第168話 癒えないキズ

 「なんだよ、......」


 エルフの少女の身体に刻まれた数々の傷跡に、僕は顔を歪めてしまった。


 彼女は声を発した僕に気づくと、そそくさと床に落ちているぼろぼろのローブを手にして自身の身体を隠し、しゃがみこんだ。


 「い、嫌ッ、見ないで!」


 それでも背中は顕になっていて、非常に痛々しい様である。


 火傷だろうか。背中や腕のあちこちに肌が爛れた痕が見受けられた。古傷も多々あって、特に意識を向けられたのは彼女の両の足首だ。


 まるで腱を刃物で切られたように痕が残っている。


 それも一度の傷じゃない。


 二度、三度とその線が、傷を治しては斬ってを繰り返していたことを物語っていた。


 エルフの少女を決して逃がさまいと、人が傷つけたのだろうか。


 彼女が奴隷だから、背に何か印のような証を焼かれたのだろうか。


 「あ、あの、わ、わわ私は――」

 「すみません、あとは僕の方でやるので、出ていってください」

 「は、はい!」


 尻餅をついていた使用人さんが慌てて、この場から立ち去っていった。


 おそらくエルフの少女は裸を見られて恥ずかしいから蹲っているんじゃない。


 負った傷を他人に見られたくなかったんだ。


 現にあの使用人さんには奇異な目で見られ、気味悪がられていた。それなのに僕は......。


 あまりにも少女が負っていい筈の無い数々の傷跡に、僕は思わずエルフの少女の下へ歩んでいた。


 そのまま彼女に手が届く位置まで行き、片膝を着く。そして震えが止まらない彼女に対して頭を下げた。


 「ごめん」

 「......。」


 謝ったのはエルフの少女の見られたくない傷を見てしまったからじゃない。


 今まで辛い思いをしてきた彼女に対して、僕は何を考えていただろう。


 エルフの少女を殺せば、敵の戦力を削れる。


 エルフの少女を手に入れたら、有利な状況になる。


 エルフの少女を奪われたら、窮地に陥ってしまう。


 そんな自分のことしか考えていないことを、僕は目の前の傷だらけの少女に対して考えていたんだ。


 今この時ほど、自分自身を許せないことはなかった。


 「なんで......あなたが謝るのですか」


 少女の弱々しい声に、僕は顔を上げて答えた。


 「君のことを考えていなかった。一番辛い思いをしていたのは......君なのに」

 「......。」


 なにがエルフ万歳だ。マジでクソ野郎じゃないか、僕は。


 こんな傷だらけの少女に、僕はいったい何ができるだろうか。何を言うべきだろうか。


 決まってる。僕が彼女を厄介者のように思ったことは事実だ。


 ならば言おう。どれだけの力になるかわからずとも、力強く言おう。


 「もう大丈夫。これからは君が辛い目に遭わないよう僕が............僕が頑張るから」

 「っ?!」


 今の僕にはそれしか言えなかった。


 エルフの少女は僕の言葉を聞いて、唇をきゅっと噛み締めた。瞳には涙が浮かんでいて、次第にそれが溜まり、頬を伝って床に落ちていく。


 果たして僕の上っ面の言葉は彼女に響いただろうか。


 いや、そんなことはどうでもいい。これから目に見えるようにして繋げていけばいいんだ。


 そしてこのまま僕の正体も伝えよう。


 僕はエルフの少女に向けて、手のひらを見せた。


 「二人とも、お願い」

 『あいよ』

 『はい』


 僕の言葉に、軽くそう返答してくれた二人は、瞬く間に両の手のひらから口を発生させた。


 「っ?!」

 「驚かせてごめん」

 『おいーす! あたしは妹者だ。よろしくな!』

 『私は姉者と言います。よろしくお願いします』


 発生したそれぞれの口から女性の声が聞こえて、酷く驚いた様子の少女は、目をパチクリとさせた後、両手と僕の顔に視線を行ったり来たりさせていた。


 「僕の身体にはね、魔族が宿っているんだ。このことは秘密で、知っている人はここには君しかいない」

 「......。」


 なんで正体を晒したのかは決まっている。


 ――彼女に信頼してもらうためだ。


 『あたしらは腹を決めた。おめぇを悪者どもから守ってやんよ』

 『それが私たちの贖罪でもありますからね。』

 「しょく......ざい?」

 「うん。僕らは君を利用しようとした。でもそれじゃあ駄目だ。君に協力するべきだったんだ」


 僕らは一所懸命になって彼女を守る。ならばお互い協力し合うことだってあるだろう。


 だから彼女に隠し事はしない。魔族姉妹のことを知ってもらう必要があったんだ。


 「さて、これから大忙しだ。と、その前に身体洗っちゃおっか。手伝うよ」

 「え、いや、あの」

 『大丈夫、だいじょーぶ。こいつには目隠しさせっから』

 『本当は止めるべきでしょうが。私たちが手伝いたいので我慢してください』


 本当に嫌だったら止めるけど、なんというか、今はこの子についていたいと思ってしまった。


 お節介だろうか。少なからず変態という点だけは否定したい。


 ここまで他人のために何かしたいと強く思ったのは、たぶんこの世界に来て決して多くない衝動だったのだから。

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