第605話 心境の変化があったのだろうか

 翌日、最初に一ツ橋ひとつばしの工房に来たのは風見かざみであった。

 だが――、


「そう」


 ただそれだけであった。


 次に来た黒瀬川くろせがわは何か言うかと思われたが、ただ優しい微笑みを向けただけであった。


 3番目に来たのはフランソワであった。

 ちらりと風見かざみ黒瀬川くろせがわを見たが、ただそれだけ。

 ごく自然に一ツ橋ひとつばしの元へ行き、「手伝いますよ」とだけ言うと作業を分担した。


 という事があったと後で聞いたが、最後に来たのが俺であった。

 まあこの時点ではヨルエナは工房には居なかったので、正確に言えば最期じゃなかったんだけどな。


 そこにいたのはいつものメンバーと一ツ橋ひとつばしであった。

 だが彼はいつもの車椅子に座ったミイラ男ではない。

 青く透き通るような長い髪。服は白とピンクの百合を意匠した可愛らしいワンピース。

 まあその上からオーバーオールに対刃手袋。それに安全靴を履いているから似合わないことこの上ない。

 ただそれにしても――、


「珍しいな、一ツ橋ひとつばし。その姿で逢うのはこっちじゃ初めてか。やっぱり似合っているじゃないか」


 とたんに風見かざみ黒瀬川くろせがわがわから冷たい視線が飛んでくる。

 フランソワもちょっと困っている様だ。


「デリカシー」


 風見かざみは吐き捨てるように、ただ一言そういった。

 どうやら女子同士、なにか触れてはいけない事があったのだろうか。

 というか一ツ橋ひとつばしは男だ。トランスジェンダーではない。ただ女装しているというだけの男だ。

 まあ一見して男だと分かる人間は少ないだろう。

 外見はそれ程の美少女だし、医者の視点から見ても、服を着た状態の骨格は女性のそれだ。


「気にする事はありませんよ。そろそろ区切りを付けなければいけないと思っただけです」


「区切り?」


 言ってからドキッとして周りを見るが、セーフ。これは聞いても良いらしい。

 しかし相当に言葉を選ばないと、また何か言われそうだ。


「これから召喚の実験をするのでしょう? それも弱い方から」


「そうだな。なあ強弱なんてのは感覚でしか計れないから、一応こうして召喚者のリストを用意したわけだが」


 と言っても面識のない人間の魂を名前だけで召喚するなんて俺には不可能だ。

 これはある程度進んでからの判断材料として使う事になるだろう。


「まあ当面は弱くてスキル的にもダメな奴だな」


 そう言いながら、我ながら面白い事を言っていると思う。

 これは初めて召喚された時に、俺がハズレとして追放された理由みたいなものじゃないか。

 本当は違う事は今では分かっているが、当時の俺は本当にそうだから追放されたのだと暫くは考えていたものだ。

 あの口惜しさは今でも忘れられないが、今ここで似たような事をするとはね。


 だがそんな事はどうでも良い。

 やるべき事の優先順位を、感情などで履き違えるな。


「だがそれが本来の服装とどう関係あるんだ?」


 風見かざみがバンッと地面を踏み鳴らす。

 腕を組んでの仁王立ち。マジで怖い。

 いや本当に分からないんだよ。

 ああ、考えてみれば、奈々ななと先輩に甘えすぎていたなあ。

 俺が孤立していた理由を周りに求めたが、俺のこのコミュニケ―ション能力不足も大きな要因だったんじゃないのか?

 これからはもっと歩み寄る努力をしよう。

 でも先輩を紹介しろとか奈々ななを紹介しろとかそんな話ばっかりになるんだよなあ。


「気にしなくて良いですよ。ただ会う事もあるんじゃないかなって。昔のあの人たちに」


 なんて答えたら良いのだろう。

 目の前に選択肢が出て欲しい。

 かつての仲間――なんて呼んで良いのだろうか?

 まだ未熟だった一ツ橋ひとつばしを騙し、罠にかけ、殺してアイテムを奪おうとした連中。

 最期はギリギリ生き残った一ツ橋ひとつばしを殺そうとして、返り討ちにあった連中だ。

 俺が召喚して日本に帰すと言った時にはかなり怒ったが、心境の変化があったのだろうか。


 いや、もう考えるのは止めよう。

 いざその時に彼女……じゃなかった。彼がどんな選択をしても俺は手も口も出さない。

 だが何か希望があるのなら聞くさ。

 そうだな――もしそいつらの魂を俺が外れた世界に飛ばしてくれと頼まれても聞くだろう。

 その位の事はしてもらっている。

 罪はもう今更だ。俺が被るさ。


「さあ、始めるぞ。もう奴が召喚した普通の人間と、本来の召喚者との区別はついた。後は召喚するだけだ。みんな、頼んだぞ」


「はい、お任せください」


「大丈夫です、こちらも準備は完全です」


「こちらも問題無い……です。大丈夫です。始めてください」


 風見かざみ黒瀬川くろせがわにやる事は無い。ただ見ているだけだ。


 先ずは俺が魂を召喚する。

 死んだ時と同じ、ほんの一瞬だけ魂は塔の力によって俺の元へと来る。

 いつもであれば、そこで消え去ってしまう前に日本へと送るのが目的だった。

 だが今は違う。


 こちらに合わせて塔が反応する。

 同時にヨルエナが杖に集中して召喚を行う。

 本来ならまとめて複数人だが今回は一人。

 だが難易度は段違いに高い。何せ一瞬。瞬きをするような間に魂に反応した肉体を召喚しなければならない。

 まあ実際の召喚者の選別は塔がやっているんだけどね。

 そして魂は自然と自らの肉体へと融合する。そういった計画だ。


 おそらく何度も失敗する事になるだろう。

 それでも――やるしかないんだ。





 ◆     〇     ◆





 こうして、11人の召喚を失敗した所でヨルエナの体力が尽きた。


「これはもう限界だな」


「上手くいくんじゃなかったの?」


「まあまあ、敬一けいいちさんもヨルエナさんも、他の皆さんも真剣にやっていた事は分かるでしょう」


「でも結果が全てよ。それで、失敗の原因は?」


「ば、場所だと思います。魂は何処でも呼び出せても、肉体の召喚にずれがあります。おそらくヨルエナさんが、無意識の内に召喚の間に召喚しようとしているのかと……」


 ミイラ男じゃない一ツ橋ひとつばし風見かざみの迫力に押されてたじたじだな。

 まあいつもの人形じゃないから仕方ないのかもしれないが、もう少し安心してくれても良いと思う。

 ここにはいきなり攻撃してくる奴なんてやつなんて……。


「何か用?」


「いえ、何でも無いです」


 塔は何処にあっても問題無いと最初に考えていたが、それは俺だけの話か。

 確かにミーネルはここのほぼ真上で召喚したが、今回はそれとも事情が違う。

 肉体が来るべき所が召喚の時に決まっているのか、はたまたヨルエナの癖みたいなものか。

 とにかくそういう事であれば話は簡単だな。

 俺も色々と入る便利袋は貰っているわけだし――、


「塔と杖は俺がまとめて召喚の間へ持っていく。途中で見られるとうるさいしな。皆は明日来てくれ」


「そうですなあ。確かに今の話ですと、それが良さそうです」


「今日はもう無理なのかしら?」


「い、いえ、まだ――」


 ヨルエナは続けようとするが――、


「今日はもうヨルエナさんは休ませてください。も、元々ここは召喚には向いていないのです。明日以降に響いたら、何の意味もありません」


 珍しく普段の姿で意見を述べた一ツ橋ひとつばし風見かざみは一瞥したが――、


「そうね」


 ただそう言うと、素直に去って行った。

 もう少し粘ると思っただけにちょっと意外だ。

 俺としてももう少しペースを上げたかったが、ヨルエナを休ませるという事には同意見だ。

 これが残り3日とかだったらそんな暇はないが――というか、見えている期限が無いので焦りはするが、それでもヨルエナが倒れたらお終いだからな。

 今は素直に帰るとしよう。


 ただその前に、フランソワが俺の袖を掴んでいる。

 こうなったら逆らえない。俺の意思の弱さを笑ってくれ。





 そして用事を終えて帰った早々、「他の女の匂いがする」という言葉とともに神罰をくらう事になった。

 忙しすぎて匂いを外す事を忘れていた。これからは一層の注意をしよう。

 というか、なんか浮気のテクニックを磨いてどうするよ、俺。

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