第一章 異世界にはまだ行けませんか?

第1話 受け入れがたい右手と左手

 『ピピッ! ピピッ! ピピッ!』


 目覚まし時計が僕を起こす。学校に行くためには毎朝7時に起床しなければならない。憂鬱だ。


 僕は手を伸ばして未だに鳴り響く目覚まし時計を上から叩きつけて止めた。


 「ふぁーあ。朝かぁ」

 『ピピッ! ピピッ! ピピッ!』

 「あれ?」


 止めたはずの目覚まし時計がまだ鳴っているようだ。毎日叩きつけるようにしてボタンを押してたから接触不良になったのかもしれない。


 僕は目覚まし時計を手に取って目で確かめながらしっかりと奥までボタンを押した。すると目覚まし時計は再び静かになった。


 「そろそろ替え時かな。僕が学校に行ってからまた鳴り始めたら―――」

 『ピピッ! ピピッ! ピピッ!』

 「.....そっか。電池を抜けばいっか」


 僕は目覚まし時計を裏返して電池がセットされている蓋を開け、単三電池を2本外した。


 「これでもう―――」

 『ピピッ! ピピッ! ピピッ!』

 「ひぃッ?!」


 電池を抜いたはずの目覚まし時計が鳴り止まない?! なんで?!


 普通にホラーだよ!!


 『ピピッ! ピピッ! ピピッ!』

 「ん? この音、目覚ましからじゃない?」


 僕は部屋の端の方へ投げ捨てた目覚まし時計を拾って確認した。


 「やっぱりだ。どういうこと? この部屋には他に目覚まし時計なんて無い」

 『ピピッ! ピピッ! ピピッ!』


 どこで鳴っているのか気になった僕は部屋のあちこちで目的の物を探し始めた。


 「腕時計のアラームかな? でも設定してないし、音も違う」

 『ピピッ! ピピッ! ピピッ!』


 「スマホも.....違うな」

 『ピピッ! ピピッ! ピピッ!』


 「なんなのもうぉ!」

 『ピピッ! ピピッ! ピピッ!』


 僕はもう聞きたくないと言わんばかりに、両手を耳に当てて段々不快に思えてきたこのアラームに文句を言った。


 が、その際、


 「っ?!」


 片方の耳たぶが何か硬いモノに挟まれた。


 僕は慌てて両手を確認した。


 そして驚愕する。


 「なっ、なっ、なななな」

 『ピピッ! ピピッ! ピピッ!』


 僕の両手のひらにはそれぞれ“口”があったのだ。


 「なんじゃこれぇぇええぇぇええぇぇえ?!!」

 『ピピッ! ピピッ! ピピッ!』



*****



 『ピピッ! ピピッ! ピピッ!』

 「なにこれッ?! なにこれッ?! なんなのぉぉお?!」


 右手に“口(?)”が?! 器用に唇を動かしながらなんか言ってる?! 歯茎がちらほら見えるし?!


 左手も“口(?)”の形をしている! でも右手と違ってピクリとも動かない! なんだ、これ?!


 『ピピッ! ピピッ! ピピッ!』

 「怖いよぉ。両手が変だよぉ。怖いよぉ」


 『ほら妹者いもじゃ、“苗床なえどこ”が驚いてますよ』

 「こっちも喋ったぁ」


 口の形をしていたから想像してたけど、でも喋ってほしくなかったぁ。


 “苗床”って何ぃ。


 僕は半べそになりながら、顔から両手を遠ざけた。おかげで涙も拭えない。ただただ自室の床にしょっぱい水滴を落とすだけである。


 『あ、わりぃわりぃ。発声練習してたわ』

 『現状を理解してください。“苗床”はもう起きてます』

 「なんなの君ら?! なんで僕の両手に生えてるの?!」


 『生えてるってお前、そりゃあ男なんだから大人に近づくに連れてチン毛くらい生えんだろ?』

 『ちょっと妹者、それじゃあ私まで陰毛になるじゃないですか』

 「どっちでもいいから早く出てってよ!!」


 なんか右手と左手が会話し始めちゃったよ。


 『おいおい、そんなつれねーこと言うなよ。こんな見た目だが本当は絶世の美女なんだぜ、姉者あねじゃは』

 『もうっ! 妹者も充分美しいですよ!!』

 「お願いだから人の手でイチャつかないでぇ!」


 そんでもってなんかイチャつき始めたし。


 『まぁ、落ち着け。深呼吸しな。びっくりする気持ちはわかるが冷静さが大切だ。クールにいこーぜぇ?』

 『そうですね。妹者の言う通り、まずは落ち着きましょう。その間に私たちから自己紹介をします』


 いや、息つく間もないじゃん。


 僕はとりあえず大人しく二人の様子を見ることにした。


 右手は女性の声だがヤンキーのような力強さを感じさせる声で、左手は透き通るような、万人が認める綺麗な声の持ち主だ。


 『姉者あねじゃと言います。妹者いもじゃには劣りますが、そこそこ美人です』

 『かかッ。んなことねーよ。あたしゃ妹者。封印されし“三大美女蛮魔”の一柱だ』

 「ハァハァハァハァ」


 『ちょっと。いきなりそんなこと言うから“苗床”.....さんの頭が追い付かないじゃないですか』

 『つってもあんま時間無いんだぜ? 悠長にしている余裕なんかねーよ』

 「じ、自己紹介はもういい。ハァ、ハァ.....僕が聞きたいことを君らに聞くから」


 『その方が良さそうですね』

 『なんでも答えてやっから思う存分聞きな』

 「わ、わかった」


 とりあえず簡単な質問から聞こう。


 「これは夢なの?」

 『現実です。証拠にさっき妹者が耳たぶを甘噛みしたでしょう?』

 「.....。」


 さっきの耳たぶに当たった感覚は甘噛みだったのか。


 そっか、現実か。.....そっかぁ。


 「で、君たちは.....生きてるの?」

 『おう! てめぇーの身体の一部を借りて生きている』


 「なんでッ?!」

 『そうしないと生き残れなかったんだよ』


 「全然意味わかんないよ?!」

 『あんまそこら辺は気長に説明している暇はないぞ』


 「は?」

 『だっておめぇー、これからあたしらとからな』

 「ふぁッ?!!」


 待って待って!! 何か一つでも知りたくて質問しているのになんで謎が増えてくんだよ?!


 「異世界転移?! ラノベのアレ?!」

 『それです。剣と魔法の世界のアレです』

 『お、鼓動が高鳴っているな! わかるぞ! そりゃあ興奮するよな!』


 マジか?! 僕の部屋にあるあの本棚いっぱいに埋め尽くしたあのラノベの世界か?!


 でも転移ってことはこの世界、地球から離れるってことだろ。僕一人だけあっちに行かないといけないってか。


 「こ、ここに居られる時間は?」

 『日付が変わる頃には異世界あちらに飛びます』


 これが聞けて少しほっとした。このまま家族に別れを告げずに異世界転移してしまうのは悲しすぎるからね。


 「たしかに異世界が関係してないと君たちの存在を信じれない。ちなみに拒否権は?」

 『あったらあなたを“苗床”にしませんよ』


 漫画やラノベ知識があるからわわかる。こういうのは抗えない運命なんだ。


 ラノベ主人公がトラックに轢かれるという確定演出みたいなもんだから気にしてもしょうがないのかもしれない。


 “主人公”.....。ふふふふふ。


 「ん? “苗床”?」

 『ええ、私たち三姉妹が生きるにあたって知的生命体に寄生する必要がありましたから』


 「寄生?! 君たち虫とかウイルスの類なの?!」

 『いいえ。さっきも妹者が言ったように私たちは平凡な魔じ――族です。ちなみに寄生と言ってもあなたに害はありません』


 「なんで僕の身体ッ?!」

 『一から話すと本当に長くなりますので、一言で言えばこの星から消失しても特に“当たり障りのない存在”だからです』

 「.....。」


 そこはもうちょっと工夫して言葉を選んでほしかった。もっとこう、わくわくするような.....例えば「君は勇者だ!」とか、「神の不都合で殺しちゃった」とかさ。


 そんな事実聞かされてもぱっとこないな。なんだ、“当たり障りのない存在”って。馬鹿にしてるのかな。


 「拒否権が無いって......。そ、それなら君ら寄生虫―――」

 『“魔族”な。百歩譲って“寄生魔族”だ。口には気をつけろよ。その気になればお前の喉くらい噛み千切れるぜ?』

 「すみません!! すみません!!」


 そうだ。口だけでも不気味だけど、魔族と言うからにはそれくらいできるのかもしれないんだ。軽率な態度は取れない。


 『妹者.....。苗床さんが怖がっているじゃないですか。かまいませんから続けてください』

 「そ、その、僕に寄生するんじゃなくて今から他の人に寄生できますか?」

 『お、お前最低だな.....』


 勝手に寄生してきた魔族になんか言われた。


 「ぼ、僕より適任な人は居ますよ? ほら、身体は別に筋肉があるわけじゃないですし、頭も大して良くない」

 『ええ、中肉中背ですね。別に何かの面に優れているからって異世界あちらに行って得をするなんてことはありませんよ』

 『加えて言うなら、家族構成も普通。友人関係も.....お前、あんま友達いねーな。ぼっちか?』


 「なんでわかんの?!」

 『寄生して以来、あなたの脳にある過去の記憶を見ましたから』

 『ちなみに寄生したのは今からざっと2か月くらい前からだ』


 2か月も前から?! 全然違和感無かったよ?!


 『こうして肌から姿を出したのは今日が初めてです』

 「.....両手を切断したらどうなる?」

 『かかッ。そんな根性ねぇーだろ』


 『お勧めしません。私たちは別に両手だけに寄生している訳ではありませんから。切り離してもこの口だけが離れ離れになるだけで、私たちの“核”はあなたの身体の中にあります』

 「“核”ッ?!」

 『ほら、漫画とかアニメであんだろ? モンスターの心臓、言わば弱点っちゅーもんだ』


 僕の身体にそんな爆弾があったなんて.....。まぁ、そもそも両手切断する勇気なんて無いから僕には抵抗の術が残されていなんだけど。


 「.....異世界転移って言ってたけど、で行くの?」

 『そ。ちなみに両手で抱えるくらいの荷物ならあっちに持ってけんぞ』


 「なるほど。それなら残された時間を使って準備をしなくちゃいけないのか」

 『飲み込みが早いですね。助かります』


 ここだけの話、正直ちょっと異世界転生(転移)にわくわくしている自分が居る。


 だってあの高さ2メートルにも及ぶ本棚をびっしり埋め尽くしているラノベや漫画の世界に行けるんだよ? そりゃあ寝る前に少し妄想しちゃうよね。


 ちなみに妄想の中の僕はチーレムです。ふへへ。


 『他にはねーの?』

 『時間はあるんですし、焦らずに』

 「え、えーっと、二人はお互いを姉者妹者って言ってるけど本名は?」


 『『.....。』』

 「なんでも答えるって言わなかった?!」


 名前なんてどうでもいいけど、二人をなんて呼べばいいのかわからないし。


 『.....わかんねーんだよ』

 「わからない?」

 『ええ。ぽっかり穴があいたように、名前だけが思い出せないんです。自身の立ち位置はわかっているのですが、名前だけがわかりません』


 『姉者を“姉者”って呼んでいるのはそーゆー訳からきてんだ』

 「え、でも姉妹だってことはわかってるんでしょ? それにさっき三大美女なんたらって.....」

 『“蛮魔ばんま”ですね。私たち姉妹がどんな関係かだけはわかりますし、使命も.....おそらくはっきりしています。まぁ、この辺はおいおい話していきますよ』


 “使命”? “おそらく”? よくわからないけど、今気にすることじゃないのかな?


 でも少なからず僕も関係しているんだし、後でちゃんと聞かないと。


 「じゃあ、とりあえず今日のところは異世界転移に向けて準備をしつつ、最後の日常生活を味わおうかな」

 『.....巻き込んどいて言うのもなんですが、えらくあっさりしてますね。今更ですが』

 『それな。適応が早いって言うのか。.....家族はそれでいいのかよ? 今更だけど』


 ほ、本当に今更だよ。


 「はは。僕の記憶を覗いたんでしょ? 家族に関しては、まぁ、嫌いじゃないけど、そこまで愛情があるって訳じゃないんだ」

 『兄貴か』


 「そ。名門大学に受かった兄は高校も良いとこに行ってた。比べて僕はここから徒歩20分で着く自称進学校の高校に通っている。昔から僕が兄に勝るものなんて一つも無かったから」

 『それで劣等感抱いていてんのか。でも両親がお前に何か期待している訳じゃないだろ』


 「そこだよ、そこ。僕は何も無いから、何もできないから期待されない。期待してほしい訳じゃないけど乾いた家族関係のような、たった一言で終わる会話の日々が苦痛なんだ」

 『てめぇーのコミュ力の問題じゃねーか』


 なんだこの右手、全然フォローしてくれじゃないか。鬼か。


 「はは。違いないや。これでも一応色々と頑張ってるんだよ?」

 『結果に繋がんねー努力は犬の餌にもなんねー』

 「君、ほんと容赦ないよね.....」


 ま、コミュ力が低いのは否定できないな。実際学校でもぼっちだし。


 .....未練かぁ。正直、将来なりたい夢なんてないしな。


 この世界では何もできやしない僕でも、異世界あっちなら何か成し遂げられると思っているんだろう。だから理不尽なこの現状にも平然としているのかも。


 『そこら辺込みで“当たり障りのない存在”なんですよ。さ、そうと決まればさっそく活動してください。まぁ、一蓮托生です。お互い協力しあっていきましょう』

 「うん。放課後に必要なものは色々と揃えるから」

 『おう! それでこれからどーすんだ?』


 “どーすんだ?”って言われてもさっきも言ったように普通に生活して終わりにしようと思ったんだけど。


 「いや、だから」

 『ああー、ちゃうちゃう! そうじゃねぇーよ!』

 『ああ、なるほど。たしかに直近でこれはマズい状況ですね』


 姉者さんはわかったようだけど、僕には今一要領を得ない。

 

 「?」

 『だ・か・ら! トイレだよッ!!』


 あ。


 『言っとくが、両手あたしらを使うなよ?』


 んな無茶な.....。

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