第98話 帝国皇女 ロトル・ヴィクトリア・ボロン
「ブレット男爵って、絶対黒よね」
「またその話ですか......」
ここ、ジャモジャ森林地帯に敷かれた石畳の道路を、一台の馬車が通っていた。
道幅は、二台の行商用馬車が並走できるほど余裕がある。帝都ボロンへ続くこの道は交易路として使われることも多いが、帝都は貿易が途上のため、あまり使われない道路とも言える。
その道路を通る馬車には、帝国の精鋭部隊に所属する護衛の騎士が五名居た。
されど護衛騎士らが身に着けている鎧は軽装のもので装飾は殆ど無い、馬車の外装も一般人が使うものとそう大差なかった。
その馬車に揺られながら、窓辺に肘をついて不貞腐れる少女が居た。
帝国皇女 ロトル・ヴィクトリア・ボロンである。
窓から吹いてきた風により、少女の黄金色の長髪が靡く。今年で齢十二を迎える彼女は、物思いにふけて溜息を吐いた。
少女の華奢な肢体は雪のように白いが、瞳は肌の色に反して真紅の輝きを放つ。
くりっとしたその双眼は、見る者に彼女のあどけなさを感じさせる。されど近寄りがたい雰囲気を醸し出しているのは、彼女の肩書きが帝国皇女だからという理由だけではない。
ロトルの美貌に当てられて近寄ってきた異性を、瀕死の状態まで追いやる暴力性だ。
ロトルの強気な態度から滲み出ているそれによって、世の貴族たちは無闇に彼女に近づかない。周辺国家にも知れ渡っている性だ。
そんな少女の向かいの席には、女執事のバートが座っている。彼女はロトルと違い、肩にかかるかどうかで髪を揃えており、片眼鏡をしている。痩身でありながら身体の凹凸は目に見えてはっきりしていた。
そんな女執事は主である目の前の少女と違って、姿勢を正して書類に目を通している。
「だっておかしくない? 怪しいから疑ってるのに、領地の近辺調査を拒むって。私は皇女よ? 皇女のお願い断る? 普通」
「まぁ、今回はお忍びですから。それをわかった上で足元を見ているのでしょう」
「アポ入れるべきだったかしら?」
「アポ入れたら陛下にチクられますよ」
帝国皇女とは思えない、軽い調子で語られる言葉は、ロトルが気を許した者にしか見せない素の一面である。
対してバートは幼少の頃より仕える主が話しかけているにも関わらず、隣の空いた席に積まれている書類の処理を行っていく。
器用に膝の上で書物を下敷き代わりにしてサインをする様は、机上でするのと同等なくらい綺麗に記されていった。
主人の相手より仕事を終わらせたい、をモットーに生きる女執事である。
故にロトルの会話は、バートにとってほぼ無関心にも等しい。というのも、この会話が繰り返されていたからだ。その数、デロロイト領地を発って帝都に帰還する間で二桁に達する。早々に飽きを感じたバートは、山積みの仕事でもするか、と意気込んだ次第だ。
「はぁ......。せっかくパパの目を盗んで足を運んだのに、何一つとして成果を上げられなかったわ」
「帝都に着いたら“陛下”と呼びましょうね、ロトル殿下」
「はいはい。ああー、あのデブの化けの皮をどうにかして引っ剥がしたいわー」
「......さいですか」
どこで教育を間違えてしまったのか、内心で嘆く女執事である。
今回、ロトルはデロロイト領地へ向かい、その地を統べるブレット男爵の近辺調査を行おうとしていた。
が、結果としては惨敗。禄に相手もされず、追い返される羽目になった。
調査の目的は、現在、帝国のどこかに拠点を置いていると疑われる闇組織――<
ロトルが抱えている諜報員からの情報では、その闇組織が王都ズルムケに得体の知れない品を闇オークションで捌いているとのこと。
内容も胡散臭く、人の手が加わった魔族の宿体や核が目玉商品らしい。
これが闇組織と王国の間だけで行われていれば、ロトルが出ることはなかったが、入ってきた情報によれば帝国貴族の上層部も関わっている疑いがある。
「使える駒が少ないって不利ね」
「日頃から貴族に愛想よくしていれば、いざというときに助けてくれる、という教訓です」
「......。」
どこに主人への尊敬の念を捨てたのか、問い質したくなる皇女であった。
世の商人は揃って口にする。品が品だけに、それなりの規模のある国でなければ数は揃わない、と。
なるほど、ならば帝国で反王国主義者どもを集めて協力を仰ぐことも不可能ではない。場合によっては、貴族の中でも爵位の高い連中が関わっている可能性もあるかもしれない。
そんな懸念は情報不足から湧き出て、ロトルを悩ます種となる。
故にロトルは帝国で起こっている疑わしい出来事を全て調査することにした。
それはジャンルを問わず、である。
「あ、そう言えば城を出る前に、レベッカにお願いした仕事は上手くいっているかしら?」
「......私はあの女を雇うのは止めた方がいいと思います」
「またそれぇー」
バートの進言に、ロトルはうんざりと言わんばかりの顔つきになる。
ロトルは<赫蛇のレベッカ>を雇う際に、多額の報酬金を惜しまずに前払いした。その事実を知っている者は、この場に居るバートのみである。
ロトルとレベッカの雇用関係が結ばれたのは、今からちょうど一年程前のこと。
当時、初依頼でレベッカに無茶難題を吹っかけたロトルは、彼女がその依頼を完遂したことに驚愕した。
そこからロトルは、レベッカを雇えば、望んだ結果が得られると知った。
次第に、レベッカの言い値を前払いすれば、彼女が裏切らないことを知った。
そしてその雇用関係を更に確固たるものとするのに、ロトルはある手段を常套化していた。
それはレベッカに仕事を依頼する際、口を開く前に山積みの金貨を見せつけることだ。この時点でレベッカは言葉を失う。視線が山積みの金貨に釘付けになる。
最後に、止めを刺すと言わんばかりに、「これ、前払いね。成功報酬は倍だから」と言えば勝ちが確定。
これでどんな仕事も成功が約束される。なぜならばレベッカを雇ったから。
とどのつまり、<赫蛇のレベッカ>は金に目が無い。
「傭兵はより金を積まれれば、容易に裏切ります」
「ならそれ以上の額を払えば良いだけの話よ」
「......まさか本当に信用しているのですか?」
「どうかしらね。ただ、ああいったタイプの方が、城の人間よりよっぽど信用できるわ」
「......。」
「私って、なんで敵が多いのかしら」
帝国貴族の半数が反王国主義者である。しかし残り半数がその反対勢力とは限らない。
というのも、反王国主義者には他国を侵略し、帝国の領土を広げようとする過激派が多い。
一方はその領土拡大に加担しない、もしくは関心の無い考えで、どちらかと言えば貿易や国交で帝国の発展を望んでいる。
その両勢力の割合がちょうど半々と言ったところであった。
ロトルは反王国主義に属さないどころか、争い事が嫌いであるため、公言はしていなくとも後者に属していた。
しかしロトルの父である皇帝は違った。
「これじゃあ王国と戦争するのも時間の問題ね......」
ここ、帝国では皇帝が全ての実権を掌握しているため、両勢力の力関係云々より国の頂点の意見が優先される。
王国領侵略に向け、着々と戦力を蓄えている。その一例が旧ダンジョンである<
魔鉱石は強力な魔法具の作成に欠かせない代物である。その魔鉱石が、本来、危険地帯であるはずのダンジョン内で大量採掘できることは、過去に例を見ないほど異常事態であった。
しかし帝国は調査をする前に人手を増やし、魔鉱石の採掘に取り掛かっている。
ダンジョン探索は別途並行して行われているが、この調査結果が良かれ悪しかれ採掘の歯止めにはならないのが現状である。
一方の<
その不思議と言う他ない2つのダンジョンの生態に疑念を抱いたロトルは、レベッカに<
「とりあえず、レベッカに<
「はい」
そう意気込んだロトルは、窓から見える帝都中心部にある王城を眺めた。王城が見えるということから、現在地からそう時間がかからずに到着することだろう。
また今回はロトルの父である皇帝には極秘でデロロイト領地へ赴いたため、帝都の正門は使えない。少し遠回りとなることに若干の憂鬱を覚えつつ、ロトルは日が暮れ始めている空を眺めていた。
そして黒い物体を見つける。
「あれは......」
こちらへ飛翔して来ているようにも見える黒い物体に、警戒心を強めたロトルは、すぐさま護衛の騎士たちにそのことを知らせようとするが、
『アアァァアアァアアア!!』
「っ?!」
黒い物体――否、深緑色の巨大な龍の攻撃の方が速かった。
「な、なんだッ?!」
「ドラゴン?!」
「殿下をお護りしろ!!」
護衛騎士のうち何名かはロトルが知らせるより前に気づくが遅い。
「ロトル殿下ッ!!」
バートがロトルに飛びつき、瞬時に即席の防御魔法を発動する。
龍のブレスが、赤い閃光となって馬車を襲った。馬車への直撃は免れたが、付近の地面を狙われたそれは爆風だけで相当の破壊力を兼ね備えていた。
今回、ロトルは表立ってデロロイト領地に向かっていないため、皇族が利用する馬車を使っていない。豪華な装飾は疎か、乗客用馬車の造りを模したそれは耐久性もそれなりである。
ブレスによる爆風でいとも簡単に破壊された馬車は、護衛騎士を含め、ロトルやバートを吹き飛ばした。
「ろ、とる......さ、ま」
「うぅ......ばぁ、と」
朦朧とする視界に入ったのは、地面に這いつくばるバートの姿だ。彼女はこちらに手を差し伸ばしている。
傍から見ても重症を追っているバートに、ロトルは声を掛けようとするが、後から生じた鈍い痛みが少女の華奢な身体を襲った。
「ぐッ」
「ろと......さま」
痛みに堪えながら、ロトルは辺りを見渡す。
先程まで乗っていた馬車は破壊し尽くされ、原形を留めていない。
近くには三名の騎士が蹲っていた。もう二名は重症とは言わずとも傷を負っていたが、どこかへ向かって脇目も振らず走っている。
「くそ! なんだよ、あの化け物!」
「じにだぐねぇ! じにたくねぇよ!!」
「......。」
ロトルは失望する。
護衛として連れてきた騎士たちが役割を果たさずに、主である私を置いて逃げたことに涙した。
しかし責めることはできない。護衛と言えど、命を理不尽に奪われることに恐怖するのは当然の感情である。
それを理解した上でも、ロトルは絶望することしかできなかった。
『グァアアアア!!』
「っ?!」
耳を劈くほどの咆哮。咄嗟に両耳を抑えるが、それでも殺しきれない轟音に少女は苦しむ。
鳴り止む咆哮の後、ロトルはその声の主を見た。
そこには全長三十メートルを超える深緑色の体表の巨大な龍が居た。所々、肉があるべきはずの箇所は腐って骨が見えている。何よりも不快なのはその龍が放つ悪臭である。
その異様な龍はロトルを見つめながら、涎を垂らしていた。
「......最悪ね」
ロトルは察した。
今から目の前の龍に自分は食われるのだと。
龍に限らず、モンスターが他者を食らうのは、生物が食事をする理由と大差無い。自身の成長のために他者を喰らい、糧にする。
そんな自然の理が、今まさに自分と龍の間で交わされようとしていた。
「ろ、とるで、か......にげくだ......さい」
従者の悲痛な声が唯一の救いか、先程、護衛の騎士に裏切られたときの辛さを和らげる。
龍は大きな口を開け、少女に迫った。
迫りくる自身の死に恐怖する少女は大粒の涙を瞳に浮かばせる。そんな中、ロトルは静かに呟いた。
「でもこれで........ママに会え――」
瞬間、爆発音とともに龍の巨体が真横へふっ飛ばされた。
爆風が過ぎ去った後、ロトルは眼前に着地した人物を目にして驚愕する。
そこに立っていたのは、
「あっぶな。さすがに美少女が目の前で食べられたとか目覚め悪いって。......ああーはいはい、美少女関係なく助けますよ。わかってますって」
真紅の大鎚を担いだ黒髪の少年だった。
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