【 黒き騎士 】
第404話 寿命
ハスマタンにある高層ビルの一部屋。
明るい光の差し込む大きな窓の脇には、この世界では標準的な楕円形のベッドが置かれていた。
今そこで横になっているのは、この部屋の主であるウェーハス・エイノ・ソス。
現在の年齢は62。常に戦いのある世界の平均寿命としては長いが、生涯を平和に過ごす地上の人間としては長いとは言えない人生だ。
とはいえ、決して短いというほどでもない。ある意味普通だろう。
今この部屋には、彼女の他にもう一人男がいた。
儀礼用の装飾が過剰なほどに施された礼服を着た男。その服装を見ただけで地位と所属が分かりそうなところは、ある意味世界が変わっても共通といった所か。
彼は軍務庁長官オーギ・テス・エアーク。かつてクロノスと対した時は、門番として会った男だ。
こちらは現在71歳。少年の頃から
「本当に……もう永くは無いのですね」
「これがここまで光っちゃうとね……でも別に、後悔のある人生ではなかったわ」
机の上に置いてあるカップに入った卵の様なアイテム。死期が近づくと光り輝く性質を持つアイテムだ。
病気でも怪我でもない。ただ寿命が尽きるというだけという事の証明でもある。
「ただもうちょっと、親らしいこともしてあげたかったかな」
彼女は生涯独身で、特定の恋人はおらず子孫も残さなかった。
便宜上、迷宮孤児を数人養子として引き取ったが、これも慈善事業の一環だ。一緒には住まず、会った事も殆ど無い。
ダメな養母であるとこは認識しているが、それでもそれなりの財産は残してあげられる事だけが救いだろう。
これは全て、“宰相”という特殊な地位を秘匿し維持するために必要な事だった。
だが引き取られた子供たちにとっては、決して幸せではなかっただろうと反省している。
「その点に関しては、申し訳なかったと思っております」
「自分で選んだ道よ。言ったでしょ、後悔と呼ぶほどの事は無かったわ」
「本当に、国葬などは行わないでよろしいのですか? 死後の発表であれば、国民も驚きはすれど納得もします。貴方の業績は、今後も歴史に刻まれる事でしょう」
「そんなのお断り。最後まで静かに生きて静かに逝きたいの。それに今更ラーセットを騙していましたとか公表したいの?」
「それは流石にそうですが……あのクロノスとかいう御仁、とっくに気が付いていたのではないでしょうか? あの並々ならぬ気配と歴戦の風格。全て分かった上で合わせていたように見えました」
――それは無いわね。
その様に、“宰相” ウェーハスは考えていた。
確かにあれだけの人物であれば、同様に武人として幾度も死線を乗り越えたオーギがそう考えるのも無理はない。
だけど前にも感じていたが、彼はそこまで気にしない。本気で信じていたし、それが危険な嘘であれば容赦なく蹴散らす実力がある。
力の差があり過ぎて、歯牙にもかけていないと言った方が良いか。
だがそれ以上に普通の市民であり、その本質は善人だと見抜いていた。
「たとえそうだとしても、わざわざ波風を立てる事も無いでしょう。それよりも例の件は進んでいます?」
「……形見分けの手はずですよね。もちろん進んでいますが――その……本当に、あれをクロノス殿に送ってしまっても良いのですか?」
「確かに強力な宝物ではあるけど、この国であれを使いこなせる人はいないわ。それとも、オーギが欲しい?」
「謹んでお断りいたします」
「でしょう。ある意味呪いのアイテムと言っても良い品物よ。だけど強い力を秘めている事には違いないわ……」
「その力が、我が国に向く事は無いでしょうか?」
「召喚者が強力なアイテムを売るほど大量に掘り出してくる国よ。今更の話ね。それにこれからは、三長官でそうならないようにしていくのが貴方たち残された者の使命よ。心なさい」
「必ずや、この国を守って見せます」
「期待しているわ。それと、困った時はラーセットのクロノス殿を頼りなさい。その為にも良好な関係を維持する事。彼は、周りのどの国よりも打算では動かない。こちらが手を握っている限り、決して手放す事は無いわ」
「承知いたしました。それでは――」
「ええ。おやすみなさい」
涙を堪えながら、軍務庁長官のオーギは彼女の部屋を後にした。
これが今生の別れである事は、もう避けられない事実だったのだから。
その2日後。大月歴の166年3月2日。
クロノスがこの世界に召喚されてきておよそ33年。
長い間大国イェルクリオを支え続けて来た才女は、静かに息を引き取った。
彼女からクロノスに送られたそれがラーセットに到着したのは、およそ1か月と数日後の事であった。
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