第593話 厳重な温泉だな

 案内された温泉は、見た目は石造りの堅固な建物であった。

 湯気は一切出ておらず、外見だけを見ればこの世界で特別な人だけが安置されるという霊安所に近い。

 そう、初めてクロノスとして召喚されたあそこだ。

 と言うかさ、この世界の地下は迷宮ダンジョンだ。

 一応ギリギリの境界線に下水などはあるが、井戸などは無い。水源は外を流れている川を都市に引いて利用している。

 当然、何重にも怪物モンスター対策をしてな。

 そんな訳で、ラーセットの中に温泉がある事はあり得ない。

 まあ大きな銭湯みたいなものだろう。


 外周は厳重な鉄柵で囲まれて、その柵に沿ってこの世界で慰霊に使われる木が植えられているのもあそこと同じだ。

 ただ普通の人は入る理由が無いし、そもそも入る事が自由なあそこと違ってしっかり門番がいる。

 見た範囲では2人だが、気配を探れば内外を問わず10人ほどが潜んでいるな。

 更に奥まで探れば、石造りの中にも多数の気配を感じる。

 それにこの反応……迷宮産の武器か。

 本当にここ、温泉か?

 罠とは考えられないし……というか、相手になるかよ。


 俺たちが行くと、門番は身構えるが武器は構えない。

 もう俺たちが召喚者がである事は分かっているのだろう。

 というよりも分かっていなかったら逆に驚きだ。

 まあそれもあるが、ここが郊外とはいえ市街地である事も関係ありそうだ。


「大変申し訳ございませんが、そこで停止していただきたい」


 武器ではなく、手だけで制止する。

 大げさではないが、自然と体が止まる。なかなかに隙の無い動きだだ。それに勇気もある。

 この時代では、召喚者は使い捨てであった。

 それ故に、堂々と現地人とトラブルを起こす奴も少なくは無かったという。

 すぐに教官組が始末していたそうだが、それでも殺された人間が生き返るわけではない。

 しかもセポナの話では、力かあるかや多少の強弱は現地人でも多少は分かるそうだ。

 彼らにとっては、とんでもないモンスターがやって来た様に見えているのだろうな。


「あ、くろ……じゃない。最古の4人の方からチケットを受け取ってきました]


 周囲の緊張感など無いかのようにのほほんとした奈々ななの声が響く。

 奈々ななが笑顔で返答すると、衛兵の緊張が一気にほぐれたのがわかる。

 目の前の衛兵だけではなく、隠れている連中もだな。

 こういう時、彼女の魅力はさすがだと思う。


「そうでしたか。ここは最古の4人の方か教官組の方々しか利用しないので。不快感を与えてしまい、大変申し訳ございませんでした。それではチケットを確認いたします……はい、大丈夫です。どうぞ中にお入りください」


 チケットさえあればすんなりなのはありがたい。

 それにしても、最古の4人は方々じゃないんだな。

 まああの連中は普段は認識疎外をしているし。誰かを判別する事すらできないのだろ。

 というかある意味顔パス……と言って良いのか知らんがまあ良いんだろう。


 建物の入り口は一か所だけ。

 その扉を開けると、緩やかな下り階段があるだけの実に質素な作りだ。

 しかも中に入るとほぼ同時に、俺たち以外の人間の気配が一斉に消えた。

 あのチケットは召喚者同士がブッキングしないための措置だろう。

 それは龍平りゅうへいに『 お前達は今夜だ』だ問われた時点で分かっていた。

 とはいえ、仲居さんや従業員位いると思っていただけに驚きだ。

 今日は泊りらしいが、食事はどうするんだろう?


 だがそんな心配は無用であった。

 案内の矢印通りに進むとごく普通の和室に到着。

 そこには既に、夕飯が用意されていた。

 皿などの器は全部迷宮産。食事が冷めない便利な品物だ。

 既に済ませてきたとはいえ、あれは何と言うか……うん、忘れよう。殆ど食べなかったし。


「あ、敬一けいいちくん、案内図があるよ」


「あら、本当。へー、この部屋と浴場、それにトイレしかないのね」


 いや待て。俺どこで寝るんだよ。


「早速だし、食事を済ませてから温泉に行きましょう」


「うん、そうしよう。ねえ、敬一けいいちくん」


「あ、ああ」


 生返事はしたものの、この状況を見てこの落ち着きは何だ?

 普段の奈々なななら顔を真っ赤にして『帰る!』と言い、先輩がなだめているはずだ。

 だが、二人ともまるで俺がいないかのように落ち着いている。

 もしかして、俺はもう消えてしまったのか!?

 いやいや、名前を呼ばれているのだからそれは無いわ。


 こうして極度の緊張感の中、食事はつつがなく終了した。

 非常においしい料理であったが、正直それどころではない。


「じゃあ、次は温泉ね」


「楽しみー」


 無邪気に言うが、見取り図を見る限り一か所しかないぞ。

 しかも縮尺があっていれば……まあここまでの通路と部屋を照らし合わせればあっているのだろうが、狭くはないが決して大浴場というほどでもない。精々6畳一間。その位だろう。


「じゃ、じゃあ俺はここで待っているから――」


「「何を言っているの? 敬一けいいちくんも行くんだよ」」


 二人同時に言われると何かくるものがある。

 いや待て、抑えろ。きてはいけない。


「いや、ここは姉妹水入らずが良いだろう。俺は片づけをしているよ」


 そう、ここは完全にセルフサービス。

 後片付けは宿泊客の仕事だ。

 多少面倒だが、外の様子から作られた経緯も目的も分かる。

 ここは完全に安心できる特別な場所として作られたんだ。

 多少の不便さなど何のその。

 この世界での危険度から考えれば、こんな空間が作られるのも自然な成り行きだろう。うんうん。


 などと自分を納得させる事も虚しく、奈々ななと先輩に両腕を掴まれて連行されてしまった。

 さすがに二人を引き剥がすことは出来ない。

 それ以前に腕が二人の双丘に挟まれていて離れる事を本能が拒否している。

 これで良いのか俺?


 いや、そうだ。

 もうデートの時に、奈々ななとは裸で抱き合っているじゃないか。

 これも全ては、俺の体調を気遣ってしてくれた事。ここは素直に受けるべきだろう。

 でも先輩もいる。

 しかもこの記憶は間違いなく残る。

 伝えるべきか?

 いや、伝えて話し合うべき問題だろう?


「あは。脱衣所は思ったより狭いね」


「棚があるせいかしら。逆に浴槽は予想よりも広い感じがするわよ」


「じゃあ早速」


「みんなで入りましょう」


 脱ぎ始めた二人を見て、俺は考える事を止めた。

 というか二人とも超露出の服だからな。一緒で脱ぎ終わって、あれよあれよという間に俺も脱がされてしまった訳だ。

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