第132話 恐怖と絶望感

 思えば今の僕は、以前よりも恐怖する感情が薄れていた。


 魔族姉妹の力を自分の力と錯覚したんだろう。重ねてきた勝利を自信と捉えて、今を生きる自分が輝いて見えていた。


 そこに恐怖や絶望感なんて入る余地が無かったのも理由の一つかもしれない。


 だって僕がどれだけ死のうとも、妹者さんが五体満足で生き返らせてくれるのだから。


 そんな僕は幾度となく死んでは生き返ってを繰り返してきたからか、恐怖や絶望感よりも先に来ていた感情があった。


 諦めである。


 ああ、無理だ。できっこない。足掻いても意味が無い。


 そんな諦めの感情が、自身よりも格上の者と対峙したときに真っ先に浮かぶのが僕という人間だ。


 だからいつの間にか、人間として抱いて普通の感情が僕には薄れていたんだと思う。


 『お、おい。鈴木、無理することはねぇーぞ。元々あっちの方が上だったんだ』


 『そうですよ。身体の傷は治せますが、精神は壊れたらお終いです』


 「......。」


 <屍の地の覇王リッチ・ロード>と対峙したときからだろうか。必死に足掻いても、何一つとして結果を残せなかったことに絶望したのは。


 アーレスさんと共闘して肩を並べたときからだろうか。圧倒的なまでに実力差のある彼女の横に立つと、自信を失くしてしまうのは。


 レベッカさんも、オーディ−さんも、少し前に会った闇組織の幹部の人も、僕なんかと比べるまでもなく強者だ。


 そんな強者たちを前に、僕が何よりも先に抱く感情は“諦め”の一言に尽きる。


 負った傷が、重ねてきた死が、僕に恐怖を薄れさせて、諦めろと訴えていた。


 それが今はどうだろう。


 「ごめん......あと少しで何か掴めそうなんだ」


 『『“掴む”?』』


 怖い、痛い、逃げたい。僕にそんな気持ちを思い出させたのは、紛れもなくレベッカさんの状態異常攻撃だ。


 強制的に負の状態を僕に付与したことで、薄れていた感情を呼び起こされたんだ。


 だから............


 「私はかまわないわよ? ただ悪いのだけれど、ベンちゃん使うの久しぶりで加減するのが難しいのよね」


 僕が魔族姉妹に言ったことを聞いたレベッカさんは、鞭を片手にかかってきなさいと呆れた様子を見せてくる。


 その態度は僕に勝ち目が無いことを察して、これ以上実力を測る必要が無いとわかっている雰囲気だ。


 でも僕は違った。


 今の僕なら未だかつてない力を発揮できると思っている。


 数々の死を繰り返した上で、薄れていった恐怖や絶望感を思い起こした今の僕なら――。


 「もう少しだけ僕に付き合って」


 固く決意した僕の思いとは裏腹に、身体が力なく震えた。


 魔族姉妹は僕のことを心配してくれているから、この頼みを断ってもおかしくはない。


 でも、


 『かかッ!! 男は度胸だぜッ! 付き合ってやんよ!』


 『ったく。状態異常って肉体的に回復はできても精神的には回復できないんですよ。......ま、苗床さんのよわよわ精神を鍛えるにはちょうどいいですが』


 「......ありがとう」


 僕は二人に感謝して、レベッカさんに向き直った。


 震える身体を押し殺し、眼前の敵に喰らいつこうとする僕を見て、レベッカさんも態度を変えた。


 「あら、良い顔♡ 嫌いじゃないわぁ」


 そんな僕らを見物席から見ていた皇女さんから中断の声が上がる。しかし今の僕にはその言葉が耳に入らない。


 僕は久しく口にしていなかったことを言った。


 「第二ラウンドだ。......バチクソ盛り上がってきた」


 『クールにいこうぜぇー!!』


 『燃えてきましたね』


 魔族姉妹も僕に合わせてセリフを決めてくる。


 僕は低姿勢になった。走り出すかまえである。それだけで、魔族姉妹たちは僕に合わせてくれると言ってきた。


 これに対し僕は一つ頷いてから、深呼吸をする。


 そして、口にした。


 「【固有錬成】――」


 この世界に来て、初めて恐怖と絶望感を僕に与えた存在を思い浮かべながら――。


 「――【力点昇華】ッ!!」



****



 「え゛」


 目の前にはタイトドレスに包まれた、豊満なおっぱいが迫っていた。


 真っ白な肌、強調される谷間、少し動くだけでぶるんと揺れるそれは、男のロマンと言っていい。


 そんな愛して止まない巨乳が、徐々に僕へと迫っていた。


 否、


 「ぶッ?!」


 僕がレベッカさんのおっぱいに突っ込んで行ったのである。


 胸部に思いっきり頭突きを食らったレベッカさんは、後ろへ倒れてしまった。


 彼女の巨乳がクッションの代わりの役を担ってくれたのだが、先方は腰を地面に強く打ち付けた形になる。


 接触後、僕はそのたわわに実った乳房に顔を埋めていた。


 「いッッッたーい!!」


 常人ならそんな感想じゃ済まないだろう一撃に、レベッカさんは声を大にして訴えた。


 『お、おま、ちょ......それはないだろ......』


 『見損ないました......』


 「ふがふがッ?!」


 「あん」


 谷間に顔を埋める僕は、これは違う!、と訴えるが、それよりも先に行動するべきことがあった。


 僕は即座に押し倒してしまったレベッカさんから退いて、土下座をする。


 「あ、ああありがとうございました!!」


 『謝罪しろ。お礼言ってどーすんだ、浮気野郎が』


 『なんでこんな童貞に寄生してしまったのでしょうか......』


 僕はぐりぐりと額を地面に擦り着けながら、ひたすらレベッカさんに謝った。


 彼女は身を起こして、乱れたドレスを整えてから心配の声を上げた。


 「別にそれはいいのだけれど、スー君は大丈夫かしら?」


 なんと。平たい顔の童貞が乳房に顔を埋めたというのに許してくれるのか。元居た世界じゃ絶対に許されない暴挙だったというのに。


 女神様とはまさにレベッカさんのことを言うのだろう。


 僕は大丈夫とレベッカさんに伝え、立ち上がった。そして流石にぐたぐだが過ぎたのか、手合わせはお開きになった。


 気づけば皇女さんも見物席から訓練場へ入ってきて、命令を無視した僕らを叱ってきた。これに対し、僕とレベッカさんは正座をして大人しく叱られることになる。


 そんなこんなで、僕は新しい力を身に着けることに成功したのであった。


 『一件落着したみたいな顔してっが、後で説教だからな』


 「......あい」

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