第32話 「そんな人間たちばかりではないことも知っているはずだ」


 天国へ向かう彩花を見送ったトートは、そのまま閻魔大王に呼び付けられた。


 どこがどうお気に召したのかは分からないが、この閻魔大王はトートのことを大層気に入っている。事あるごとに呼び付けては、様々な仕事を押し付けてくるのだ。

 どうせ今回もだろう――そう思ったトートとトイフェルの予想は、寸分違わぬものだった。



「今回はどのような仕事だ?」

「ああ、これを見てくれ。これはここ数年の間にこちらにやってきた人間たちの魂を纏めたリストなんだが……」

「一日の間に数十人ですか、それも何回も。随分一度に纏まって来ていますね」

「うむ。そこでだ、次は他者の命を奪う危険な思想を持つ者の回収を頼みたい」



 ハッキリと告げられた言葉に、トートとトイフェルは暫し押し黙る。

 他者の命を奪う危険な思想を持つ者。

 簡単に言うなら、他殺――殺人を犯す可能性のある者の回収だ。けれども、その依頼はふたつ返事で承諾できるものではない。



「閻魔大王、そういった分野に死神が介入することは禁じられているはずです。殺人の動機の裏には当人たちなど、個人にしか分からない理由や事情があります。そこに介入してしまえば……」

「そうだ。死神は常に中立の立場に立ち、独自の正義などを持ってはならん。死神個人の感情が加わり、どちらか一方を正しいと決めつけてしまえば、それが基準になる。同様の件を見つけた際に、感情だけで動いて手を下してしまう恐れがあるからだ。そして、それは人間から学びの機会を奪う」

「学び……」

「ヒトの多くは、幼くして親から様々なことを教わるし、教わらなくとも生きていく上で知っていく。どんなことをすれば悲しいのか、腹立たしいのか、嬉しいのか。しかし、成長していくと共にそれらのことを次々に忘れていくのだ。だから暴力や殺人など悲しい事件が起きる、……突発的なものも多いだろうがな。人々はそれらの事件から痛みを学んでいくしかない、学んでくれることを願っておる」



 ――そうだ、トートは冥界案内人になるための学校でそう教わった。だから異を唱えるつもりはない。

 人が人の痛みを理解し、それが広がっていけばいつかは暴力や殺人などの悲しい事件も起きなくなる。もっとも、それは雲を掴むようなあまりにも途方もない話だが。一体いつになることやら。


 その理想が実現するまでの間に、何度悲しい事件が起きて多くの命が巻き込まれるだろう。考えるだけでも胸の辺りが重苦しくなった。

 そして「だが」と閻魔は続けた。そこでトートは意識を引き戻す。



「近年、快楽殺人だの無差別な殺人が世界各地で起こるようになっておる。怨恨でもなんでもない、ただなどという理由でな。こういった危険な者たちの魂をお前に回収してもらいたい。手を下すかどうかは、いつものようにターゲットの背景を見て決めろ。判断はお前に任せる」

「……しかし、人間たちの争いになどわざわざ介入する必要がありますか? 動物にも縄張り争いだったり食糧やメスの争奪戦で同族を攻撃することはありますが、捕食以外で命を奪うことはほとんどありません。だというのに、人間はなんです? 同じヒトでありながら気に入らないだけで他者を傷付けて喜ぶ――そんな人間たちを助けてやる必要があるのか、わたくしには理解できません」

「う、ううむ……そう言われてしまうと、なんともな……」



 いつものことながら淡々と言葉を羅列するトイフェルに対し、文字通り閻魔は困ったように苦笑いを浮かべた。トイフェルは猫である、人間という生き物は未だによく理解できないのだ。

 閻魔がつい今し方見せてきたリストに纏められていた多くの名前は、そういった殺人の被害に遭った犠牲者たちなのだろう。


 厳つい顔に困惑を乗せて頭を掻く閻魔を暫し無言のまま眺めて、トートは詰めていた息をそっと吐き出した。そして肩に乗る相棒猫をポンと片手でひと撫で。



「……だが、そんな人間たちばかりではないことも知っているはずだ」



 トートがそう呟くと、トイフェルはそれ以上言葉を続けることはなかった。肩の上で腹這いに伏せ、ふさふさの尾を無言で揺らす。

 それを承諾と判断して、トートは改めて閻魔に向き直った。



「判断はこちらに任せるということだったな、それならば引き受けよう。目を付けているターゲットのリストができたら呼んでくれ」

「ああ、分かった。それまで休んでいなさい。今度はあの時みたいに大怪我して帰ってくるなんてやめてくれよ」

「なら、危険な魂がある時は予め教えろ」



 簡単に挨拶を交わすと、トートはトイフェルを肩に乗せたまま踵を返す。

 無駄に広い閻魔の部屋を後にしようと扉に手を掛けたところで――ふと、背中に呼び止める声が届いた。



「トート」

「どうした、まだ何か?」

「いや……ワシはお前を気に入っておるし、できれば今後も傍にいてもらいたい。だがな、お前は人間に転生したいとは思わんのか?」



 それは、あまりにも突然の問いかけだった。

 死神たちは、死神としての在り方に満足したらいつでも閻魔の力で現世に転生することができる。それまでの働きぶりによって、希望を取り入れてもらえたりと選択肢も多くなるのだ。


 死神は元々、幼くして命を落とした子供。今度こそ幸せな人生を歩みたいと必死に働き、暖かい家庭の子供として転生する者も少なくない。

 だが、トートは薄く笑うと至極当然のように返答を向けた。



「考えたこともないな、俺は死神としての在り方が一番合っている」



 その言葉に、閻魔は苦笑いを浮かべると今度こそ呼び止めることはせずにトートの背中を見送った。


 いつか、あの死神が命を刈り取らずに済む世界になってくれればいい。


 そして、その時はまた――彼が人としての人生を歩めたらいい、と。言葉には出さずとも、閻魔はそう願った。


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冥界案内人 -人間の魂、回収します- mao @angelloa

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