第185話 裏切り

 「ママ! 私たちどうなるの?!」


 ロトルは瞳に大粒の涙を浮かべながら、険しい顔つきの母親に聞いた。


 彼女の母親であるリア・ソフィア・ボロンは皇妃であり、一人娘である少女をそっと抱き締めてから、落ち着かせるような声音で言う。


 「安心なさい。無事、帝都まで帰れますよ」

 「で、でも!」

 「それに皇族を狙った襲撃は珍しくありません。そのために護衛の者をつけています。だから心配することは何一つ無いのです」


 母親に抱き締められながら言われ、ロトルは僅かばかりの落ち着きを取り戻した。


 現在、そんな帰国中の彼女らを襲ったのは、謎の不審者である。


 その者は王国騎士の格好をしていたが、それをまともに信じる者は、この場には誰も居なかった。無論、まだ幼い少女であるロトルを除いてだが。


 少し前までは乗車している者に気を使って穏やかに移動していた馬車が、今となっては激しい揺れと共に速度を落とすことなくシルマジ道を走っている。


 橋を渡りきり、渓谷を抜けた矢先の所だ。


 「敵襲!!」

 「「「っ?!」」」


 護衛騎士のうち誰かが警戒するよう全員に呼びかけた。


 それを聞き届けた宰相と皇妃は血相を変えた。ロトルは再び瞳に涙を浮かべるが、必死に声を出さないよう意識を保つ。


 皇妃は宰相に対して聞いた。


 「ここは帝国領です。追手が待ち伏せしてたというのですか」

 「おそらく。もしかしたら我が国の貴族による刺客かもしれません。王国との同盟をよく思わない者も少なからずおりますので」


 皇妃の呟きに、宰相は冷や汗を浮かべながら答えた。


 なぜ王国領ではなく、帝国領で襲撃したのか。それも国境警備を担う者が集うかもしれない地点で堂々と。


 皇妃は思い耽るが、答えまでに辿り着けない。


 そして敵襲にあった一行は、突き進む馬車に並走するようにして、乗馬する敵と対峙した。


 「てめぇーら! 一気にかかれぇ!!」

 「おらおらおらおら!! 王国騎士団が襲ってきたぞぉ! ぎゃははは!」


 外から野蛮じみた声が客車内に響いた。


 続いて甲高い音、男共の勇ましい声、興奮した馬の鳴き声と帰路は瞬く間に戦場と化す。


 場は一瞬にして張り詰め、皇妃は娘を胸に抱き締めることしかできなかった。そしてロトルも身を縮こませることしかできなかった。


 ただ宰相だけは違った。


 「リア皇妃、私たちはこの場を離れましょう」


 窓から外の光景を見て、宰相はそう提案した。


 冷静な口調で告げられ、皇妃はここを離れるべきか葛藤する。


 護衛として連れてきた騎士は全員が熟練の猛者たちだ。多少襲撃にあったとして、そう易易と負ける者たちではないことを皇妃は知っている。


 「無論、この場に居た方が安全という可能性もございます。しかし国境は既に超えております。帝都とは言わずとも、より内陸の方へ近づけば警備兵と合流できるかもしれません」

 「そ、それは......」


 「行きましょう。私はどうなろうと構いませんが、このようなところで皇族の血を絶やす訳にはいきません」

 「......。」


 宰相は皇妃の腕の中で震えている様子のロトルを見つめながら言うと、その視線の先に気づいた皇妃が首肯した。


 「先に私が外に出て、客車を引いていた馬を開放します。合図をしたら来てください」

 「わかりました。......ロトル、聞いていましたね? いつでも出られるように準備なさい」

 「ま、ママ......」


 ロトルが弱々しく母を呼ぶが、皇妃は幼い娘を抱き締めるばかりである。


 宰相は外の様子を窺いながら、機を見て俊敏に行動を開始した。大凡小太りな男からでは想像つかない素早い動きに、場に居合わせた者たちのうち反応できる者はごく僅かであった。


 やがて当初の予定通り、馬を二頭開放したと思しき宰相が叫ぶ。


 「リア皇妃ッ!!」

 「ロトル! 行きますよ!」


 母に強く腕を握り締められて、二人は外に出た。


 その時だった。


 「っ?!」


 ロトルは外へ駆け出した母の背にぶつかり困惑する。


 急ぐべき事態で母がピタリと立ち止まったのだ。


 なぜ止まったのか。宰相がすぐ近くで待っているはずなのだから、止まることなく一気に彼の下へ向かうべきだ。


 そう理解していたロトルは、眼前の母が止まった理由がわからなかった。


 「ま......ま?」


 母を呼ぶが、返事は無い。


 ロトルは頭上から自身の頬を流れるようにして垂れてくる液体を目にする。


 その色は赤黒く、何とも言えないぬくもりのある液体だった。


 そしてその液体が垂れてくる箇所を見ると、母の背から生えるようにして鋭い鉄剣が突き出ていることに気づく。


 それは紛れもない母の血であった。


 「ごふッ」

 「ママッ!!」


 皇妃は刺し貫かれていた鉄剣を粗雑に引き抜かれたことにより、傷口から鮮血を吹き出した。


 そして握っていたロトルの腕を放し、力なく地面へと倒れ伏す。


 「いやぁぁぁあああ!!」


 どさり。胸を貫かれた箇所からして、皇妃は致命傷を負ってしまった。しかしまだ絶命はしていない。虫の息だが、微かに意識を保っていた。


 「誰かッ! 誰かママを助けてッ!! 誰か――」


 ロトルは泣き叫びながら辺りを見渡した。


 そして気づく。


 「っ?!」


 誰一人として護衛騎士が立っていないことを―――。


 「な、んで......」


 ロトルはそれでも見渡す。


 誰か生き残っている者は居ないかと周りを探した。


 しかし誰も居なかった。誰もが生気を抜かれたような人形を思わせる死体となって地面に伏していた。


 そこら中に広がる血溜まり。漂う濃い血の臭い。刺され、斬りつけられ、弄ばれるように死体となった護衛騎士たちの中には、何か魔法のような攻撃されてで形を止めていない者も居た。


 ロトルは急な吐き気を覚えるが、それを既の所で堪えて、自身の目の前に立つ男を見やる。


 男の手には血塗られた鉄剣があり、それで母を刺したとロトルは理解した。


 母を助けてくれる者は誰も居ない。この場に居るのは、自分たちを襲った大勢の悪党共だけである。その誰もが、皇妃と皇女を下卑た笑み浮かべて見ていた。


 「さてと、ガキも殺したら仕事は終わりだぜ!」

 「ひゃっほー! これで報酬たんまりたぁ楽な仕事だったなぁ!」

 「ま、護衛騎士一人に対して五人で戦ってたんだ。余裕に決まってんだろ」

 「こっちにゃあ中級魔法を使える奴も居たしな」

 「俺、皇妃サマを犯してぇ!」

 「ばっか、俺が先だっつーの!」


 眼前に繰り広げられる男共の歓喜に満ちた声。


 その数は誰かが口走ったように、連れていた護衛騎士の数倍はあった。そして全員が全員、王国騎士の鎧を身に纏っている。


 そんな中、


 「おーい。皇女と宰相以外殺したらさっさとずらかるぞ。もうすぐ国境警備隊が来る。その後は帝国騎士もだ」


 どこかで聞き覚えのある男の声が聞こえた。


 ロトルがその声のする方へ振り返ると、そこには少し前、橋で出会った不審な男が立っていた。


 その男は自分たちが乗っていた客車に突如として現れ、その後、<豪雷の化身>の二つ名を持つユニージと戦っていた筈である。


 騎士の中でも圧倒的な実力の持ち主であるユニージと戦っていた男がなぜこの場に居るのか、ロトルには理解が追いつかなかった。


 軽い外傷だけで、余裕そうに仲間と話している。そんな光景がロトルには信じられなかった。


 そのせいか、少女は全身から力が抜ける思いをした。


 その場にへたり込み、虚ろな眼差しで母を見る。母は血相を変えて、急激に体温を失っていった。


 大好きな母もそう時を待たずして、周りに倒れている騎士たちと同じように死体と化す。


 ロトルはその光景をただただ見ていることしかできなかった。


 「ろと、る......」

 「っ?!」


 しかし母はまだ死んでいない。


 口から盛大に血を吐きながら、横に居る娘の頬を血塗られた手で撫でた。


 「にげ......さい。てきは......あ、たを......ねらって......」

 「ママ!! 死なないでッ! 死んじゃ嫌ッ!!」


 母の言葉を遮り、ロトルは泣き叫ぶ。


 無力に涙を流し続けることしか、少女にはできなかった。


 「て、きは......お、こく、では......ありま、せ」

 「誰かぁ! 誰かぁ!! ママを助けてよぉ!!」


 少女の悲痛な声が森林の中に響く。


 王国騎士の鎧を纏う悪党たちはそれを見ても動かない。相も変わらず、下卑た笑みを浮かべているだけだ。


 皇妃は薄れゆく意識の中、これだけは伝えようと、泣きじゃくるロトルの唇に、自身の血にまみれた指先をそっと重ねた。


 その後、途絶え途絶えになっていた言葉を繋げようと、喉に溜まった血を全て吐き出してから言葉を紡いだ。


 「あい......してるわ。だいすき、よ。あの人も、この国も、もちろんあなたも......」


 母が見せたのは普段と変わらない温もりを感じさせる優しい笑みである。


 ロトルはそれが好きで好きで仕方がなかった。父よりも母に懐いてた自覚さえある。


 母が見せる微笑みは、優しく撫でてくる柔らかな手は、透き通るような美しい声音は、全て心地の良いものばかりだ。


 ロトルは泣き叫ぶことを止め、死にゆく母を見つめる。


 背後から誰かが近寄る足音が聞こえた。


 しかし少女は気にしない。


 母が繕った真心を少しでも長く受けていたかったからだ。


 そして少女は母の思いに応える。


 「私も......大好き――」


 そう告げた後、ロトルは後頭部に強い衝撃を食らった。


 束の間の激痛。母の上に倒れ伏した少女は、薄れゆく視界の中であるものを目にする。


 ――客車を引いていた馬がまだ馬装に取り付けられていたことを。

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