第582話 前途多難だ

 今は時間が惜しい。

 一朝一夕に出来るものではない以上、先に時間がかかるものから手を付けて行かないといけない。

 そんな訳で、俺たちは一ツ橋健哉ひとつばしけんやの工房へと向かった。


 入り口の前に立つと、やはり音もなく開く。

 本当に、この二人似ているなー。言うと怒られそうだけど。


 中は相変わらず、整理されたきちんとした工房だ。

 そして、その主人である一ツ橋ひとつばしは車椅子に座って俺達を待っていた。

 全身紫の包帯で身を包んだミイラ男……だが、何かおかしい。

 背が少し縮んでいないか? 150センチを少し超えた程度しかないぞ。

 以前は170を超えたくらいになっていて少し驚いたが。


「何か縮んでいる? 手足でも斬り落とした?」


 こういう時、フランソワはズバッと言うなー。


「似たようなものだよ。もうあの姿にも飽きた。元に戻そうかと思ってね」


 言葉からだいぶ棘が無くなっている。

 やはりフランソワと研究する事で、心境の変化があったのだろうか?

 実に良い事じゃないかとフランソワを見ると、露骨に気持ちの悪い物を見るような顔をしている。

 どうやら心境の変化は、ごく最近の事の様だ。


「それで? そんな話をしに来たのではないだろう」


「ああ、少し長くなるが大事な話になる」


「ならばそこのテーブルで待つといい」


 指だけで指定されたそこには、確かに丸いテーブルと2脚の椅子があった。

 以前は確かにこんなものは無かった。そう考えると、あれ以降に配置したのだろう。

 もっと何度も訪ねれば良かったかな。


 テーブルの中央には琥珀色の液体とタイのような魚が入った大きな瓶が置いてある。

 下にあるのは蛇口か? 嫌な予感が満載だ。

 とにかく指示通りテーブルに着くと、一ツ橋ひとつばしがマグカップを3つ持て来た。

 そしてそのままテーブルに向かうと、蛇口の口を捻って琥珀色の液体御注ぐ。

 少しだけ、ヒレ酒やハブ酒の様なものを考えたが、そんなことは無かった。

 だが生臭くはなく、どことなくハーブの香りがする。


「こればかりは慣れないですが」


 そう言いながら、フランソワはちびりちびりと口にする。

 毒ではない事を俺に教えているような感じだ。

 まあ毒なら即外すが、一ツ橋ひとつばしが本気で作る毒となると……いや、考えまい。

 というより、もう考える必要は無い気がする。


「それでは本題に入るが」


 俺は、今まで呼び出されてからこれまでに命を落とした召喚者の魂が、まだこの世界に在る事を話した。

 もちろん、他にも奴が召喚した人間の魂もだ。


「奴等がまだこの世界にいるのか」


 一ツ橋ひとつばしが持っていたマグカップがバキっと砕かれる。

 同時に、手に巻かれている紫の包帯から滴るぽたぽたという音だけが場を支配した。

 そうでした。彼にとっては、自分を裏切ったあげくに殺しに来て、逆に始末したはずの人間がまだこの世界にいるという話でしたね。


「気持ちは分かると軽々しくは言えないが、俺は召喚するという立場も使役されるという立場も味わってきた。一応、それなりに視野は広くなったつもりだ。だから彼らは日本へと帰す。それで手打ちにして欲しい」


「つまりは、日本からではなくこの世界から召喚をすると? 今まで死んだ人間を? 正気か?」


 フランソワの空気がピリッとするが、動きはない。何せ今の一ツ橋ひとつばしの言葉には棘や嘲笑がない。

 即攻撃の危機は避けられたようだ。


「正気だ。出来るかどうかは、確かに今はまだ俺の推論だ。だが可能であるとも確信している。君たちには、その方向で今後の改良を考えて欲しい」


敬一けいいち様のご指示とあれば何でも」


「それが命令ならね」


「ただ当然ながら、結構醜く殺し合いをしてきた事は聞いている。召喚したとしても、即戦力になる人間は多くないだろう それに50人という制限に対して、死んだ人間が多すぎる 問題がある人間はすぐに帰すさ。どうせ――」


 いや待てよ?


「どうせ――何かありましたか?」


 最悪の話が蘇り、少し嫌な汗が出る。


「いや、実は黒瀬川くろせがわから聞いたのだが、記憶を持ったまま帰還できるようになったのは本当なのか?」


 俺の様子を察したのか、フランソワからピコーンと音が出たような気がした。


「あ、あれはまだ理論上はという段階です。机上の空論です。実現まではまだまだかかるでしょうし、今は敬一けいいち様のご指示を優先しましょう!」


 しかし、一ツ橋ひとつばしからそんな音はしなかった。


「理論も何も、あれはとっくに完成して設置も済んでいる。計算も構造も完璧だ、今更何を言っている?」


「死にたいですか? 死にたいですね?」


「何か文句があるのなら相手になろう」


 あー、一触即発だ。

 と思った瞬間には、たった今まで一ツ橋ひとつばしが座っていた車椅子には6本もの槍が突き刺さっていた。

 当の本人は、まるで体が不自由に見えたのが嘘のように跳躍する。

 そして注意が上に向くと同時に、足元から椅子、机にかけて腐敗が始まった。

 当然フランソワは、とっくに自らが出した槍に捕まって今は天井で揺れている。


 普通はそこで睨み合いとか探り合いとか、何かあるだろう。

 なのに互いに何の躊躇もなく始めやがったな。

 普段がどんな状況だったのか考えると、これからの事で頭が痛い。

 ただ俺も慣れたものだ。一ツ橋ひとつばしが上に跳んだ瞬間、もう次の攻撃が読めていた。

 腐敗が始まる前から立ち上がり、足の裏だけ腐敗を外す。

 周りはグズグズと溶けて崩れているが、この部分だけは靴の形で残っているわけだよ。


「相変わらず気の短い女だ。そんなに欲求不満なら、そいつに相手して貰えば良いだろう」


「そんなの今更な話です」


 まあ確かにその通りですね。

 なんて暢気に構えてもいられない。


 一ツ橋ひとつばしの四方から剣や槍、斧が飛ぶ。

 更には下からも数本の槍が出現する。

 一度に射出できる数は児玉こだま程ではないにせよ、速度も威力は桁違いだ。

 だがまるで空中を浮遊できるかのように、器用にバク転してふわりとかわす。

 そのまま落下して着地すると――、


「バーサーカーと会うのに無策だと思ったのか? そんな間抜けはとうの昔に死んでいるさ。では次はこちらの――」


 ……こちらの何かを見せる前に、一ツ橋ひとつばしの体は直上から現れた長剣に股の下まで貫かれていた。

 だが一滴の血も出ない。

 そして、破れた紫の包帯から見えたものは白木の人形であった。


 一方で今までフランソワがいた天井は武器ごと腐敗していた。

 だがこちらもまた、当人はとっくに着地して周囲を伺っている。

 何と言うか、互いに様子見とか探り合いとかの間が全く無い所が凄く怖い。

 本気の殺し合いって、確かにこうなんだよな。

 ……って、それをやらせてどうする。


「ストップだ! お互いに攻撃を中止しろ! 俺の命令権はまだ生きているはずだぞ」


「ああ、そうだな。だがそれはそこのバーサーカーに言え」


 そう言ったのは、割れた瓶に入っていたタイのような魚だ。

 本人は最初から姿を見せてはいなかったわけだ。

 と言うか、俺これが入っていたのを飲んだの?


敬一けいいち様の意も汲めないならここで死ぬべき」


「いや、殺すなって」

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