第569話 貴重な時間だったよ

 気が付くと、パチパチと枝が燃える音がした。

 俺は助かったのか?

 というより、何で裸なんだ? 服も再生できるはずなんだが。

 それに何よりも、この背中に感じるふくよかな弾力。

 先輩に勝るとも劣らない。というか、互角か!?


奈々なな!」


 一瞬振り向きそうになるが、ここは我慢か。


「良いわよ、こっちを見て。でもそこまでだからね。今の私には、これが限界だから」


 奈々ななのぬくもりを感じる。

 いくら願っても望んでも、もう絶対に得られないと思った。

 受験勉強をしながら、医学を学びながら、検体を解剖し研究しながら、奴らの群れに次々と人類が倒されながら……それでも決して忘れる事は無かった。


 悔しかった。意味も分からず彼女を奪われた事が。

 悲しかった。突然に人生の全てを奪われた事が。

 虚しかった。もう彼女の横に立つべきなのは、別の俺だという事が。

 だけど今、彼女は現実に俺と共にいる。


「お姉ちゃんの事は、ちゃんと許してあげる」


「良いのか? なんて俺が言って良いのかすら分からないが」


「お姉ちゃんは何が有っても敬一けいいち君には抱かれないって言っていたけど、絶対にこうなると思ってた。でもね、それが正解だと思う」


「……」


「むしろ、今はスッキリしているかな。やっぱりね、心の何処かでは後ろめたさがあったの」


「言っただろう。先に先輩に告白されたって、俺は奈々ななを選んだって」


「そう言ってくれるのは嬉しい。だけど、抜け駆けしたこの気持ちは消えないの。それに、今は良くても全部が終わって日本に戻ったら忘れちゃう。また心の何処かに刺さった棘を抜けないまま、一生仮面を被って生きるの。仲良し姉妹っていうね。これは多分、二人が並んだ状態で選んでもらっても変わらずに残る。だから、今は逆に少し安心しているし気が楽なの。敬一けいいち君は譲れない。だけど、お姉ちゃんの幸せも私の幸せなの」


 二人裸で抱き合ったまま、俺もまたどう答えたらいのか分からなかった。

 日本に帰れば、きっと俺は忘れてしまう。

 そして自分の性格は、1人生分は生きてよく分かった。間違いなく先輩の気持ちには気が付かない。

 奈々ななと先輩が互いに仮面を被っている中で、俺だけが何も気づかず先輩の前で奈々ななとイチャイチャするんだ。

 知っていたら耐えられないだろうな。だから今は――、


「たとえ忘れてしまうとしても、俺は先輩の気持ちに全力応えるよ。それで良いんだろ?」


「うん、それで良い。そうして。でもちょっと嫉妬しちゃうから、その時はよろしくね」


 その時か……焼けこげた大地を見ながら、どこか心が重くなった気がした。





 ◆     〇     ◆





 その後も奈々ななと大自然のデートを楽しみ、1週間後の昼過ぎにはラーセットに帰還した。

 もっと長くいたかったが、何だかんだで時間は有限だ。

 俺は奈々ななと別れた後、そのまま召喚庁へと向かった。


 敵の数は減らしたとはいえ、当然また増える。

 3年後にハスマタンを襲った時よりも数は少ないだろうが、そもそも雑魚が何体いようが関係ないのだ。

 問題なのは、やはり眷族と本体だな。

 眷族は成長した召喚者なら倒せるだろう。

 だけど今の段階でその確証がある人間は少ない。ましてや本体となると、誰がどうしたらいいのやら。


 今はまだ時間を戻せない……と思う。

 だけどそれと地球に飛ぶことはまた別だろう。

 もしかしたら、時間を戻せなかったら地球に飛ぶという最悪の結果すら考えられる。

 何とか情報が欲しい。たとえ少しでも、知っているそうでないのとでは雲泥の差だ。





 その情報源に行く話をみやにしに行ったのだが、途中で黒瀬川くろせがわに捕まった。


「おや、こんな所で会うとは奇遇ですなあ。もしかして、ウチと敬一けいいちさんは体だけじゃなくて、赤い糸で結ばれているのかもしれませんなあ」


「凄い事をサラッと言うな。誰が聞いているかもわからないんだぞ」


「こんな所に人なんて来やしません。そうなっておりますので」


 ここは召喚庁のかなり上層だ。

 一般職員は下の方で仕事をしており、連絡は基本的に通信機を使う。

 極稀に書類の束が運ばれるが、場所自体は決まっているし、ここより下だ。

 そこからの運搬はみやが自分でやっている。

 俺との時とはずいぶん違うが、今いる無人部分は万が一の時に襲撃されても被害を出さないための措置だと分かる。

 本人も自覚しているが、色々と恨みを買って来たんだよな。


 そんな訳でここは基本的に無人。

 自分に発信気が付けられているわけでもないし、ここで出会ったのは本当にただの偶然だろう。

 とはいえ、俺も彼女に用件があったからオッケーだな。


「ここへは先日の報告か?」


「ええ。さすがに被害も使った物資も多すぎましてなあ。修繕や補充物資の件などであちこち回って疲れましたわ」


 なるほど、そっちも黒瀬川くろせがわの仕事か。

 フランソワと仲が良いのはそのせいなのか、仲が良いからこうなったのか……。

 その辺りは分からないが、少なくとも引き会わせたのはダークネスさんだろうなあ。

 それもベッドの上でって所が簡単に想像できるわ。


 しかし何というか、黒瀬川くろせがわは白か黒かで言えば白。

 こちらで初めて会った時は、一番黒く感じた。深く、暗い、深淵の底から湧き上がる黒い渦のような雰囲気があった。

 最も警戒した相手だし、危険を察知する能力に関してはきちんと鍛えられたつもりだ。

 それに、みやからもそう聞いていたからな。

 だけど、今の彼女は俺が見る限り白い。潔白だ。

 周囲に対する余裕もあるし、何より少し明るく感じる。

 これはスキルの悪影響によるものではない。彼女の場合、悪影響の解消自体はさほど難しくは無いし。

 それにさっきのみやの話も、現在の話の割には過去形で、どうにも要点を掴めていない感じだった。

 まあ今後は、世間話でもしながら様子を見るか。


「セーフゾーン戦では活躍だったんだって? そう言えば回復が主体って聞いていたけど、恥ずかしながら今の黒瀬川くろせがわのスキルをよく知らないんだよな。差支えがなかったら教えてくれないか?」


 何せ何でも食えるとしか知らないからな。

 あの鉄兜の味は今でも――あ。


「ウチのスキルは何でもどんなものでも食品に出来る事と、そういったものを遠くまで流せる事ですわ」


 そうなんだよな。俺が出会った時に、もう既にスキルは変わっていたのだった。

 どんなものでも食べられるから、どんなものでも食べさせられるに。

 かなり最初の頃に変わった事は聞いていたけど、鉄兜のインパクトが強すぎてあまり気にしていなかった。


 今の段階はそれを更に強化した形。

 おそらく鉄兜ではなく薬だろうが、それを傷ついた相手に霧や煙のようにして届けるスキルか。

 そういや以前、目の前で使っていたじゃないか。

 黒瀬川くろせがわのスキルだったとは気が付かなかったけど。


 だが逆の使い方をすれば、それは毒でも可能だ。

 スキルで作った物ならともかく、彼女の場合は違う。

 相当に育った召喚者なら抵抗も出来るが、現地人はもちろん、新人召喚者もやられたら気が付く前にお終いだ。

 ある意味、咲江さきえちゃん並みの初見殺しか。

 ただ知っているのなら、霧状になって見える分だけまだ対抗手段はあるか。

 もっとも、それに気が付くまでに何人残っているかだが。

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