第80話 再戦
『......。』
アドラメルクは理解ができなかった。
思考は要らない。人造魔族という身だから求められるのは、他の追随を許さない戦闘能力と下される命令に絶対な服従心のみである。
ならば理解に必要な思考を持ち合わせていないアドラメルクが理解ができなかったのは必然だ。
だがその理解は“思考”に刺さるものではない。
“本能”だ。
『......。』
土埃が舞う。アドラメルクに二つの鈍い痛みが生じた。
一つは今しがた背中から大地へ叩きつけられた痛み。
背中から感じるこの痛みは決して大きいものではない。<5th>によって【
もう一つは腹部から生じた。まるで腹に穴でもあいたのかと思わせるような一撃だったが、実際に局部を触ればそこに穴が無いことがわかる。ただべっこりと凹んでいた。
しかしそれもすぐさま無かったことになる。【
それはまるでアドラメルクを囲う土埃が散り去るのと同時のように。
「快適な空の旅は楽しめたか?」
アドラメルクと違って華麗に着陸した男が嫌味たらしくそう聞いてきた。
その男こそがアドラメルクを......【
男の名はタフティス。一度はアドラメルクが全力を出さずとも勝てた、取るに足りない男であるはずのタフティスである。
一人の男と一体の人造魔族は王都から離れた平原に立っていた。王国の城壁はここからでも見える。取り返しがつかない距離ではないことを察したアドラメルクは、今は目の前の男にだけ神経を尖らせた。
「その【
対峙してから自然体のタフティスはそんな質問をアドラメルクにする。
質問することに意味はあるのか。時間稼ぎ? それとも馬鹿正直にただ聞いてきたのか?
どのみちアドラメルクに答える義理もなければ手段もない。
なぜならこの肉体に情を育む心や言葉を紡ぐ口は無いのだから。
『......。』
「んだよ、もうやんのか」
構えを取ったアドラメルクに呆れ顔で言う長髪の男。アドラメルクの膝まである長い黒髪とは違ってタフティスの髪は紺色だ。両者共にその髪を吹く風に靡かせている。
『ッ!!』
先に仕掛けたのはアドラメルク。
人造魔族の表皮をまるで生き物のように蠢く紫檀色の線が、アドラメルクの高鳴る鼓動を表していた。
その鮮やかな紫檀色に反して純白に輝く肌が、アドラメルクの速攻をもって一本の線となり、タフティスを襲う。
自身の肉体の上で蠢く紫檀色の線と同色の炎を両拳に纏わせた一撃は――
「【バンディスト流・
――微塵も抵抗を感じさせずにタフティスの横へ流された。
アドラメルクが放った右ストレートをタフティスが右腕をもって左の方へ受け流したからだ。
その仙術は一瞬だけアドラメルクに隙を与えたが、タフティスは反撃をしなかった。
流水の如く、かつ滑らかに自身の拳が流されたことによって、バランスを崩したアドラメルクは、その反動を利用して、今度は左足による回し蹴りを試みた。同じくその足先は紫檀色の炎を纏っている。打撃に加えて燃焼効果を見込んだ攻めであった。
しかし、
『ッ?!』
これも容易く受け流される。
続けて左フック、肘打ち、ローキック、アッパー、手刀とあらゆる角度からアドラメルクは攻める。攻めて攻めて攻め続けるが、有効打は一度も入らない。全て受け流されるからだ。
おかしい。なぜ、こと戦闘面において優位な立場であるはずの自身が目の前の相手を屠れずにいるのか、アドラメルクには疑問が絶えないままだった。
無論、人造魔族に思考は無いに等しい。数日前までは、容易く命を刈り取れた敵に苦戦していると本能で実感しているのだ。
――ならば戦法を変えるしかない。
「お?」
アドラメルクは再び距離を取る。両腕を広げ、人造魔族を中心に数十にも及ぶ魔法陣が浮かび上がった。それらは紫色に発光し、ブオンと姿を現しては各々時間差で回転を始めた。
まるで何かを中から捻り出すかのように。
「ぬあ?!」
次の瞬間、無数の火球が轟音とともにタフティスを襲った。
数秒足らずで着弾と同時に辺り一帯は火の海と化す。これを受けてタフティスが無事なのか重症なのか、将又すでに炭となっているか確認することなく、ただただ撃ち続ける。
やがて火球による猛攻撃は終わりを迎え、アドラメルクはタフティスの全容が確認できるまで、その場を身構えて待っていた。
『......。』
タフティスは炭になっていた。そう判断できるのは、自身が狙い定めていた位置にあった炭の物体が辛うじて人の形を保っていたからだ。
人を人たらしめるその血肉が見当たらない。全身余すことなく炭になっているのだから当たり前である。
アドラメルクはもはやそれが死体であるとわかっていても、近づいて片足を上げ、そのまま炭の塊へ振り下ろした。塊はそう力を込めずとも容易に砕け散った。
あのときは断頭で終わらせたが、今回は炭にしてそれを砕く。もし誰かが蘇生魔法を施したとしても炭に期待した効果は発揮されないだろう。
故にアドラメルクは二度目の対戦にして勝利を確信した。そしてその足先は再び王都へ向く。
しかし、
「ふぃ〜。熱かったぜー」
『ッ?!』
後ろから聴こえるはずのない声が聞こえた。それはまるでさも湯船に浸かっていたのかと思わせる口ぶりで。
無論、そんな男はタフティスしかいない。
相も変わらず生まれたての赤ん坊同様に素っ裸のままだ。先程、燃やし尽くして炭にした男の肉体には傷一つ無かった。
動揺したアドラメルクは直ちに距離を取る。タフティスが声を発しなければ、自身が討たれる最大のチャンスとも言えた。が、眼前の裸体男は何もしなかった。
おかしい。この男は色々とおかしい。
焦燥する感情など持ち合わせていないアドラメルクだが、違和感というかたちで本能に訴えてくる感覚が背筋を凍らせた。
「もしかして勝った気でいたのか?」
『......。』
目の前の素っ裸の男は未だ返事の一つも来ないアドラメルクに対してそう言う。その表情はどこか楽しげで、ニヤリと口角を上げていた。
「断頭すれば死ぬ、原形が残らないほど焼却すれば死ぬ......悪いが俺はそういう常識が当てはまらないんだよ」
それでも男は言葉を続ける。
返ってくる言葉は無くても、きっと自身が発する声は目の前の人造魔族に届いているはずだと。
意思は伝わっているはずだと。
「何があっても死なない。......死ねねぇんだ。お前さんも似たようなもんだろ。死に損ないのアドラさんよ」
アドラと親しげに呼んだ男の顔には苦笑が浮かぶ。
アドラメルク――人造魔族は読んで字の如く、人が造りしものである。しかし正確には違う。それは以前、<5th>がタフティスに語って聞かせた内容に当たる。
人造魔族の素材は、“宿体”と呼ばれる肉体と、空の“魔核”を必要とする。
一般的に宿体は母体となる者から摘出され、培養槽で一定基準まで成長させたものが対象だ。同じく核も人間族以外が持つ魔核を模倣して、魔石を素に製造したものを利用する。
無論、どちらも本物と比べて幾許か劣っている。そこには研究者の技術力や魔石の質、耐久性などから超えられない壁となっていた。
が、この場に居るアドラメルクの宿体も核も意図して作られたものではない。死体で朽ちるはずだった肉体を利用し、核は生前のアドラメルクのものであった。
当然だが、死体を宿体として利用することはできない。本来、宿体と魔核で一つの個体が完成される。既存の魔核に馴染んでいる宿体に、別の魔核を組み込むなど、到底成功されることのない魂の移植方法であった。
しかしその常識を覆す
故にタフティスが言った“死に損ない”は強ち間違っていない。
「死にてぇなら、大人しくしてろ。楽にしてやる」
タフティスはここに来てようやく構えを取った。武器どころか一糸まとわぬその逞しい肉体は、両手に拳を作ってそれを前に突き出しているだけである。
その言葉を聞いたアドラメルクは鼻で笑わず、代わりに怒号にも似た叫び声を上げて断りの意を示した。
『ア、ア、ア、アァァアァァアア!!』
「......そうかい。んじゃ、やるか」
仕掛けたのは、再びアドラメルク。
先程よりもギアを上げた速度でタフティスに迫った。先の近接戦では技量面で劣っていたことを実感したアドラメルクは攻撃方法を変えることにした。
紫檀色に燃える炎を纏った四肢による乱打ではない。
接触時に爆破する“火薬”を肢体に仕込んだ近接戦だ。
「っ?!」
先刻と同じく、【バンディスト流・
受け流そうにも接触した直後に、その部位が爆発を起こすからだ。
アドラメルクの特異体質、“火を自在に操れる”という能力が、自身も至近距離でダメージを食らうであろう火炎を掻き消していた。
しかし“爆風”は無に返せない。だが、【
仙術で受け流しても、爆風により軌道や次の一手に遅れが生じることで、タフティスに隙が蓄積されていった。
そして、
「ぐぁ?!」
アドラメルクの手刀による突きがタフティスの心臓を貫いた。口から血を吐き出すタフティスを無視して、アドラメルクは透かさず突き刺した自身の手から爆発を引き起こす。
その瞬間、タフティスは風船が割れるかの如く、一回り程膨らんでから弾け、肉片を周囲に撒き散らした。
『アァァアアアァアア!!』
だがアドラメルクの猛攻は止まない。
飛び散った肉片に火球や打撃を繰り出して、塵も残さぬ行為に全力を注いだ。
断頭しても生き返る。炭にして砕いても生き返る。ならばあとは原形を残すどころか、その血肉の一片すら消し炭にする外ない。
『ア......ハ、ハァ......アアガ』
猛攻に終止符を打ったアドラメルクの肩は上下していた。紡ぐ口はなくとも、息切れのような倦怠感からそうせざるを得なかったのだ。
もうあの男が生き返る術はない。生き返るのに必要な血と肉はアドラメルクが余すこと無く消し炭にしたからだ。
これでようやく王都へ向かうことができる、そう確信したアドラメルクだったが、
「今度はこっちの番だな」
『ッ?!』
またしてもその男は裸のまま、五体満足でアドラメルクの傍らに立っていた。
「うおら!!」
完全に隙を突かれたアドラメルクの顔面にタフティスの拳がめり込む。【バンディスト流・四猿仙術:脱拳】による一撃だ。
食らった一撃の威力でアドラメルクは再認識した。
この男は一度目の勝負で本気を出していなかったと。
『ガアァァア!!』
しかし強烈な打撃を食らったとしても、瞬時に治癒してしまうアドラメルクにとってはほぼダメージが無いに等しい。
今度はアドラメルクが両拳を頭上より高く掲げて、狙った訳ではないタフティスの両肩に叩きつける。今までの打撃の中で一番力を注いだため、破壊力はそれに比例した。
直撃と同時に辺り一帯の地形が円を描くようにして潰れた。それでも人造魔族による激しい攻撃は止まらない。
実際、この打撃で手応えを感じたとしても、肝心のタフティスを肉塊にするどころか怪我らしい怪我を与えられていなかった。
故に初戦のときのタフティスは、自身との死闘に本気ではなかったと言える。
「んぶッ?!」
先の一撃で前方へ倒れるタフティスの顔面に強烈な蹴り上げを入れた。これが一介の騎士程度ならば、風船に針を刺したかのように頭部が破裂するのだが、目の前の男はせいぜい鼻から血を流す程度に留まっている。
またタフティスもやられっぱなしではない。人造魔族の凄まじい蹴りを顔面に食らって仰け反ったが、その反動を利用し、敵の頭を両サイドから鷲摑みして渾身の頭突きをお見舞いする。
ダメージが残っていた顔面で、だ。
その予想もしなかった一撃がアドラメルクの体勢を崩す。その一瞬を見逃さないタフティスではない。
「【バンディスト流・四猿仙術】――」
小さく前に拳を構えるタフティス。
アドラメルクに回避は間に合わない。ならば両腕で受け切るのみ。如何に受けるダメージを減らせるか、その一点のみを重視した防御の構えだ。
「――【一角槍孔】ッ!!」
それでもアドラメルクの防御は意味を成さなかった。
人造魔族の膻中は、まるで槍の刺突でも食らったかのように穴をあけた。タフティスの拳がアドラメルクを貫いたのだ。
勢いよく人造魔族の血が飛び散る。
人造魔族の血は黒かった。
タフティスは突き刺した右腕を染めた血を目の当たりにしてそう思った。魔族の血は他種族と違って黒色であるからおかしくはない。
『アガッ! ァァァァァアアアアア!!』
「っ?!」
致命傷を与えられたと感じたタフティスは、腹の底から叫声を上げたアドラメルクに驚く。
慌てて拳を人造魔族の膻中から抜き取り、体勢を整えようとするタフティスだが、その突き刺した右腕を、アドラメルクの左手が掴むとによって妨げられる。
そして空いている右腕を横に広げたアドラメルクは、その手の平に白い輝きを放つ球体を生成した。
大きさにしてガラス玉程度。しかしその大きさに似合わず、周囲の気温を一気に上昇させるほどの灼熱を纏っていた。
アドラメルクはその球体をタフティスにぶつける。
『ラァアァアア!』
瞬間、平原は閃光が放たれたと同時に爆ぜた。
野に生える草は業火に包まれ、的であったタフティスは一瞬で蒸発した。またその衝撃によって生まれた轟音は王国にまで届いた。
しばらくして静けさを取り戻した平原には、土や植物の焦げた臭いだけが残っていた。
当然、この至近距離で高火力な手段を取っても、“火を自在に操れる”アドラメルクにとっては無害に等しい。
懸念すべきは自身の膻中にあけられた穴であり、アドラメルクの治癒力をもっても相当な時間を要する深手だ。
タフティスが一瞬にして蒸発したことで、炭も肉片も残っていない。穴をあけた敵の腕諸共消したのだ。
人造魔族は先の致命傷により膝を着く。王国まで戻るにしても、まずはこの穴を塞がなければならない。しばしの休息を望んだアドラメルクだったが、
「いや、蒸発したのは人生初だわ〜」
悩みの種がそれを許さなかった。
『......。』
「お? 驚かねぇのか? つまんねぇ奴だな」
アドラメルクは再度相対することは無いだろうと思っていたタフティスを視界に入れても動揺しなかった。
首を斬っても、炭にしても、蒸発させてもこのように活気のある様を見せられたら、ほぼ打つ手なしと半ば諦めの念さえあった。
『......。』
「......そうかい。じゃあ次で最後にしようか」
それでもアドラメルクは構えを取った。
致命傷は完治していなくとも、出血は抑えてある。
それにまだ魔力にも余裕がある。
そしてなにより......告げられた命令がある。
それは<5th>の命であって、この人間を屠りたいというアドラメルクの本能による訴えでもあった。
「【凍結魔法:闘霰剣】」
タフティスの右手に一振の純白の剣が現れた。
辺り一帯はアドラメルクによって焼け野原と化し、咽せ返るような熱気を帯びていたが、男の手に握られた剣によってそれは掻き消される。
今まで仙術しか使ってこなかった相手がここに来て魔法を行使したのだ。タフティスが告げたように、次の攻防で決着をつける気なのだろう。
『......。』
それに対してアドラメルクは右腕に前にし、構えを取る。そして作った拳に紫檀色の炎を纏わせた。一見したらそれは初手と同じ戦法に思える。
しかし同じなのは右手だけに纏わせたという点だけ。
四肢それぞれの先に炎はない。また魔力の出力も段違いに大きい。その出力に比例して炎も大きくなるが、人一人分包み込める大きさを超えた瞬間に収束した。
これは断じて魔法行使の失敗ではない。より濃さを増した紫色の炎を纏わせる一つの握り拳こそが、アドラメルクの切り札であった。
火力一点に集中した一撃を、即座に生き返るかもしれない男にぶつけるのだ。
王都で暴れるのも眼前の敵を屠ってからの話であるため、出し惜しみなどできない。
故にアドラメルクは大地を抉りながら駆ける。
「【バンディスト流・一虎剣術】――」
タフティスは両手で柄を握り、上段にそれを構え、閃光と化して迫るアドラメルクを迎え撃つ。
『アァァアアアアアァアア!!!』
アドラメルクの顔に口はない。声帯から耳を劈く雄叫びを出したのだ。
そして濃紺の拳がタフティスの顔面を捉えた。
しかし、
「【残雪之太刀】」
アドラメルクの視界に縦線が入り、上と下でズレを生じさせたのであった。
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