第180話 エルフっ子の名前

 「......。」


 <1st>が鈴木に預けたエルフの少女は今、帝国ボロン城内におり、途中で皇女一行から離れた少女は、この城の使用人によって皇女ロトルの部屋に案内されていた。


 その使用人とやらはロトルに命じられ、エルフの少女をこの場に案内したのだが、それ以降は放置である。


 尤も、エルフの少女はフードを入城前から外套のフードを深く被っているため、周りの者は彼女をエルフと認識していない。


帝国皇女が傍に連れているというだけで、身体検査等も省かれた次第である。


 「どうしよ......」


 奴隷である自分が見てもわかるほど高級なソファーに、小汚い自身が腰を掛けるわけにもいかない。


いや、彼女は鈴木たちと共にしてから、定期的に身を清めているため、衛生面は常人のそれと言っていい。


 ただ悲しいことにエルフの少女は奴隷であった期間があまりにも長かったため、自分は汚いモノと思い込んでしまっている。


 それにより、入室してからずっと部屋の隅で立っていた。いい加減腰を下ろしたい。そんな思いでいっぱいの少女は、もじもじとしながら立っていた。


 床ならいいだろうか。


 如何にも高級なカーペットが敷かれているが、それが敷かれていない石畳の上なら座ってもいいのだろうか。


 自身がこの部屋に案内された数分後、すぐに使用人が来てお茶の用意をしていたが、その際にどこに座ればいいのか聞けばよかった。そう後悔するエルフ少女だった。


 あと膀胱が限界だった。


 まさか一人で城内を出歩くわけにも行かず、少女はただただ立ち尽くす他なかった。


 故にエルフの少女は出された茶も飲めず、座ることもできず、用を足すこともできなかった。


 「と、とりあえず、カーペットが敷かれていないところを――」


 座れそうなところに目星をつけ、その場に向かうため一歩を踏み出した途端、バタン!と部屋の扉が開かれた。


 「っ?!」

 「パパの馬鹿ッ! 馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿ッ!!」


 勢いよく中に入ってきて、悪態を吐きながら大きなベッドに身を投げたのは、部屋の主であるロトルだった。


 あまりの急な出来事に、エルフの少女のアレが緩む。


 緩んだ拍子に漏れる。


 少女の細い両足を伝って流れる。


 足下にぬるい水溜りができる。


 そしてエルフの少女は......涙目になった。瞳からも雫を流しそうだった......。


 「殿下ッ!!」


 少しして、聞き覚えのある声が聞こえ、エルフの少女は部屋の入り口に視線を向けた。


 中に入ってきたのは、なにやら動揺した様子の鈴木だった。


 入室した鈴木とエルフの少女の目が合う。


 鈴木はエルフの少女が身体を震わせて涙目になっていることに首を傾げた。


 「どうしたの? そんなとこに立って――あ」

 『ばっか! あっち向け!!』

 「へぐッ?!」


 鈴木がエルフの少女の足下に視線を落とした瞬間、彼が思いっきり自身の右手に殴られたのであった。



*****



 「うぅ......」

 「ご、ごめんね? 気づいてあげられなくて」

 『我慢することありませんでしたのに......』

 『がはは! 失禁エルフってやつか!』


 僕は右手の甲を叱りつけるため、左手で叩いた。


 こいつ、僕を殴ったくせにこんなこと言うのかよ。


 現在、皇帝さんの執務室を後にした僕は、皇女さんの部屋に向かったのだが、既にその場に居たエルフっ子の失禁現場を目の当たりにして、彼女をお手洗いの場所に案内していた。


 が、ほとんど皇女さんの部屋の隅で漏らしちゃったらしく、着替えるために一先ず来賓用の更衣室へ向かうことにした。無論、後処理は悪いけど、侍女さんに任せた。


 更衣室には個室規模だが、水回りと思しき場所も併設されているので、道中に会った侍女さんに彼女の衣服を調達してもらって今に至る。


 更衣室へ到着すると、特に誰も居なかったので、ここで着替えてもらうように言った。


 「さっきの侍女さんから貰った服、ここに置いとくね」

 「......はい」


 「他にしてほしいことある?」

 「......ありません」


 「じゃあ、僕は外で待ってるから」

 「っ?! ま、待って!......ください」


 僕がそう言うと、彼女は大きな声を出して僕を呼び止めた。


 なんだろ?


 「?」

 「あ、いや、その......ここに居てくれませんか?」

 「え」


 ここにずっと居ろって? 君、これから着替えるんだよね?


 僕が居て嫌じゃないの......。


 「い、嫌じゃない? 僕に肌を見られるかもしれないんだよ?」

 「あ、あっち向いててください。......見ませんよね?」

 『見んなよ、鈴木』

 『見たら、本当に縁を切ります』

 「み、見ないよ......」


 魔族姉妹の当たりがキツい。さすがに僕だって、エルフとは言え、自分よりもよっぽど年下の子に欲情なんかしないよ。


 というか、なんで僕をここに居させたいのかね。


 僕はそう思って、彼女に聞くことにした。


 「そ、それは......お、お話ししたくて」

 「お話し?」

 『別にそんくらいかまわねぇーぜ』

 『ふふ。お姉ちゃんたちが話し相手になってあげます』


 そういえば、エルフっ子は少し前から僕と話そうと、空いた時間はよく近くに寄ってきたな。


 寂しいのだろうか。......まぁ、まだ小学生高学年かも怪しい見た目の少女だ。


それに以前、僕が自身の正体をエルフっ子に打ち明けたことも手伝ってか、彼女は僕や魔族姉妹と話す時は、若干だけど前よりも表情を柔らかくしている。


 ちなみに僕だけじゃない。皇女さんと話す時も、エルフっ子は当初より緊張せずにいられた印象があった。


 僕からしたら願ったり叶ったりなので、このまま彼女とお話しタイムといこうと思う。


 僕の後ろでエルフっ子はさっそく脱ぎ始めたらしく、衣擦れの音が聞こえた。


 「あの、なぜ、ロトルさ、まは泣いていたのですか?」

 「あ、ああ〜。それは話すと長くなるんだけど......」

 『親子喧嘩だな』

 『それも国規模の』


 一応、エルフっ子には現状の僕らの立ち位置を伝えてある。この国は今、戦争前の状況にあり、その戦争を皇女さんが止めようと、諸悪の根源でもある闇組織と対立していることなど色々とだ。


 彼女も当事者のため、その辺は特に理解ができなかった部分は無いみたい。


 むしろ自身の【固有錬成】のせいで、今まで迷惑をかけていたことを心苦しく思っているようだが、奴隷の立場の彼女がどうこうできるわけじゃないので、特に気にすることは無かった。


 彼女に全く罪が無いというつもりは無いけど、僕は別に善人じゃないからね。正義の味方じゃなくて、美少女の味方でありたい。


 「そ、そうですか......」

 「あ、僕からも聞きたいことがあるんだけど、いい?」

 「あ、はい」


 会話はキャッチボールだ。


 相手から質問攻めされてはいけない。こちらも間に質問をすることで、会話を成り立たせるんだ。


 そう思いながら僕は彼女に聞いた。


 「言い訳だけど、どたばたしちゃってて聞きそびれちゃった。君の名前って......」


 僕が苦笑しながらそう言いかけると、彼女から返事が来なくなった。


 会話のキャッチボール、失敗しちゃったみたい。


 え、名前聞くのってアウトなの? 変化球だった?


 ......ああ、いや、普通に『お前、今更それ聞くのかよ』と彼女は思っているのかもしれない。


 「......メ、です」

 「『『え?』』」


 僕だけではなく、魔族姉妹もよく聞き取れなかったみたい。


 「ウズメ......です。もう、呼ばれることは、ないと思って、ました......」

 「『『......。』』」


 長いこと奴隷として扱われてきたエルフっ子は、連中から名前で呼ばれることなんてなかったらしい。当然っちゃ当然か。


 「......良い名前だね」

 『かかッ! あたしらなんてネームロスの呪いのせいで、名前なんて思い出すことできないんだぜー!』

 『そのフォローの仕方もどうかと思いますが......』

 「え、名前、無いんですか?」


 「うん。一応、僕に限っては半分わかるくらい? “鈴木”だけ」

 『あたしらは完全にわかんねーな』

 『まぁ、これから名前を取り戻すために、旅をしないといけないんですけど』

 「はぁ」


 『言っときますけど、あなたも私たちと来るんですよ?』

 「そうですか――え?! わ、私も?!」

 『あったりめーよ。旅は特に方角決まってねぇーんだ。道中でエルフが住む森に足を運ぶかもしれないんだぜ?』

 「おおー! エルフの森! これまたファンタジー感溢れていいねぇ!」

 「ふぁんた、じー?」


 とまぁ、そんなこんなで束の間の会話を楽しむ僕らであった。

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