、バードから盗聴できているということは、ロトルの側に居ることに等しい。
ならば、なぜ執事のバードはロトルを止めないのか。
そもそもこの城から本当に抜け出す気なのだろうか。
気が気でないバーダンは、思わず席を立ってしまった。
『殿下ッ』
しかし次に聞こえてきたのはバードの慌てた声と、部屋の扉が勢いよく開けられた音である。
どうやら事態の理解に追いつかなかったのはバーダンだけではなかったらしい。
その焦った声と入室の音から、ロトルの部屋の側に居たバードが、主人が【固有錬成】を使用したことで早合点してしまったことが窺える。
『あら、バード。そこに居たのね』
「っ?!」
そしてその声に驚いたのは、バーダンだった。
その声は今はもう聞くことができない――亡き妻の声そのものであったからだ。
「り......あ」
バーダンの口から妻の名前が力なく漏れる。
聞き間違えるはずのない声だ。何年経とうと、その美貌を、声音を、笑みを忘れたことなど一日たりともない。最愛の妻の声だ。
驚愕でその場に立ち尽くすバーダンを他所に、ロトルたちが居る場所では会話が続けられた。
『そのお姿は......』
『......ママよ』
『なぜ......』
帝国皇女ロトルの【固有錬成】は他人の姿に変身することができるスキルだ。
それがまさか亡くなった自身の母になれるとは、バーダンたちには思いも寄らない使い方であった。
『こうしていると......ママがここに居るみたいでしょ』
バードの問いに、ロトルは震える声で答えた。
その声音から、父は娘が浮かべる顔を容易に想像できた。
『馬鹿よね。虚しいだけなのに、ま、ママに......もう一度会いたいって......隠れてこんなことして......』
『殿下......』
ロトルに掛けるべき言葉が浮かばないバードは、執務室に居る父と同じくその場に立ち尽くすだけであった。
『ママ......なんで居ないの......なんで......』
「......。」
ロトルは妻の声で咽び泣いた。
その声が、バーダンの居るこの空間に響く。
そしてそれは――父の心にも響いた。
バーダンの拳は固く握り締められ、爪が肉に食い込み、血を床へ垂らした。
「滅ぼす......たとえロトルに、リアに恨まれようと滅ぼしてみせる」
やがてバーダンは憎悪に満ちた声で口を開いた。
「組織も......王国も......全て滅ぼしてやる。帝国は戦争で富を築き、大国となった。他国から財を、土地を、幸福を奪って今に至る。ならば――」
そしてバーダンは続けた。
「ならば――この怒りも......戦争で鎮めよう」
ロトルのこの行為は今宵だけではない。今後も幾度となく続いた行為であり、その都度、バーダンの憎悪は積み重ねられていった。
そんな日々の中、突如として漆黒の小箱がバーダンの下から消え去ったのは、それから少し先のことであった。
それは言うまでもなく、<4th>によってなされたことである。
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