閑話 空腹を満たすために
「うえ! 口直し!! なんか口直しできるもの!!」
バンッ。扉を思い切り開けたのは、先程、マーレの手作り料理を食して意識を失いかけたルホスである。
ここ、ズルムケ王国の屯所にある事務室に、騎士とは無縁な黒髪の少女が現れた。
艷やかな髪色はこの国では珍しいため、目立つ要素の一つなのだが、それよりも目立つのが少女の額にある二本の黒光りする角だ。
その見た目だけでまず人間ではないことが、誰の目から見てもわかる容姿であった。
そんな人間ではない――鬼牙種の少女は必死だった。
「なんだい、またご飯でもたかりに来たのかい?」
事務室にはこの国の騎士団第三部隊隊長のエマと、その彼女を補佐する男性騎士の二名が居た。彼女は初老の女騎士で、隊長という位から主な仕事は事務室でのデスクワークだ。
今日も変わらずに職務を全うしていたのだが、そんな仕事部屋に場違いな少女が飛び込んできたことにより、作業する手は止まってしまう。
「んなこといいから! 口直ししないと本当に死んじゃう!」
「......。」
「き、君、エマさんになんて口を......」
補佐をしていた男性騎士が、目の前の子供を叱るように声を上げようとしたが、エマが片手でそれを制したことにより、言葉は最後まで続かなかった。
エマは机の引き出しから饅頭の入った箱を取り出して、蓋を開けてそれを黒髪の少女に差し出した。
ルホスはお礼を言わないまま、さっそくそれに手を伸ばし、自身の口の中へ放り込んだ。
饅頭の中身は白餡が詰まっていて、口の中に広がる甘すぎない甘みが彼女に満足感を与える。
思わず、感動のあまり涙を流しそうになったルホスだが、先程の礼を欠いたことを思い出して、お礼の言葉をエマに伝えた。
そんなルホスがこの場にやってくることは、実はさほど珍しいことではない。
というより、ほぼ日課の如く、屯所へ足を運んでいる少女だからだ。
鈴木がアーレスと共に帝国に行って以来、彼女は時間を持て余していて、その暇な時間をマーレの家に引き籠もるだけではなく、こうして騎士団の屯所へやってきていた。
そんな行動を取ってしまうのは、ルホスにとってエマという初老の騎士が、お菓子や美味しいものを恵んでくれる“優しい人間”という認識があるからだ。
無論、エマにとっては餌付けする気など無かった。目の前の少女は騒がしいけど、食べ物を与えていれば“大人しい子”という認識があったからである。
まさにその通りである。
「本当に助かった。我は死ぬかと思ったぞ」
「いったい何を食わされたんだい......」
「わ、わからん。作ってもらった身だ。我は文句を言うつもりはないが、アレは食べていいものじゃなかった」
「......。」
他人が作る料理が、自身の口に合う合わないは当然あるだろう。しかし目の前の少女にここまで言わせるとは、その魔族の作る料理に興味さえ湧いてきてしまった初老の女騎士である。
ちなみにマーレの正体が魔族ということは、騎士団の中でも極一部の人間しか知っておらず、エマもその一人であった。
尤も、マーレの正体はただの魔族ではなく、“蛮魔”であるが。
一方のルホスの正体が鬼牙種ということは、騎士団の中の極一部だけが認知しているどころの話ではない。
騎士は疎か、ここら一帯の住人は少女が人間ではないことを知っていた。
それもそのはず、彼女は額に生やした黒光りの角を一切隠すこと無く目立たせているのだから。
しかし本人にその意思は無く、「角を生やした方が速く走れる」程度のもので、惜しむこと無く鬼牙種の力を使っているのだ。
後先考えない彼女だが、幸いにもこの国の騎士らがルホスのことを、先日の闇組織の幹部である<5th>の捕縛に一役買ったことを知っているため、周りからは“無邪気で良い子”と認識されていた。
「それよりババア! 饅頭の他に何か無いのか?!」
「ババア言うんじゃないよ」
「バ?!」
王国騎士団第三部隊隊長、エマ・リーバンガルに対しての少女の口の利き方に物申す勢いであった補佐の騎士は、またも隊の長であるエマに制されて押し黙った。
彼の胸中では、いくら子供とは言え、礼儀を欠くのはいただけないとのこと。
エマの胸中では、小さな子にわざわざ大の大人が叱責することでもないとのこと。
エマにとっては孫に近しい年齢の子供に強要したくはないことだった。
それ故に、本日の昼過ぎに食べる予定であったお菓子も、ルホスがこの場に来ることを見込んで、少し多めに用意していた心優しい女騎士である。
「生憎だが、お菓子ならまだ少しあるが、食事といえるものはここには無いね」
「むぅ。この饅頭だけでは我のお腹は満たされないぞ......」
エマの一言に、ルホスは自身の腹を撫でて不貞腐れた。少女の表情は、頼みの綱であった者に裏切られたと言わんばかりである。
「そんなに腹が減ったのであれば、教会に行って恵んでもらえばいいのではないか?」
「教会?」
補佐の騎士にそう言われてルホスは首を傾げた。
聞いた話では、ここ、ズルムケ王国西区域に位置するところに、一際大きい建造物が目立つ教会があるとのこと。
そこには身寄りのない子供が集う孤児院も開いており、ルホスも年齢としてはまだその恩恵に肖れるのではないかと提案した次第である。
しかしエマが口を挟んだことにより、それは却下された。
「貧しい子が貧しいなりに働いて食っているんだ。そんな食事だけするようなところではないよ」
「そう、だな......。我は種族のせいか、お腹を満たすまで、かなりの食料を消費しないといけない。さすがにそれは気が引ける」
ルホスのそんな一言に目を丸くした騎士二名は、お互い目を合わせて、「こんな気を使える子だったっけ?」と言わんばかりの視線を交わす。
「それなら働いたらどうだい?」
「嫌だ」
「そ、即答するな」
「まぁまぁ。お前さんが闇奴隷商の一件で、人間嫌いになったのも知っているが、この国は人間の国だ。食っていくには嫌でも譲歩しなければならないことがあるだろう」
「うっ。でも冒険者なんか人がうじゃうじゃ居るところは嫌だ」
ルホスは正直にそう答えた。
ルホスが闇奴隷商によってこの国に連れてこられてから、かなりの日数が経過した。その過程で人間嫌いな少女でも、中には“良い人間もいる”ということが次第にわかってきた。
しかしそれでも大勢の人間が居る場所には嫌悪感を抱いてしまう。
それ故に他者と協力して働くということがこの上なく嫌だった。
エマはそんなルホスに提案するよう、温もりを感じる口調で語る。
「なにも冒険者ギルドで働くことが全てじゃないさね。金を稼ぐ必要はないのだろう?」
「? そうだが、金が無いと食ってけないんじゃ......」
「なら直接食料を調達すればいい」
「......王都の外に出て、野生動物やモンスターを狩ってこいということか?」
ルホスの気乗りしない発言に、エマは頷いてから答えた。
「それにこれは人間嫌いのお前さんの為にもなる」
「? どういうことだ?」
「さっき言った孤児院の話さね。お前さんが狩ってきた食料をそこに分ければいい」
「なッ、なんで我が人間なんかに――」
「その人間嫌いをどうにかしないと駄目だよ。まだこの国に居るのだから、少しずつ直していかないとね」
「うぅ」
エマの言葉に反論できないルホスは、その言い分に僅かばかりの同意の念を抱いてしまった。
今後のことを考えるのであれば、ルホスの人間嫌いは直さなくてはならない。それをわかっているルホス本人だからこそ、エマもそのことに関して気にかけていた。
「やっぱり......でも......うぅ」
(悪い子じゃないんだけどねぇ......)
そんなエマの胸中は、魔族の少女の葛藤を目にして抱いた感想である。
エマが提案したことには、三つの期待が込められていた。
まず一つ、暴食ルホスの空腹を自身が用意した食料で満たせること。これが一番の狙いである。
二つ目、孤児院は人が多く集まっているが、その大半が人間の子供であるため、ルホスの人間嫌いは、まず歳が近しい人と接すれば直りやすいのではないか、と踏んだからだ。
そして三つ目は――
「わ、わかった。我が狩って食料を調達してくる」
「おや。意外にあっさりと決めたね」
「うむ、このままマーレの手作り料理を食べるのだけは勘弁したい」
「......。」
ルホスのその一言に、なんとも言えない表情をする騎士二名である。
そんな彼女らを他所に、ルホスは渋い顔つきになって続けた。
「だが我は狩りができても解体ができない。核くらいなら取り出せるが......」
「ああ、それなら心配ないさね。ちょうど暇してる――」
と、エマが言い掛けたところで、事務室の扉がバンッと勢いよく開かれた。
「ババア! 聞いてくれよ! ローガンの奴が仕事しろってうるせぇんだ!!」
突如として現れたのは巨漢であった。
屈強な戦士を思わせるその体躯は、鍛え抜かれた肉体こそが鎧と言わんばかりである。紺色の長髪で前髪をヘアピンで留めているのが特徴的だろう。
その者の肩書は、騎士団総隊長であり、二つ名は<不敗の騎士>。
名をタフティスという。
「それも俺の嫌いなデスクワークばっか。俺の補佐役なんだから全部しろってんだ」
「ルホス、この馬鹿から解体の仕方を教わりな」
「......。」
ルホスは非常に嫌そうな顔をするのであった。
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