第604話 一日休憩しよう

 結局、倒れてしまったヨルエナはこのまま一ツ橋ひとつばしの工房で寝かせることになった。

 もちろんここではない。ちゃんとした寝室があるらしい。

 普通に考えれば当然だな。フランソワの工房もそうだったし。


「それで、今夜はどれだけ激しいのでしょうなあ」


 少しからかい気味の黒瀬川くろせがわとワクワクした目でフランソワがこちらを見ているが――、


「すまないが今日は解散だ。今夜はさすがに塞がっていてな」


「それが分かっていて、フランソワの工房で何もしないのは酷いですなあ」


「絶妙なタイミングで甚内じんないさんをよこしておいていう事か」


「あれは風見かざみさんですなあ。その位は分かっていると思いましたが」


「タイミングを決めたのはお前だろ」


 ほんの少しだけ驚いた顔をするが――、


「なぜそう思いましたん?」


 どちらかといえば興味津々といった感じだが、そんなに複雑な話ではない。


「俺たちがチェックアウトとした時間とのタイミングと、そもそも俺があの時点でフランソワに所にいるだろうと知り得る人間がお前しか知らないからだよ。風見かざみには俺のスケジュールなんて分からないだろ」


「確かにそうでしたわ。ウチもまだまだですなあ。精進が足りない事を実感いたしますわ」


「一生まだまだにしておけ。それじゃあすまないな、フランソワ」


「いいえ。今度ゆっくりとお願いします」


「ああ、そうする」


 これから恋人とその姉の所に行こうというのに、俺は一体何を言っているのだろう。





 △     □     △





 なんだか当たり前のように、龍平りゅうへいは一言も口をきかなかった。

 割り切っているように見えたが、今頃になって沸々と腹が煮えたぎっている感じか。


 因みに5人部屋になっていた女性陣の部屋に行ったのだが、2つに分けられていた。

 表札を見る限り、片方が水城みなしろ姉妹。もう片方がセポナたち3人だ。

 早いなー。

 そしてもう完全に覚悟は十分という事だ。


「ただいま」


 入った部屋は、言うまでもないだろう。





 ★     ※     ★




「ううーん……伝統の杖が……代々の想いが……ハッ!」


「あ、起きちゃいましたか」


 人の動きを感知して、真っ暗だった部屋が次第に淡く明るくなる。

 眩しいような光ではない。微かな明るさだ。


「申し訳ありません。ただ柄の方は修復できますので、最後にはきちんと直してお返しします」


 薄明りの中、佇んでいたのは少女であった。

 より正しく言えば、少女の姿をした男性だが、その姿勢や声を聞く限り男と思うものはいないだろう。

 部屋にベッドは一つ。

 ここは絶対に安全な要塞のようなものと聞いていたが、それでも万が一の為にずっと立ったまま警戒していた事は一目見て判った。


「貴方は一ツ橋健哉ひとつばしけんや様ですね」


「……なぜそう思いました? 私のこの姿を知るのは、遥か以前の大神官ですよ」


「一度だけ、街で見かけた事がございます」


「それだけ?」


 そう言いつつも心の中で舌打ちする。

 確かに体はとっくに治っていた。

 だが外に出たのは数えるほどしかない。

 お気に入りの公園があり、そこに行くときだけだ。

 さすがにいつまでも引きこもりながら人形を操っていては、心まで腐ってしまうのは自覚している。


 そこはこの工房から誰にも見られずに行く事が出来、かつて召喚者同士の大規模な殺し合いがあったため誰も立ち入らないいわく付きの場所だ。

 まさか目撃者がいるとは思わなかったが――、


「召喚者の方々は全員頭に入っています。その中で、唯一知らない方がいらっしゃいました。その時点で分かったのです」


「これでも人の気配を察知する事には長けている自信があったのですよ」


 薄暗く表情は伺えないが、苦笑しているようでもあった。


「その時、わたくしに気配が無かったのでしょう。その様な鍛錬をしているわけではありません。ただ召喚はやはり激務で、お恥ずかしながら体が耐えられなくなると、あの場所の木にもたれかかって死んだように休むのです。そんな時にお見かけしたものでしたので、声をおかけする事も出来ませんでした」


「ううん、それで良い。お互いに静かな時間を邪魔する事は無いでしょう」


「そうですね。人は誰しも静かに考える時間が必要です」


「あれからあの公園へは?」


「行っておりません。特に前回の召喚からは、移動の時間すら惜しいほどに思考が巡ってしまって」


「悩み?」


「……そう、ですね」


 ヨルエナは天井を見上げながら――、


敬一けいいち様が召喚された時、わたくしは彼に制御アイテムを渡さず追放する様に命じられました。ですが、実際にはその命令は果たされず今があります。わたくしは召喚者の方々……それもクロノス様の言葉に間違いはないと今でも信じております。私の母も、祖母も、曾祖母も、ずっとそうしてきました。ですが、今は迷っています。わたくしには召喚者の方々が具体的にどう行動しているのかは知りません。ですが、敬一けいいち様がいらっしゃってから全体の空気が和らいだように感じます。そして、物事が良い方向へと流れている事を感じるのです」


「それは神官長の感覚?」


「ただの勘違いかもしれません。ですがおっしゃる通り、神官は物事の流れのような物が見えます。それに最も長けた者が大神官になるのです。わたくしがあの方の追放を命じられた時、最悪を感じました。この世界が滅びる程の最悪を。ですが、当時はそうするしかなかったのです。もちろんこの国を救ってくれた方に対するその仕打ちに対しては、相応の償いをするつもりでした。ですが結果は現在の通りです。クロノス様の命令は撤回され、敬一けいいち様は残られました。感じていた最悪は消え、今は逆に希望のような光が見えています。果たして正しさとは何なのでしょう」


「正しさなんて人の数だけあり、それもその時々で変わるものですよ。無限に移ろいながら、自分自身すら翻弄されるものです――なんて、大神官様に今更言う事じゃありませんね」


「わたくしに”様”などと怖れ多い事です。ですがそうですね。命令通りにした時は、きっと別の正しさがあったのかもしれません。それが撤回された事も、きっと正しいのでしょう。果たして本当の正しさとは……それは神にしか分からない事なのですね」


「そんなものでしょう。さ、もう寝てください。明日は激務ですよ」


「ええ、そうします。それと」


「まだ何か?」


「全部が終わったら、本当に杖は直してくださいよ。もし信者の方が見たら、大変な事になってしまいますから」


 さっきよりもはるかに真剣な目でそう言われ、一ツ橋ひとつばしとしてはさすがに苦笑するしかなかった。





 〇     ◆     〇





 翌朝――と言っても外は真っ暗だが、結局寝る事の無かった一ツ橋ひとつばしは黙々と作業を続けていた。

 そもそも失敗しない為に可能な限りの準備をするのは勿論だが、完成度が高まれば高まる程、ヨルエナの負担も減る。

 彼女ら大神官の負担は当然知っていた。

 しかも、元々気弱だった一ツ橋ひとつばしは周囲の気配には人一倍敏感だ。

 人だけではない。虫が葉を擦る音にすら反応する。

 更にあの事件があった。もうどんな気配や物音にも反応してしまう。

 あれ以来、心が休まる余裕なんて無かった。

 だがそんな彼でも、ヨルエナの気配に気が付かなかった。


 ……もう殆ど死んでいたのかもしれない。


 大神官の負担を甘く見ていた。

 早くに引退するのも、理由は知らないがそんなものだと思っていた。

 だが彼女らもまた、命がけなのだ。

 生贄という、本当に消費される命を使うというプレッシャーもある。

 富や名声とは無縁な神官長。それがただこの国を守るという使命の為だけに限りある命を削って召喚を続けている。


 みやもまた、それが分かった上で神官長を酷使している。

 4年前の反乱には幾つかの理由があるが、それに反対したことも原因の一つだ。

 それぞれの思いは別々だろうが、全員が正しさを求めて戦った。

 その間、自分は何をしていたのだろうか……。


 結局、ヨルエナが寝付くまで結論は出なかった。

 だが結論は出ないまでも、考えは決まっていた。

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