第540話 俺の心は絶対に変わらない

奈々なな!」


 逃げる奈々ななを、後ろから抱きしめる。

 彼女は何の抵抗もしなかった。

 ただ静かに立っていただけだ。

 こうなる事は、予想していたのだろう。


「すまない、奈々なな。この問題を引き延ばしてきたのは俺の責任だ。だから――」


「待って!」


 そう言うと、俺の手を振りほどきこちらを向く。

 真っ直ぐとした、決意に満ち溢れた目だ。

 遂に結ばれるのか、それとも他の女の所に行けと別れ話を切り出されるのか。どんな結論を出したのかは分からない。

 もしかしたら、ここで無理心中となるかもしれない。

 だけど、そんな結果になっても受け入れる。

 それが奈々ななと付き合う事を決めた時にした誓い。

 そして、奴によって断ち切られた誓いでもある。


 万が一の時は、先輩、龍平りゅうへい。酷い話ではあるけど、後の事は任せる。

 でも神罰無しでどうにかなるのだろうか?

 まあ実際に何度かは俺無しでも切り抜けてきたんだ。きっとどうにかなるだろう。

 そうさ。俺は結局、こんないい加減な人間だ。

 世界の命運より、恋人の希望を優先させる男だ。

 決して、世界を背負って立つような英雄の器なんかじゃない。自分でも理解しているよ。


「私はね、何が有っても敬一けいいち君と別れるつもりはないの」


「ああ。俺もだ」


「だけど私はこんな状況で、その……抱かれたくも無いの。決心がつかないの!」


 それも分かるよ。

 しっかり者の先輩とおっとり天然系の奈々なな。周りからはそう言われる。

 だけど実際は逆だ。先輩は結構天然な所があって隙も多い。

 そして奈々ななは、これと決めたら決して揺るがない信念の持ち主だ。

 けどそうなると……。


「私が一番、敬一けいいち君を愛している。この心は絶対に変わらない。何が有っても。だから気にせず他の女の子ヒトを抱いて!」


 ……え?

 一番可能性が無いというか、絶対に認めないと思ったのだが。


「それはどういう……」


「だから私が一番。それだけは譲らない。もし別れるなら、敬一けいいち君を殺して私も死ぬ」


 冗談では無いし、本当に何の躊躇もしないだろうと簡単に予想が出来る。


「でも私はこの世界では抱かれない。全部終わって、帰るまでお預け! だけどそれじゃあ、敬一けいいち君がそれまでもたないんでしょ?」


「正直に言えば、そうなんだ。もう限界が来ている」


「だからどんな時でも私を忘れないで。それで許す!」


奈々なな!」


 奈々ななを思いきり抱き締める。

 彼女は途中から、完全に泣いていた。

 それでも他に道は無かったのだろう。

 でも大丈夫だ。俺だって奈々ななが一番だ。

 そんな気持ちで他の女性を抱くのは失礼だと思う。絶対に地獄行きだ。

 そしてそれは、俺がクロノスになった時にした決意でもある。

 だけどもし神というものがいるのであれば……いや、悪魔でも良い。それはもう少し後にしてくれ。

 少なくとも奈々ななと結ばれることが出来たのなら、俺の魂は地獄でも何処へでも行こう。


「話は終わったようですなあ」


「おい」


 いつの間にか、黒瀬川くろせがわが奈々の後ろに立っていた。

 どうも気配を消して、出てくるタイミングをうかがっていたようだ。

 いつもの俺なら気が付いたのにな。ちょっと恥ずかしいが、全部の意識が奈々ななに向いていたから仕方がない。

 ただそれよりも――、


「いつからいたんよ」


 何しに来たんだよ、とはもう聞く必要がないな。


「つい先ほどですなあ。少々所用で来たのですが、お取り込み中でしたので待っておりました。お邪魔するつもりはありませんが、そちらの話も終わった様でしたので」


「丁度いいわ。連れて行って……」


 目を逸らし、両手の拳を握りしめ悔しそうにプルプルと震えている奈々なな

 恋人として、この状態の奈々ななを放置する事なんて出来ない。

 だけどそれは、考え抜いた上での彼女の決断……ここで動かなければ、逆に尊厳を踏みにじる事にもなる。


「……行ってくる。だけどさっきの話、必ずいつでも忘れないから」


「……うん」


「あらあら、妬けてしまいますわあ。どうせならご一緒してはいかがでございましょうや? 案外、新たな扉が開くかもしれませんですよ」


 キッとした奈々ななの瞳にスキルの紋章が浮かぶ。


「双方ストップだ! 黒瀬川くろせがわもまぜっかえすな!」


 そう叫びながら、黒瀬川くろせがわの手を引いてその場を走って逃げた。

 廊下の隅に修理工たちが待機していたが、大丈夫だ。今回の出番はないよ。

 とにかく奈々ななの事は気にしつつも、後は先輩に任せよう。

 あんな事があった後だが、だからこそ奈々ななは結論を伝えに行くだろうしな。





 ▽     □     ▽





「それで、どうしてあんな挑発をしたんだ。奈々ななはあれで自己防衛意識は凄く強からな。下手すりゃ攻撃されていたぞ」


 あの後、俺たちは近場のビルにある一般エリアの喫茶店まで移動した。

 召喚庁のビルには、そんな施設は無いからね。

 しかし着物姿で俺の全力疾走について来る辺り、さすがは最古の4人だけの事はあるか。


「ですが、普通の人間を殺せるほどに胆が据わってるようにも見えませんでしたなあ」


 さすがにかなりの年長者。その辺りは計算ずくか。

 それだけに分からない。


「まあ、挑発したのは決意の固さを見るためでありますな。正直に言えば、付いて来てくれるとありがたかったので有りますが」


「そんな趣味があったのか?」


「無いとは申しませんが、元々何人もと一緒にするのが当たり前でありましたし」


 まあ今の時間軸では、始めて一夜を共にした時もフランソワが一緒だったが。


「それにそれで決意が変わるなら、それはそれでめでたい事でありましょう? そちらの精神的にも。とはいえ、既に彼女一人でどうにかなる状態でもありませんが」


 確かにそうなのだが、奈々ななが他の人と一緒に混ざってとかまるで想像できないわ。


「というか、暫く姿を見せないと思ったらそんなタイミングを伺っていたのか」


「大事な事でありますからなあ。それに、それだけではありはしません。ちゃんとウチも、あの後で本体の近くまでは行ったんですよ」


「おいおい、危険すぎるだろう」


「あくまで殿しんがりとしてですわ。敬一けいいちさんが行く事は分かっておりましたし、なぎさんが一緒とはいえ相手が相手ですからなあ。まあ敬一けいいちさんは何だかんだで逃げ切れるでしょうが、ここで二人もベテランを失う訳には行きませんでしたのでねえ」


 そうなると、やっぱり俺が色々こちらで動いている最中には、もう甚内じんないさん達を追って移動していたのか。

 確かに俺のように距離を外せるわけじゃないからな。先行していないと無理な話だ。

 道理で姿が見えなかったはずだ。


「それがまさか、もう3人目に手を出しているとは思いもよりませんでしたわ」


「出してねーよ。マジで今度木谷きたにの報告書を見せろ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る