第222話 こんなにも簡単に世界は終わるのか

 最初の異変は爆発音だった。

 大きな音と共に、遠くで煙が上がる。交通事故か?


「取り敢えず行ってくる」


「まあ医者だから当然か」


 そう言いながら龍平りゅうへいは煙を見上げると、


「たいした事じゃなければいいが、俺も一応行こう。墓参りは今度になりそうだな」


「ああ、すぐには終わりそうにないからな。というかさ、お前俺の足に付いて来れるのか? ここに来るだけで死にそうな顔をしているんだが。少しは運動した方がいいぞ」


「ほっとけ。それより急げよ。嫌な予感がする」


「そうだな」


 立ち上る煙は2本3本と増え続け、微かだが悲鳴も聞こえてくる。ただ事ではなさそうだ。

 だが、救える命があるのなら向かう。それが俺が医者になった理由でもあるからだ。

 しかし、事態はそんな次元の話ではなかった。


 車は多重事故を起こし、クラクションは鳴りっぱなし。煙もあちこちから上がっている。

 その中を、パニックを起こしながら逃げ惑う人々が見える。理由は簡単だ。だが説明は難しい。

 その惨劇の中に、そいつらはいた。人間のようにも見える。

 服を着て、二本の足で立っている。だが上半身は不自然にぶらりと前に垂れ下がり、その背中からは裸の――多分その人ではないかという青白い上半身が飛び出していた。


 頭が痛む。まるでどこかで見たような気がする。だけど、今はそんな事態じゃない。

 でも何をするべきなんだ? 怪我人の数が多すぎる。そして救いを求める声も。行ってやりたい。だけど、足が動かない。

 なぜなら助けを求めた人もまた、背中から生えた青白い怪物に引き裂かれたからだ。


 だけど食べるわけではない。ただ殺すと、次は車の近くで倒れている主婦らしき女性を目がけて走り出した。

 動け、自分! 今助けないでどうするんだ! だけど、どうやって? 武器――何か武器になる者は!?


 その時、2つの発砲音が響いた。

 警官が銃を撃ったんだ。

 それは青白い胴体に2発とも命中した。だけど、一滴の血も出ない。それどころか、怯んだ様子すらない。


「く、来るな! 止まれ!」


 立て続けに、発砲するが止まらない。

 人間部分に当たれば血が出るが、それでも動きは止まらない。

 警官はもう一人いて、そいつは徹底して足を撃った。

 そうだ、それでいい。銃が効かない化け物といえども、見たところ構造は人間だ。移動できなければ無力だと思って良い。

 後は何なのかを調べて――そうだ、もしかしたらあの事件にも――、


 だが、そんな余裕はなかった。

 発砲した警察官に、何処から出たんだというほどの数の怪物が走り込み、群がり、八つ裂きにする。

 あまりの事に呆然とする。だけど、体は本能のままに逃げ出していた。





 そこから先の記憶は曖昧だ。

 とにかく龍平りゅうへいと合流し、事情を説明した。

 だが俺の話は支離滅裂で、龍平りゅうへいが冷静に取り出した携帯端末を見て事情を把握した。

 世界中に、怪物があふれていた。それは瞬く間に世界に広まり、それまで人間が築いてきた文明は脆くも崩れ去った。


 監視カメラに、人が変貌する様子が写されており、その様子はテレビの放送が無くなるまで連日続けられた。

 突然ふらふらと壁にぶつかると、両手をつく。

 そこから中途半端なセミの脱皮のように、青白い人間が生えてくるのだ。

 当然、人類も反撃した。現代兵器からすれば、彼らは決して強くはない。倒す事自体は簡単だった。

 だが増える。そして増えた数だけ人類は減る。牛も変貌する。豚も変貌する。ペットもそうだ。敵は倒すよりも遥かに速いペースで増え続け、次々と文明を破壊していった。

 何かの映画に影響されたのか、核を使えと騒ぐ集団が世界中に沸いた。だがどこに落とすつもりだ? もうそんな次元じゃない事は、誰が考えても分かるだろうに。





 俺たちの研究所は、かつての世界同時大量不審死を究明するための施設だった。だけど今は違う。

 周囲を自衛隊が封鎖し、検体が次々と運び込まれてくる。

 俺たちを囲む自衛隊の目的が、俺たちを守る為だけではない事は明白だ。いつ何が引き金になって変貌するのか分からない。だけど、そんな覚悟はとうに定まっている。

 決められない人間は、もう辞めていったし、誰も咎めはしない。どうせ生きているかも分からないしな。


 今、どれだけの人類が残っているのだろうか?

 研究所のテレビは映らないし、ラジオ放送もない。まあ見ている暇も聞いている余裕もないが。

 ただ検体を調べ続けていると、頭痛がどんどん酷くなる。こいつらの影響だろうか?

 それと同時に、何故か左手の甲も痛む。古傷などは無いのだが……。


 痛みは薬で誤魔化し、毎日青い生き物を解剖する。

 そう、もう人間だけじゃない。犬、牛、蛙。それにカタツムリからゴキブリ、ヘビに至るまで、もう何でもだ。

 ここには運び込まれていないが、クラゲから生えた青白いクラゲも目撃されたそうだ。

 自衛隊員の噂話でしかないけど、まあ事実と考えてもおかしくはないだろう。

 世界のあらゆる生き物が、この奇妙な怪物へと変貌している。

 それは、戦って倒すよりも何倍も速いペースで増え続けているのだ。やがてこの星は、この奇妙な生き物……いや、本当に生き物なのか?

 まあ、こいつで埋め尽くされるだろう。


 今わかっている事は、生き物を襲うが食べるためではない。そして何らかの理由で――当然、感染がもっとも疑われているが――とにかく増える。

 変容する対象の生物は人間に限らないが、動物に限られる。植物には変化がない。

 なら無関係なのか? いや、今はそれを研究している段階だ。


 だけどまぁ……間に合わないだろうな。

 最近左手の痛みがひどい。頭痛よりもきつくなってきた。だけど我慢できないわけでもないし、どちらにせよ休んでいる余裕はない。幸い、変化の予兆に体の痛みがあるというレポートは無い。

 なら、最後まで足掻くさ。

 人類最後の一人になったとしても、俺の研究は死ぬまで終わらない。そうだろ、奈々なな、先輩。

 龍平りゅうへい、お前はまだ生きているか?

 俺はこんな世界に残されちまったけど、早くこれに決着を付けて、みんなの研究に戻らなきゃだ。


 今日も疲れ切って、泥のように部屋で寝る。

 部屋といっても、当然施設の一室だ。着の身着のまま、自宅に帰る余裕もなかった。

 だから私物なんて無いに等しい。この施設に持ち込んだのは、封も切っていないゲームと、特典の時計くらいなものだ……。

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