第2話 第一関門

 『あたしゃごめんだからなッ!!』


 『私も嫌です』


 「お願いッ!! 長話してたから、もう限界なんだ!」


 突然ですが、お父さんお母さん、息子が変なことを口走ります。驚かないでくださいね?


 『じゃあジャンケンだ! いつもジャンケンで決めてっからソレでいこう!』


 『わかりました。最初はグー―――』


 「そんな悠長な?!」


 息子の両手にはなんと、女性が取り憑りついております。魔族ですが。


 『なっ?!』


 『ふっ。私の勝ちです』


 「どっちでもいいから早く手を使わせて!!」


 そんでもって一人ジャンケンしてます。



*****



 「ジャンケンに負けたんだから大人しくしててよ?!」


 『ヤだッ! なんであたしがこんなことしなきゃいけねーんだよ!!』


 「生理現象だからしょうがないじゃん!」


 現在、僕は右手とトイレの中で奮闘中です。自慰的な意味じゃありません。


 「嫌なら引っ込んでてよ?! 僕だって暴れる右手でおしっこなんかしたくないよ?!」


 『ひゃッ?! きゅ、きゅきゅ急にズボンを下ろすな!』


 「下ろさないとできないでしょ?!」


 『あたしだって、この口を引っ込めるなら引っ込めてーよ! でも地球ここじゃ一回引っ込んだら戻ってこれねーかもしれねーんだ!』


 「それ僕的には願ったり叶ったりなんだけど?!」


 『うおぅ?! ボロンするな!』


 「魔族なんだからこれくらい我慢してよ!」


 『魔族関係ねーだろ!!』


 狙いを便器に定めようと、僕は必死に右手で竿を掴もうとする。だが妹者いもじゃさんはそんな僕の意思に反して抵抗するのでズボンを下ろしてから先に進まない。


 ちなみにさっきから大人しい左手に居る姉者あねじゃさんは、絶対に竿を掴みたくないと言わんばかりに僕の腰まで腕を持っていっている。


 びくともしない。なんだこいつ。さっき『お互い協力していきましょう』って言ってたじゃないか。


 「つ、掴んだ!」


 『うわぁあん! ふにふにするぅー!!』


 「ちょっと黙ってて!」


 『ジョジョジョってッ!! 管に勢いよく水が流れている振動が伝わるよぉ!』


 ああー、我慢してた分気持ち良く発射できたぁ。


 ねぇ、妹者さん口調変わってない? 気持ちはわからないでもないけど、少し傷つく。


 『ところで苗床さん』


 「な、苗床.....。なに?」


 『お名前をお聞きしてもよろしいですか?』


 「え、僕の記憶を覗いたんでしょ? わざわざ聞く?」


 『いいですから』


 「あ、うん。僕の名前は鈴木―――」


 と、そこで僕の言葉は続かない。いや、続きがわからないんだ。


 「あ、あれ? 鈴木、鈴木.....」


 『やはり.....。結構です。それ以上は無駄ですから』

 

 “無駄”?


 いやいや、そう言われて「はいそうですね」で済まされないでしょ?! なんで僕は僕の名前がわからないんだ?!


 僕は用が済んだので早々にトイレから出ようとした。


 『あ、おいッ!! ちゃんと手ぇ洗えよッ?! ばっちぃだろーがッ!』


 「あぁもうッ! 空気読んでよッ!」


 『あばばばばばば』


 僕は乱暴に手を洗ってトイレを後にした。その際、口を閉じてなかった妹者さんに盛大に水をぶっかけてしまった。


 目的地は自室。いつもならトイレの後はリビングに向かって朝食を摂るのだが、状況が状況なため、自室でしなければならないことを優先した。


 「学生証とかッ! ノートとかッ! 自分の名前を確認する方法なんていくらでもある!」


 『.....。』


 『お、なんだなんだ。オカズ探しか? それならベッドの下にあんぞ』


 「ほんっと空気読んでくれない?!」


 僕は高校で使っているバッグをひっくり返して中身を床にぶちまけた。その中から学生証を取り出す。


 「あ、あった! ここの氏名欄を見れば―――見れば.....」


 『お、なんだ。見れねーじゃねーか』


 『.....ええ。黒いもやのようなものが掛かっててわかりませんね』


 ノートもそうだ。僕の名前が書かれている所だけ、変なが邪魔をして名前が見れない。目を擦っても、その見え方は変わらなかった。


 「な、なんだよ、これ」


 『落ち着いてください。コレは私たちと同じような現象に思えます』


 『ああ、“ネームロス”か』


 「ね、“ネームロス”?」


 『はい。最初から名前の無い生物には関係ないのですが、与えられた名前を失う状態を“ネームロス”と呼んでいます』


 『先に謝っとく。こればかしはあたしらが関与したからだな。マジでめんご』


 つまり二人は二か月前から僕に寄生してたけど、こうして姿を見せたのは今朝だから、それと同時に僕は名前を失ったってこと?


 「お、思い出せるの?」


 『条件を満たせば』


 「条件?」


 『ある種、それは呪いです。あなたの場合、特にこれと言って何かある訳じゃありません。そこは安心してください』


 「現に名前という大切なものを失っているじゃないか!」


 『それ以外は何も失ってません。それだけの呪いです』


 「そ、それだけって.....」


 彼女の言う通りならば、これと言って問題が無いように思えるが、名前がわからないというだけでこんなにも不快感を抱くものなのか。


 「あ、そうだ! 母さんに聞いてみよう」


 『.....無駄だと思いますが、どうぞ』


 『かかッ。面白くなってきたなぁー』


 なんて意地悪なんだこの二人は。


 僕はそんな二人を無視して母さんが居るであろうリビングに向かった。


 「おはよう。朝ご飯んできてるわよ?」


 「か、母さん! 僕の名前を言ってみて?!」


 「は、はい? 寝ぼけてるの?」


 「名前!」


 頭がおかしくなったのか、そんな疑いの目を僕に向けてきた母の口から聞こえてきたのは、


 「‟%$”でしょ?」


 「っ?!」


 「ほら#@、今日はただでさえ起きてくるのが遅かったんだから早く食べなさい」


 耳に入ってきたのは名前ではなく、雑音である。その会話の一部に雑音が混ざっていたのだ。きっとその雑音が僕の名前なんだろう。


 「か、顔洗ってくる」


 「?」


 僕は洗面所に向かった。


 『な? 言っただろ? 五感フルに使っても自分の名前は認識できねーんだ』


 『妹者、さすがに味覚は関係無いと思いますよ。試したことはありませんが』


 「......さっきの“条件を満たせば”って?」


 『呪いをかけた張本人に解かせるか、殺すかだな』


 『どっちみちこの地球に居ては何も解決しません』


 「.....そう」


 姉者さんと妹者さんも自分自身の名前がわからないって言ってたのはこの呪いのせいなのか。ってことは僕も同じ人に呪いをかけられたってこと? 地球に居る僕に?


 駄目だ、考えてもわかんない。


 「ふぅ」


 『落ち着いたか? んじゃ、早く飯食って学校行こーぜ』


 「.....うん」



*****



 『ここが学校かぁー。実際に見るとすげーな』


 『このような立派な建物がこの国のそこら中にあるのですよね?』


 「そこら中って程じゃないけど、そんなに珍しいのかな?」


 “実際に見る”って、どこに目があるの?


 現在、朝食を終えた僕たちは平日なので高校に来た。二人にとっては学校は珍しいらしく、あっちの世界では日本のように学校が多く存在していないらしい。


 その分、某ネズミ王国のようなスケールの巨大な学院があるらしい。お約束の魔法学院とやらだ。そのうち絶対入学しよう。


 ちなみに冬の今の時期は皆してマスクするのが現代高校生だ。理由はファッションや感染予防と言ったところだろう。僕も例に漏れず、不織布のマスクをして周りに溶け込む。


 『つーか、この星での最後の生活なのに、なんで学校なんか行ってんだよ』


 「だって他にやることないし」


 『かぁー! ぼっちで冴えないくせして、なに青春しようとしてんだ!』


 「ちょッ! ぼっちは余計でしょ?!」


 右手が騒がしい。幸い、今居る下駄箱の周囲には人が居ないからこうして二人と話せるけど、教室に向かうにつれて当然生徒や先生と出くわす。迂闊に手のひらを見せないように気を付けないと。


 「ねぇ悪いけど、学校が終わるまで黙っててくれない?」


 『ええーどうしよっかなー!』


 『妹者、今日ばかりは苗床さんの自由にさせるって決めてたじゃないですか』


 え、そうなの? ああー、だから学校の敷地に入ってから姉者さんは大人しくしてたのか。


 『だってつまんねぇーじゃ―――むがッ?!』


 「しッ! 人が来た!」


 前方から女子生徒が二人、こちらへ向かって来ている。きっと校内出入口付近にある自動販売機が目当てなのだろう。


 僕は慌てて右手を左脇に突っ込んで挟んだ。


 「でさー、トモ君がぁ」


 「またぁ?」


 女性生徒が通り過ぎていく。良かったぁ。バレなかったみたいだ。これ神経使うな。


 まぁ、今日が地球に居られる最後の日だから正直、周囲から独り言してるとか認識されても..........いや、普通にヤだな。絶対黒歴史になる。


 『あの、苗床さん』


 「?」


 姉者さんが周囲に気づかれないよう、小声で僕に話しかけてきた。


 『妹者が』


 「あ」


 僕は慌てて脇から右手を解放した。


 『ハァハァハァハァ』


 「ご、ごめん」


 『ハァハァ。朝はち○こ握らせるわ、脇に人を挟むわ、なんなん』


 「.....。」


 ご、ごめんて。



*****



 「さて、この問題は誰に解いてもらおうか」


 びっくりするくらいあれから何事もなく、いつも通りの平穏な日々を今日も繰り返していた。今は午前中の最後の授業、僕が大嫌いな数学の時間である。


 だから指名されないよう顔を上げず、必死に自分のノートに何か書き込んで作業中をアピールした。


 もちろん数学の問題なんか解いてない。悟空の落書きである。


 「えーと、じゃあ斉木―――」


 『ぶへっくしょいすっとこどっこい!』


 「っ?!」


 うおい右手ぇ! なんつうくしゃみしてんだッ!


 周りを見ろよ。女性の声でもくしゃみなんか性別判断つかないから、僕に視線が集まっているじゃないか!


 [苗床さんの席が角に位置しますからね。仕方ありません]


 左手はなんか空気読んでノートに書き込んでるし。別に声出さなければ主張していい訳じゃないから。


 「よし、鈴木。お前が解いてくれ」


 「え、さっき斉木君って―――」


 「すごいくしゃみで気が変わった」


 「.....。」


 くそぅ。黒板に書かれた問題なんてわかんないよ。絶対高一がやるような問題じゃないよ。なんだよ積分って。聞いたことしかねーよ。仕方ない。素直に問題が解けないことを主張して、見逃してもらおう。


 「す、すみません。わかり―――」


 『わかります。やらせてください』


 『楽勝じゃね―――な問題ですね』


 「っ?!」


 僕は驚いた。二人が普通に声を出したからじゃない。いや、それもそうだけど問題はそこじゃない。


 声だ。二人の声は二人のじゃない。別の誰かで、すごく聞き慣れている声だ。


 『口頭ですか?』


 『それとも板書.....すか?』


 「な、なんで.....」


 なんで僕の声が、二人の口から出ているんだ?

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