第478話 どんな反応をすればいいんだ

 少し前、緑川みどりかわは取り敢えず落ち着いてはいた。

 だが、一応はまだ警戒すべき状態ではある。


 荒木あらきは帰り、一瞬微かに感じた一ツ橋ひとつばしの気配も消えた。

 おそらく、作戦が上手くいかず動揺した時の気配だろう。

 あれからも床の石化は継続中だ。しかもこちらは一度変えたら解除するまでそのまま。

 一ツ橋ひとつばしの腐敗も似たようなものだが、とにかくどこか1箇所腐敗させなければ広がらない。それが出来ないのなら、スキルを使って挑戦し続けなければならないわけだ。

 完全に無駄な作業だし。あの極度に人間を嫌っている一ツ橋ひとつばしが、そんな無理をしてまで協力する可能性は無いだろう。実力差を考えたら、まだ居るとは思えない。

 だが、まだ目の前にいる人間が一人。


「お前は帰らないのか? 田中たなか


「クロノス様の命令は絶対。だけど、さっき変な事を言った。それを聞いておきたい……です」


 田中玉子たなかたまこことフランソワ……現存する教官組の中では一番の古株だ。そして熱烈なクロノス信奉者もである。

 あいつクロノスは召喚者に対しては、頑なに”様”付けで呼ぶことは許さなかった。

 現地の人間はまあ普通にクロノス様と呼ぶが、召喚者でクロノス様と呼ぶのはこいつだけだ。

 まあ元々”様”と呼ぶには気さくすぎる奴だったが、今のクロノスに――みやになってからは別の意味で完全に変わってしまった。


「言った通りだ。もう分かっているんだろう?」


「分からない。クロノス様はクロノス様。あの方は絶対の存在」


「そのクロノスが、お前を抱かなくなったのはいつだ。風見かざみだけを相手にするようになったのはいつだ」


「それが何……ですか。あたしはクロノス様の道具。使い方はクロノス様が決める事」


 そう言って、右手に持っていた剣の切っ先を緑川みどりかわに向ける。

 同時に目に光るのはスキルの紋章。小休止は終わり。改めて臨戦態勢に入ったという事だ。

 そしてそれは、同時に心の何かに触れてしまった事を示していた。


「クロノス様は絶対の存在。例え距離が離れても、今こうして命令してくださる。それだけで十分」


「囮になって死んで来いという命令でもか?」


「どんな命令でもクロノス様の命令であればそれが正しい。でも――」


 表情一つ変えずに言い切るが、その目からは本人も意識しないうちに涙が頬を伝っていた。


「ああ、分かっているさ。お前が忠誠を誓ったクロノスは……いや、それより寝物語にでも聞いた事があるんじゃないんか? クロノスの本名を」


「ない……ありません。最後まで……わたしたち教官組には教えてもらえなかった……ませんでした」


 あの女ったらしが。肝心な事は教えてないのかよ。

 と思いつつも緑川みどりかわにも思う所はある。

 自分の本名は最優先秘匿事項だと言っていたし、その理由も当然だろう。


 それに追放して鍛えるってのは最初からの計画であった。

 仲間から隔離し、社会からも孤立させる事で甘えを無くし、奈々ななの件も最後まで秘匿ひとくする。

 そう考えれば、事情を知る人間は少ない方が良い。特にこいつなんて、下手をすれば成瀬敬一なるせけいいちを過保護に見張り続ける可能性がある。それでは意味がない。


 だけど状況はもうずいぶんと変わった。

 まだ詳しく聞かない限り何とも言えないが、ここで戦いを続けることは決して得策ではない。

 それにまあ……もう言っちゃったしな。

 こうして緑川みどりかわは覚悟を決めると――、


「クロノスが召喚されたんだよ。あの当時のクロノスではなく、もっと若い――高校生のクロノスがな。俺やお前と同じ時代からだ。ただそれがどうもおかしくてな。少し違ってはいるがちゃんとクロノスの記憶があって、確かに話し方や雰囲気がクロノスなんだよ。言っちゃ悪いが、とても高校生には見えないわ、あれは」


 場を軽くしようと多少冗談交じりに言ったのだが、無数の迷宮ダンジョン産の武器が飛んでくる。

 まあただの脅しだ。当たるルートには無い。

 それになにより、目の紋章が見えた時点で緑川みどりかわも臨戦態勢だ。

 当たる・当たらないに関わらず、全ての武器は途中で石化された空気に阻まれ砕けたり弾けたりで届きはしない。


「どこ!?」


「相変わらず気が短いな。今は最高の部屋に宿泊してもらっている。あいつクロノスがこの世界に来て初めて用意されたっていうあの場所だ」


「まあるいベッドの?」


「そう、ああ今はもっとしっかりした高級スイートに変わっているがな。そういや、お前が来た時はもう召喚庁が出来ていたんだったな。よく知っていたな」


 答え終わった時、もう既にフランソワは居なくなっていた。

 黒瀬川くろせがわの事は言っていなかったが、クロノスはあの2人を時に相手する事も多かった。

 正確に言えば、毎晩の様に5人とか6人とか手を出していたものだ。おそらく問題はないだろう。


 警戒を解いたわけではないが、もう今日はなにもないだろうと緑川みどりかわは確信していた。





 □     ★     □





 勢いよく扉が開き、小柄なおかっぱ頭の少女が入ってくる。

 服装は白と黒を基調としたゴシックロリータだが、緑川みどりかわと一戦交えた時とは違う。

 あの時のはヒビが入った部分が破れてしまったし、そもそもあれは、見た目はほぼ同じでも戦闘用。見た目よりも硬く、脱ぎずらい。

 圧倒的な実力差を前に、嫌な汗もかいた。


 だからすぐさま自室に戻り、服を一番のお気に入りに着替えた。

 当然下着も勝負下着。

 クロノスが気に入っていた香水も付け、準備万端で来たわけだが――、


黒瀬川くろせがわに先を越された」


 開口一発、実に悔しそうにそう言った。


最古の4人おんかたがたでしょう。現地の方々の手前、格式は重んじるようにと常日頃から言っているでしょうに」


「ベッドルームで身分は関係ない。最古の4人 でも召喚されたばかりでも同じ。クロノス様がそう決めた」


 入ってきたのは見忘れるはずもない。フランソワだ。

 でもこうして見比べると、こっちの彼女の方が少し色気を感じるな。

 外見は変わらないのだから、経験の差か。

 というか、今なにやら不穏な言葉が流れたぞ。どう言う事だダークネスさん


「やあ、フランソワ。そんなに慌ててどうしたんだ?」


 その言葉と同時に、彼女は俺の胸に全力でダイブした。

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