スマホ、ところにより、二眼レフ

空草 うつを

二刀流

「今年も綺麗に咲きましたね」


 枝の先で綻んでいる梅の花にスマホをかかげ、節くれだった指が画面をタップすると電子的なシャッター音が響く。


 三月初旬はまだまだ寒さが残る時期。だが今日は、春の温かさを纏った風が吹いていた。

 男性の、緩いパーマのかかったミディアムのアッシュブラウン色の髪が靡いている。私と同い年くらいに見えるから、二十代半ば程だろう。

 撮りたての写真に満足したのか、スマホの画面に落としていた視線を少し離れた場所に立っている私に向けてくる。細い黒縁メガネの奥、弧を描いた瞳は穏やかだ。


 私は視線を男性のお腹の辺りで揺れている黒くて四角い箱へと移した。


「それは使わないんですか?」

「ああ、これ?」


 男性が両手で大事そうに抱えて持ち上げたのは首からさげた古いカメラ。縦長の長方形で、縦にふたつレンズが並んでいる、二眼レフカメラというものだそうだ。年代もののようだが、手入れが行き届いているせいもあってカビも破損もない。

 厚みのある二眼レフの黒いボディーはレトロで、カッコよさと可愛さのバランスが絶妙だ。


「わざわざ良いカメラを持っているのに、さっきからスマホでしか写真を撮っていないじゃないですか」

「撮る枚数に限りのあるフィルムだから、ここぞという瞬間の為に使うんです」

「デジタルの時代にフィルム?」

「ベタな言い方ですが、味わいがあるんですよね。きっとあなたも写真の出来を気に入ると思います」


 性能が格段に上がりつつあるスマホと、独特の風味を写真にもたらす二眼レフ。そのふたつを持っていると二刀流のように見えなくもない。


 会話をする私達の間を通り抜ける人は、皆一様に不思議そうに男性を見つめて去っていく。

 特段男性は気にする素振りも見せずに歩き出した。私も、その後ろを微妙な距離を空けてついていく。



 広大な土地に植えられた梅の花が一斉に咲き誇る、国内有数の梅林公園では毎年梅咲祭りという催し物が行われていた。梅酒の試飲会に、梅や梅酒を使ったスイーツの販売、その他にも県内出身アーティストやお笑い芸人によるミニライブが開催されている。


 人で賑わう公園内をゆっくりと散策していく。会話はほとんどない。立ち止まってはスマホで梅を撮影する男性を、傍で見守るだけ。

 写真を撮っている時の男性の横顔は途端に凛々しく変貌する。話しかけるのでさえ戸惑うほどに研ぎ澄まされた雰囲気に、釘付けになってしまう。


「……あの……」


 男性がスマホから視線を外した隙に、ずっと気にかかってきたことを思い切って聞くことにした。


「あなたは私が……分かってるんですか?」


 恐る恐る聞けば、私の不安などかき消すように優しく頷いてくる。


「怖くはないんですか?」

「あなたを怖いと思う理由はありませんよ。だってまだ、ちゃんとしてますし」


 この人の言うちゃんとしている、の基準がよく分からずに首を傾げてしまう。


「少し道草をしすぎましたね。そろそろ行きましょうか」


 不意に訪れた緊張で強張る私に、男性は優しく微笑んでくる。それが陽だまりのような柔らかさを纏っているから、肩の力がすとんと抜けていく。不思議な人だと、歩き出したその背をぼんやり眺めていた。



 先を行く男性が足を止めたのは、スイーツの販売会場だった。イベント用の白いテントが軒を連ね、甘味目当てで集まってきた多くの客で賑わっている。

 ふと視線を落とした先、右手の薬指にはめられた指輪が目に止まった。さりげなく光るダイヤモンドは、日の光を反射させてキラキラと輝いた。


「今から彼の所へ案内します」


 頭上から降ってくる優しい低音に導かれるように顔を上げた。


「……でも彼は、私のことを——」


 言葉を失ったのは、今一番会いたかった男性が一目散に私達のもとへ駆け寄ってきたから。



###



「酒蔵の前に、コックコートを着た女の人が立っています!」


 青ざめた顔をした従業員の様子から、その女性は人ではないということと、同時に正体は彼女だとすぐに分かった。


 そこで、友人の香坂真澄こうさかますみという男に助けを求めた。親から継いだ写真館で店長兼カメラマンをしている。真澄は昔から霊感が強かったが、声をかけた理由はそれだけではない。

 彼が店と同時に継いだ別の家業が関係していた。



『梅咲祭りの日に彼女を連れてくる』


 真澄からメッセージが届いてから何も手につかず、スイーツ販売をしていても気もそぞろ。やって来るお客様を前にしても、視線は常にイベント会場の入り口に向いていた。


 スイーツは好評だった。あと一箱で売り切れるというタイミングで、アッシュブラウンの髪に黒縁眼鏡をかけた男を視界の端にとらえた。すかさず残りの一箱を引っ掴み、真澄のもとへと猛ダッシュした。


 日頃の運動不足が祟ったのか、少し走っただけで膝が笑ってしまう。そんな無様な俺を、真澄はいつもの通りほんわかした笑顔で眺めていた。


「……彼女は……もえは……?」

「ちゃんと連れてきた。目の前にいるよ」


 真澄は五本指を綺麗に揃えて、虚空を指す。残念なことに俺には萌の姿を見ることはできない。だから、真澄が萌の言葉を通訳してくれた。


「君に謝ってる。『約束を守れなくてごめん』って」


 萌は婚約者だった。ふたりともお酒も甘味もこよなく愛する二刀流。杜氏の俺とパティシエの萌は、今年の梅咲祭りの為に梅酒入りのチョコレートを作ろうと約束していた。


 だが、チョコレートも完成間近となったある日、萌は突然死んでしまった。職場から家に帰る途中で倒れていたという。くも膜下出血だった。


「俺もごめん……あの日、俺がもう少し早く帰っていたら……助けられたかもしれないのに……」


 萌が立っているという虚空に話しかけても、返事は聞こえてこない。

 握りしめてぐしゃぐしゃになってしまった箱を開けて、宙に捧げた。中身は無事なようだ。コロンと丸いチョコレートが二つ、仲良く並んで収まっている。


「萌の職場の人達と協力して作ったんだ。萌が残してくれたレシピがあったから……」


 レシピには、萌が最期まで試行錯誤を繰り返した跡が残っていた。分量や湯煎する時間が細かく記され、改善点やアイデアがたくさん書き込まれた渾身のレシピ。それがなければ、完成など不可能だった。

 だから、俺は謝罪だけじゃなくて、伝えたい言葉を彼女にちゃんと届けたくて声を張りあげた。


「萌のレシピは最高だ。ありがとう」


 誰かの啜り泣きが聞こえた気がした。きっと萌だ。震える肩を抱くこともできない、無力な自分に辟易する。今の自分にできることは、彼女を彷徨う亡霊にさせないことだけ。


 人は死ぬと天に召されるという。だが、強い未練が残っていると未練を含んだ霊魂の一部がこの世にとどまってしまう。

 真澄の持つ二眼レフカメラは、彷徨い歩く霊魂を写真に封印することができる不思議な力があった。封印した霊魂を居るべき場所へと還す、それが真澄が親から継いだもうひとつの家業だった。



 真澄に言われるがまま、俺はチョコレートが見えるように箱をカメラに向けて持った。


「もう少し右に……あと一歩……そこでお願いします」


 指示を飛ばす真澄の視線は、俺の左側に向けられていた。冷たい空気が左腕にかかった気がする。でも、それは一瞬のことですぐに温かな懐かしい温度に変わっていった。


「では撮りますね」


 真澄は体の前に二眼レフを構えた。一般的なカメラならば顔の前にカメラを構えるのが普通だが、二眼レフは下を覗き込むようにして写真を撮る。


「おふたりとも、最高の笑顔をお願いします」


 撮り直しは絶対にできない。

 彼女が死んでから笑うことなど一切出来なくなった。けれど、萌が好きだと言ってくれた俺の笑顔を永遠に写真に焼き付けたくて、ぐいっと口角を上げた。



 ——後日、出来上がった正方形の写真には、ぎこちなく笑う俺の隣に寄り添う、萌の愛らしい笑顔が写っていた。




(完)


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