第535話 全員変わりなくて嬉しいよ

「そ、そうですよね。コホン。先ず状況なのですが――、」


 と切り出したのは、やっぱりというか斯波裕乃しばゆのだった。


「大変動が近い事は分かっていましたので、可能な限り急ぎつつ、セーフゾーンの間を急いで移動しました。そのままセーフゾーンで待機という手もあったのですが、持っていた水や食料も心もとなくて」


 確かに都市中心のセーフゾーンが近い所には、それほど補給施設は無い。

 そこまで戻って来たのなら、ラーセットに戻った方が早いからな。

 だけど大変動は気まぐれだ。ちょっとの油断が死を招いてしまう。だから発動の予兆があればセーフゾーンに籠るわけだが……なるほど、食糧事情か。

 3年に満たない程度の新人だと、その辺りのミスはよくやるな。


「そんな時、いきなり頭に中に今の記憶が入ってきたんです」


「あれは驚きました。クロノス様と別れて日本に戻ったはずが、突然知らない迷宮ダンジョンに飛ばされてわけですから」


「でもそこまでの記憶もあったのよねー」


「いわゆる存在しない記憶ってやつです。最初は混乱して吐きましたよ」


 そんな状態だったのか。そりゃ気持ちも分かる。そこまで生きてきた人生に、もう一つの人生が重なったわけだからな。


「それで、どっちが正しい自分だと思ったんだ?」


「どっちもですよ。こっちに召喚されたわたしも、クロノス様と過ごしたわたしもどっちも同じです」


「自分もですね。それはここにいる誰もが同じです。全員が同時にクロノス様と過ごした記憶が――何と言うんでしょうかね? 蘇った……は違う気がします」


「湧いて出たって言う方があっている気がする。とにかく突然でした」


「その時期は?」


「2か月くらい前でしょうか? 話には聞いていますが、その頃にクロノス様が召喚されたんですよね?」


「その通りだ。それにしても、よく俺だって分かったな。当時は一応、認識阻害はしていたんだが」


「まあそうではありますが、ほら、最後にはしていなかったじゃないですか。それに気配は変わりませんしね」


 そういえば、日本に帰す時は認識阻害をしていなかったな。

 それは最低限の礼儀だと思っていたし。


「それ以前に、あんまり意味なかったよね、あの認識阻害」


「ああ。近づくとぼんやりと本当の姿は見えていたしな」


「それは言わないって話だっただろ。本人が気にしたらどうするんだ」


 知って驚く意外な事実。というか本人の前で言うな。

 俺の努力は無駄だったのか……いや、現地の一般人にはちゃんと効いていたし、召喚者も最初の内は視えていなかったようだし。

 うん、彼らがそれだけ成長したのだのだと喜んでおこう。


「まあ話を戻しましょう。最初はかなり気持ちが悪かったですが、すぐに力などはクロノス様と一緒の頃位に戻りました」


 強い方に合わせられたのかな?

 まあ奴はそうだったが。

 案外比率としては小さくとも、融合した可能性もある。


「ただこの話をどうしようかと迷ってはいたんです。何しろ、私たちにはこちらでの記憶があるわけですからね」


「今のクロノスって奴がクロノス様じゃないっていうのは直ぐに予想がつきましたよ」


「ただ確証はない。人は変わりますからな。だけど、こっちの記憶の中にある自分は一度もクロノス様に会っていないんですよ。だから会いもしないクロノスを、クロノス様とは認めたくはなかったって所ですか」


「それ以前に木谷きたにには驚いたよねー」


「そうなんだよな。戻って早々、あの木谷きたにが『きちんとノルマは果たしたかね』キリッだもんな」


「こっちの記憶の中の木谷きたにも確かにそうだって分かっているんだけどさー。噴き出しそうになっちゃうわよねー」


「いや脱線は良いから。というより、木谷きたにには話さなかったのか?」


「今の世界の記憶もあるって言ったでしょ。とてもじゃないけど、誰一人として信用出来ないのが現状だったのよね」


「だった?」


「私たちを訪ねてくる人がいるって言うじゃない。しかも私たちの記憶が重なった日に召喚されたとなったら、そりゃもう関係者の可能性が高いと思ったのよ」


「非常識さから考えてクロノス様本人の可能性が一番高いとは話し合っていたけど、こんなに若いクロノス様が来るとは思わなかったですよ」


「ねえねえ、それよりわたしも触って良い?」


 返事も待たずに蔵屋敷里香くらやしきりかに顔全体をまさぐられる。

 さすがに前髪でいつも目は隠れているが、ここまで近いとはっきり見えるな。

 ちょっと赤みがかった珍しい瞳だ。案外、それを隠していたのかもしれない。

 それはともかく、薄いビキニの胸と小さな手もなかなか。


「それで、クロノス様は今の状況は理解しているんですか?」


伏沼ふしぬまの疑問はもっともだ。だけど俺自身もまだ完全には把握できていないんだ。確実なのは、やはり地球での時間は動いていないって事くらいか」


「え、初耳です」


 普通は全員気にしていたが、暢気だなー。

 だけどあの14期生の生き残りだ。逆にそんな事はどうでもいいのかもしれない。


「要するにまあ、最初に説明した事は事実って事だ。召喚した時にちゃんと話しただろ。ラーセットでどれ程に時を過ごそうとも、地球での時間は停止中だって。それにこっちでも同じ説明は受けたはずなのだが」


「あーあの話ね」


「大丈夫です。伏沼コイツ以外は全員理解していますから」


伏沼ふしぬまの頭では理解できなかったってだけです」


 良かった。二重召喚のショックでどっかおかしくなっているのかと思ったよ。


「それより、自分たちが召喚された日は覚えているか?」


「ええ、しっかりと」


「だけどあれ? はっきりはしているけど、どこかスッキリしない」


 3年近く経っても塔の暗示は残っているのか。そんなに有効なのか?

 これはちょっと意外だと思ったが、そうじゃないか。

 どちらかと言えば、何故考えていない期間があったのかが引っかかるって所だな。塔の効果はとっくに切れていると見て良い。


「それで君たちを日本へと帰したんだが、地球じゃ時間は動いていない訳だ。だからまた召喚されると、送還されたと思った瞬間にはまたラーセットにいるって事になってしまうんだよ。ちょっとこれは申し訳ないな」


「いえいえ、そんな事は良いんですが、なんで今まではそれを覚えてなかったんですか?」


「覚えていないというより、ズバリ本人ではあるが別人だったって事だな」


「詳しく」


「いや待った。この件については少し考える時間をくれ。ただ正確な所は多分分からない。予想だけだ。ただ確実な事は、この件は暫く黙っていた方が良いって事だな」


「話すつもりはさすがにありませんよ。だけどあの頃と比べると、記憶にある他の召喚者は皆弱いですね。例え襲われても不覚は取りませんよ」


「さすがに召喚組は厳しそうですが、彼らはこちらを襲う立場じゃないようですしね」


「フランソワちゃんにも会いたいけど、身分違いだって記憶があるのよねー」


「まあな。それにしても、今日は本当に有意義な話が聞けたよ。大変動までは暫く地上で休息期間だ。先ずは英気を養ってくれ。それと、今更だがスキルには初見殺しが多い。戦わないのが一番だが、万が一の時には今言った油断は捨てろよ」


「了解です。今の偽クロノスと対決する時は、是非声をかけてくださいね」


「そのことに関しては、今度また説明するから短慮は起こさないように。取り敢えず、敵対関係には無い事は頭に入れておいてくれ」


「はーい」


 この後は少し雑談や思い出話に花を咲かせた後、俺は皆の宿舎を後にした。

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