純恋と調教の聖秤で

揚羽常時

恋を覚えぬ二人の乙女は


「あ、蓮華様だ」

「あー」


 私は親友の指差し確認を追って視線を振る。

 蔵凪女学院は登校の時間。

 お嬢様学校と呼ばれるこの空間で、女の子は安易にアイドルへと変わる。


 視線の先に居たのは楚々とした軽やかな乙女。


 青みがかった黒の髪は……いわゆる鴉の濡れ羽色。

 髪の一本一本までしなやかさが伝わってくる。


 前を向いて歩く姿は凜としており、察そうにして軽快……背筋が伸びて白百合の花の様。


 どこか遠くの郷愁を想い起こさせる様な完全性が全身から放たれ、その瞳は前を向く。

 眼鏡越しの瞳は色こそ平凡だが、乗っている彩は静謐。

 歩く軽やかさと矛盾しない静止の世界がそこにはあった。


「赤月……蓮華……」


 ポツリとつぶやく。




 ――赤月蓮華。




 それが彼女の名前だ。


 穏やかなりし高嶺の花。

 この蔵凪女学院でも特筆すべきアイドルだ。


 転校は最近。

 けれどもいきなり現われ中間考査で学年一位。

 ついでにその容姿と性格で一躍学院の人気者。


 頑なに眼鏡を外そうとせず、眼鏡をかけていない姿は体育やその他少しでしか見られず、場合によっては七不思議に匹敵するジンクスだ。


 見たら幸せになれるとかなんとか。

 その意味で確かに学院の妖怪だろう。


「乙姫はクールだね」

「貴方ほどミーハーじゃないだけです」


 軽やかに躱す。


「もちろん僕は乙姫を愛してるよ?」

「おととい来やがれってなもんで」


 私は嘆息した。

 かなりシャレになっていない。







 来栖乙姫。


 私の名前だ。

 ちょっと珍しい……というより詩的な名前だけど御本人はそんな大層な存在でもない。


 蔵凪女学院はお嬢様学校で、お金持ちが通うようなところ。

 私の場合は平々凡々な一般市民なんだけど、ちょっとした理由で門を叩くことになった。


「くあ……」


 良くも悪くも突出したモノがなく、お嬢様とも呼べない一般市民。

 趣味はバンドの追っかけで、得意科目は物理。

 とても気品があるとは言えなかった。


「ふ……」


 教室のベランダで初夏の風を浴びる。

 林で囲まれた秘境だけど、風景そのものは悪くない。

 二階からボーッと景色を眺めていると黄色い声が聞こえる。


「「「「「――――――――」」」」」


 視線を落とした。


「ええと……」


 ちやほやされている赤月蓮華が見えた。

 眼鏡越しに遠慮の色がちらつく。


 容姿端麗。

 文武両道。

 天に二物を与えられた赤月蓮華は圧倒的だった。


『昼食をご一緒に』『ご趣味は何ですか』『うちの部活に是非』『お姉様と呼ばせてください』云々かんぬん。


 そしてそれを赤月先輩が困っちゃって愛想笑いをしているのに取り巻きは気付いていない。


「とはいえ……迷惑と面と向かって言えないのも日本人で……」


 そんなことを思ってしまう。


 私は眼鏡のツルを押し上げた。

 赤月蓮華の様なお洒落な奴じゃない。

 もっと無骨で重々しいモノ。


「乙姫」


 学友が声を掛けてきた。


「何か?」

「何見てるの?」

「やはり野に置け蓮華草」


 ベランダから階下を指し示す。


「赤月先輩……蓮華様ね」

「やっぱり貴方もファンで?」

「そりゃね。だってあんなに麗しいし」


 そっかぁ。

 私にはどこか寂しげに映るけどね。

 何だろう……この齟齬は。


「乙姫もクールに見えてミーハーね」


 いやそんなつもりもないんだけど。


「見ていて胃が痛くなる」

「恋い焦がれて?」

「どうしてもそっちに持っていきたいのね」


 嘆息。

 けれど、たしかにちょっと赤月蓮華の瞳は揺れて。







 赤月蓮華が転校してきて一ヶ月が経った。

 既に五、六人は告白し玉砕したとのこと。

 特に後輩に人気が高いらしい。


「お姉様」


 と呼び慕われている。


「お姉様……ね」

「乙姫! 乙姫! 今日はどうする?」


 ちょっと快活気味な親友が声を掛けてくる。


「先に寮に戻ってて。私は用があるので」

「図書館?」

「ええ」


 穏やかに頷く。


 学院には大きな図書館がある。

 およそ教育機関には似つかわしくない公共の規模にも匹敵する図書館だ。

 別名『乙女の花園』とも。


 女学院では……まぁ乙女同士の恋愛も存在し、私には理解し難いことだけど図書館は逢い引きにも使われていた。

 それでいいのか蔵凪女学院。


「気にすることでもないけどさ」


 粛々と本を選ぶ。


 そんなおり――、


「ん――」


 ――小さな吐息が聞こえてきた。

 ゾクリと背中に悪寒が奔る。

 なにか感覚的な気温が少し下がったかのような寒気。


「ん?」


 ちょっと足を止める。


 艶やかな声だった。

 彩がある……というか何というか。

 少なくとも図書館で聞く様な性質のモノではない。


「お……ね……様……」


 そこで完全に足が止まった。


「は……ぁ……っ!」

「うん。いい子」


「蓮華……お姉……様……!」

「畏れず私に身を委ねて?」


 聞こえる乙女の声。

 そして片方は今を煌めく赤月蓮華。


 これは完全にアレだ。

 青春の暴走。

 いやそりゃ人の好き好きだけども。


「……………………」


 興味本位で本棚の影から覗いてみると、そこには名も知らぬ女子生徒が赤月蓮華に押し倒されていた。

 その先輩の瞳は血の様に濡れていて、ひどく蠱惑的。


 ていうかそんな印象的な色でしたっけ?


 瞬間、


「――――――――」


 目が合った。

 先ほどの空間に侵犯した悪寒より更にひどい感覚が私を襲う。


 ゾクリ――ッ!


 音を立てずに、スッと反転した。


「ひっ……はぁん……っ」


 潜めるような嬌声だけがどこか耳にこびり付いて。

 私は手に持った本を貸し出しカウンターに持っていく。

 麗しき古典。


『カーミラ』


 いや、わざとじゃありませんよ?







 世の中に愛は色々で。

 そのこと自体に否定を差し挟む余地も無いわけで。

 ていうか私の場合は人のことが言えないのだが。


「んー……」


 次の日。

 私は黒板を眺めつつ肘をついていた。

 殊更、この乙女の園で今に始まった風習でもないんだけど、やっぱり直に見るとちょっと思うところもあって。


「「「「「――――――――」」」」」


 どよめきのような。ざわめきのような。熱に浮いた吐息が聞こえた。

 私にはあまり関係ないんだけど。


「忍れど色に出にけりわが恋は……」

「……ものや思ふと人の問ふまで」


 ……………………。


 下の句を返されて意識が表面に顕在化した。


「あなた一年だったのね」

「えーと……」


 いきなりというか突発というか。

 赤月蓮華が側に立っていた。


 艶やかな濡れ羽色と、知性深いオシャレ眼鏡。

 この世の天に愛された傑物だ。


「赤月……先輩……」

「これはどうも。貴方の名を教えてくれるかしら?」

「来栖乙姫です」

「そう。乙姫ね。愛らしい名前」


 髪の色ほど艶やかに、彼女は笑った。


『え? どゆこと?』『来栖さんってばいつの間に……』『蓮華様のおきに?』『あうあうあうあうあ~……』


 ちょっと噂されていた。

 いや確かに真っ当な評価をすれば、私は赤月蓮華とどうにかなるような人材じゃないんだけど。


 黒曜石にも似た瞳がコッチの眼を覗き込んでくる。

 眼鏡をかけていて良かった。


「来栖乙姫? 放課後は時間ある?」


 酷薄にも似た攻撃的な声だ。

 クラスの愛すべき学友は、その声だけでメロメロ。


「一応ありますので」


 さすがに距離を取らないとどうしようもない。


「では破棄しなさい。放課後は私に付き添って貰います」


 赤月蓮華は私のおとがいに片手を添えて、クイと持ち上げる。

 席に座っている私と深く視線を交わらせ、そしてスッとこっちの片耳に唇を寄せてきた。




 ――昨日の場所で……ね?




 零す様にポツリと耳元で囁かれる。

 神経が震えた。


 たしかに是はちょっと逆らいがたい。

 何かしらカラクリでもあるのだろうか?

 私の因業や獣性とは別に……。


「それではご機嫌よう」


 冷静な笑みを向けて、赤月蓮華は去って行く。

 その残像を眺めやる様にクラスメイトらは恍惚とし、そして私は逆に呆然とする。


「乙姫。蓮華様に興味ないって言ってなかった?」

「いや無いんだけど……」


 学友のミーハーな裏取りは……まぁ躱せないとして。

 口封じか。牽制か。掣肘か。あるいは執行猶予か。


「昨日の場所……ね」


 どう考えても鋭角な方向にしか警戒が向かないんだけど、さほど高尚な存在でもないっていうのが私の私たる所以で。







 悲しい運命なれど、私はちょっと時の人。

 学院の突発的アイドル赤月蓮華に気に入られたシンデレラ代表。

 さすがに平凡一直線の私と、学院のマドンナである彼女ではあまりに釣り合っていない。


「恋すてふ。わが名はまだき立ちにけり。人知れずこそ思ひそめしか」


 ポツリと心にもない和歌も呟きつつ、図書館に向かう。


「相も変わらず広いもので」


 図書館の構造の巧美さを思いつつ、ついでにここで乙女同士が恋し合うのかと思えば業の深きも思い馳せ。

 適当に言い訳しつつ難を逃れ、謝罪して帰ろう――。


「来栖乙姫?」


 ふわりとキンモクセイの香りが私を包んだ。


「ぅわぉ」

「来てくれて嬉しいわ」

「心臓に悪いです先輩」


 背中から抱きしめられ、赤月連華が正しくその場にいた。


 図書館の一階でのこと。

 ここはまだ人目が在り、ついでに赤月蓮華フリークの視線も突き刺さっていた。


「じゃあ場を移しましょうか」

「いえ。結構。昨日のことを釘刺したいなら、誰にも言いませんので。内申点についての思案に関してなら……心安んじておられれば、と」

「こっちを見て言いなさい」


 とはいえども。

 振り返る。


「オーケー。名にも不利になる様なことはしませんのでご安心めされ……ぅぁっ」


 見れば赤月蓮華は眼鏡を取っていた。

 御尊貌の麗しさ七割増し。

 その瞳は血の色に染まっている。


「えと? 先輩?」


 どこか郷愁さえ覚える様な感覚に溺れ、けれども私は困惑以上のモノを感じなかった。


「おかしいわね。私の魅了にかからないなんて」


 魅了と来たか。魅力ではなく。


 スッと私の眼鏡も取られる。

 これでどちらも裸眼だ。


「うわぁ。可愛い」

「そりゃどうも」


「来栖乙姫は私に思うところはないの?」

「そんな恨みを買う様なことをしているので?」

「貴方も昨日見たでしょ」


 たしかに見たけどさ~。


「ということはガチで効かないと」

「何が?」

「なら貴方をこそ私は私物にしないと」

「どういう意味で?」

「その……ね」


 苦笑。

 見つめ合う私たち……その私の左手首を彼女の右手が掴んで握りしめた。

 ミシッと皮膚と肉が悲鳴を上げる。


「私ちょっと人を必要以上に惹き付けるの。噂くらいは知ってるでしょ? ちょっと持ち上げられて、誰でも私を見ると恋に落ちる」

「魅力的ではありますよ」


「ありがと。だから私にとっては他人の心って奴はとても分からないの。理解し難いというか。そんなものを私の魅了は突き抜ける。でも貴方はそうじゃないのね?」

「趣味がよろしくないので」


「私じゃダメ?」

「謹んでごめんなさい」

「ああ。いいわ」


 ギュッと手首を更に握られた。


「こんなに私に惑わされない人は初めて。来栖乙姫? 貴方に好きな人はいる?」

「どうでしょうね。あんまり申告はしたくないんですけど」

「じゃあ略奪愛ね」


 図書館のフロアでのこと。


「っ」


 私の唇は赤月蓮華の唇で塞がれた。

 いわゆるキスというモノで。


「ん……っ……ん!」


 呼吸を忘れて彼女の血色に襲われている私を……彼女は離さなかった。


 片手は私の手首を掴んで固定し、もう片方の腕で私の腰を確保し自分に寄せる。


「「「「「――――――――」」」」」


 図書館利用者の悲鳴が轟いた。


「……っ……ぅ……ぷはっ! ちょっと……冗談は……」

「冗談に思える? 本当に? 掛け値の嘘も無く?」


 深紅の瞳は、完全にトランス状態だった。

 ギラギラと輝いて、こっちを獲物と見定めている。


「来栖乙姫。貴方を私の物にしてあげる」


 チクリと首に可愛い痛み。

 キスマークを付けられた。


「――――――――ッ!」


 精神的にやられる。

 そのことを私の本能が警告した。


 これでは完全にやられてしまう。

 私の中の獣性は、こう言うところで発露してしまうのだ。


「失礼!」


 赤月蓮華の抱擁を振りほどく。


「そうね。今日はここまで。いきなり襲ってもアレだし。段階を踏みましょう」

「いえ。その。ご忠告の限りなんですけど……私は止めた方が良いです」

「何で? 可愛いわよ貴方。眼鏡を取るともう最高。私以外には見せないでね?」


 いや、そーゆーことではなく。


「とにかく失礼します」


 ぶっちゃけトラウマに触れてしまう。

 そんなことがない様に今まで自重してきたのに。


「そういうところ好ましいわ。私のモノにしてあげたい」


 この人……Sだ。

 恋する乙女と飢えた猛獣の色が並列して彼女の尊貌に表れていた。







 夢見のこと。

 これは郷愁の一幕で、私の獣性の根幹でもある。


「あ……う……」


 私は拘束されていた。

 ひっそりとした一室でのこと。

 遮光カーテンが引かれているので外の風景はよく分からず、外観からの大凡の時間すら不明瞭だ。


「はぁ……はぁ……」


 息が上がる。

 意識が朦朧とする。

 あらゆる観念が混じり合って汚濁に堕す。


 服を剥ぎ取られ、人権を踏みにじられ、人としての尊厳なぞ欠片も残ってはいなかった。


「お姉様……っ!」


 自分で顧みられるはずもないのに、双眸が血走っているのが揚々と悟れる。

 殆ど限界だった。

 そんな人間以下の私を見て、冷笑を浮かべるお姉様。


「可愛いわ。乙姫。もう限界?」

「お願いです……っ。何でも……何でもしますから……助けて……」


 目の前にはプラスチックの皿。

 そこには水が溜められていた。


 そして私は二日も水を飲んでいない。

 生理現象すら人任せの有様だ。


「何でもする? 本当に? その覚悟が貴方にはある?」

「お姉様……どうかお許しを……」


 もう目の前の事しか考えられない。

 目の前にある水を眺めるだけで、私は一滴も飲めてはいない。

 完全に拘束されていた。


 もはや奴隷より格下に位置する愛玩用の首輪が私の首に巻かれており、それはリードを通して壁の近くに固定されている。

 私の口が、盆にギリギリ届かない際どい距離で。


「あ……あ……ぁ……」


 その人以下の首輪を繋がれている奴隷以下の私は、けれども自分で首輪を外せない。

 両手は背中に回され、こっちも拘束されていた。

 手錠で。


 両手を封じられ、首輪で固定され、私はお姉様に調教されている。


「水、飲みたい?」

「飲みたいです……。お願い……します……っ」


 乾きと渇望だけでも堪えがたいのに、その福音である水が目の前のギリギリ届かない距離に置かれている。

 拷問の様……というかお姉様は拷問のつもりなのだろう。


「じゃあ聞くけど、貴方の恋人は?」

「お姉様です」


「貴方の御主人は?」

「お姉様です」


「貴方の所有権者は?」

「お姉様です」


「本当にそう思ってる?」

「あ……あ……あ……」


 ほとんど理性が効かない私の意識の空白に、お姉様の声が滑り込む。

 もう服従するしか手は無くて。

 この苦しみから解放されるなら人権なんて要らないわけで。


「お姉様……っ……お姉様……どうか御慈悲を……」

「じゃあそうね。水くらい飲ませてあげましょうか」


 ピチャッと盆の水面が跳ねた。

 お姉様の足が水に浸され、そしてその爪先からポタポタと水滴が落ちる。

 そんな濡れた足を彼女は私の口元に持っていく。


「舐めたい? 私の足を舐めたいかしら?」

「な、舐め、舐めさせてください」

「ふふ。殆ど犬ね。人間としての自覚は無いの?」


 舌を伸ばしても、ギリギリお姉様の爪先に届かない。


「貴方は人間かしら?」

「私は……お姉様の……奴隷です。家畜です。所有物です」


「貴方の顔は誰の物?」

「お姉様の物です。ただ愛でられるためだけに……存在しますっ」


「じゃあその可愛らしい唇は?」

「お姉様の物です。お姉様のご褒美を舐めるためだけの……器官ですっ」


「じゃあその肉体は? その胸は? うなじは? 股ぐらは?」

「お姉様に弄ばれるためだけに存在する……お姉様だけの所有物ですっ」


「そう。いい子ね」

「あ……水を……どうか……」


 喉が渇いて渇いてしょうがない。

 麗しき御御足が……貴重な水をポツポツと垂らしている。


「その前に許可が要るでしょう? 貴方が言ったのよ? その身体の所有者は貴方じゃなく私だと」

「は、はい……お姉様の所有物である卑しい私に……どうか御慈悲を……。あ……隷従の証と交換にご褒美を……」


「本当に獣ね。生物としての自負すらないのかしら?」

「お姉様に飼っていただける名誉を……誇りに思います」

「そう。じゃあ足を舐めていいわよ」

「御寛容……なにより有り難く存じます」


 差し出された足を、私は必死に舐め取る。

 お姉様の足先に付着した水分が二日ぶりの私の飲料だった。


「――ッ――ッ!」

「無様ね。本当に私がいないと家畜以下なんだから」


 お姉様の逆の足が、私の頭を踏みつけた。

 ガツンとフローリングに私の頭部が叩きつけられる。


「こうやって踏みにじられて何を思うの?」

「お姉様に……可愛がっていただけて……本望です……」


 喉が渇いた。

 お腹が空いた。

 呼吸すらも愛おしい。


「ふふ。そうね。こうされて嬉しがっている最低のマゾよね。貴方」


 ギリギリと踏みにじられて、弄ばれる。


「お姉様のご厚意に感謝いたします……」


 私はお姉様の足先に付いた水分を舐める。

 踏みにじられて、でもソレがとても……『疼く』……。


 こんなに畜生扱いを受けて、けれども何故か意識は恍惚とトランスを憶えてしまう。

 思考が単純化して、ただただお姉様の言葉だけが絶対に思える。


「あはは。踏みつけられているのに、足を舐めるのを止めないんだ? 乙姫は生きていて恥ずかしくないの?」

「羞恥も尊厳も……お姉様に捧げます……」


 衣服すらも着せて貰えない。

 私の肉体は私のモノではないのだ。


「そう。じゃあ。その濡れたモノは何? 喘ぐ様に欲しがる飢えは何? そんな無様を晒して、なのに獣の様に情に負けているの? 本当にダメね貴方。私が正しく飼ってあげないと」

「申し訳ありません……。お姉様にしか飼っていただけない畜生です……」

「そうよ? だから感謝なさい? 貴方はただその四本足で這いつくばっていればいいの」

「ん……ぁ……ん……」


 朦朧とする意識の中で、生存本能だけが水分を求めて一心不乱にお姉様の足を丁寧に舐め取っていた。







 私と赤月蓮華の関係性については、それは学院のニュースにもなるモノで。


「聞いたよ。蓮華様と逢瀬したって?」

「不本意ながら」


 親友の茶々も今は耳に痛い。


 目覚めは最悪だった。

 一応、根幹にある獣性は収まりを見せたけど、こいつの縛鎖は完全じゃない。

 なんとか自負を取り戻し、寮から校舎まで道のりにて親友の趣味の悪さと黎明とで今日の登校は始まったわけで。


「ボクというものがありながらー」

「いやガチで止めて。私はちょっと普通を目指してるから」


「うんうん。けれど蓮華様はそうじゃないっぽい?」

「ツンデレが好きみたいよ?」


「何よ何よ。アンタのことなんか知らないっ……みたいな?」

「是非そのアプローチで」

「とか噂をすれば影」


 ヒョイと親友が登校路の先を示す。

 女子生徒に囲まれた赤月蓮華がいた。


「うーん。今日も麗しいぞ」

「チヤホヤする人間には興味ないらしいよ」


「それでツンデレ」

「なんか控えめに拒絶したら気に入られちゃって」


「あー」

「何ですか」


「その。乙姫はちょっと鈍感だから」

「空気は読めないよね」

「御本人が言う辺り正にね」


 しばらく乙女が囲う噂の種を見つめつつ、親友と一緒に登校。

 相手の眼鏡越しの視線が、こっちの眼鏡越しの視線と重なった。


「……………………」


 スッと目を細められた。

 その意味を理解するより早く、彼女は視線を取り巻きに戻す。


「目と目で通じ合ったり?」

「無言で色っぽいですよね」


 あんまりそっち方面には走りたくないんだけど。







 逃げようかとも思ったけど、どうにも獣が疼いてしょうがなかった。


「誰? アレ?」


 いきなり。

 私は図書館の旧館で赤月蓮華に迫られた。

 その瞳は興奮然様で紅蓮に輝いており、熱量は火傷すら錯覚するほどだ。


「誰って……?」

「一緒に登校していた奴。私の乙姫と気安く喋っていた奴」


「その。訳ありの親友でして……」

「二度とソイツに近付かないで」


 無茶言うな。


「貴方分かってるの? 私の運命の相手よ? 私だけが本物の恋を持っているの。他の奴には目もくれないで」

「人間としてソレは無理かと」


「じゃあ分からせてあげましょうか? どこをまさぐられたい? 唇? 胸? 股ぐら? それともキスマークを付けましょうか? 何処にでもいいわよ? 貴方がお嫁に行けない様に恥ずかしい箇所に私の痕跡を残してあげる」

「それは……その……」


「嫌なの? 私を好きになれない? けれど私は諦める気なんて無いんだけど?」

「いやぁ。むしろ逆で」

「逆?」


 壁まで追い詰められ、私の両手首は赤月蓮華に掴まれて固定されている。


「っ」


 その間近に迫った顔に、私は胸の高鳴りさえ感じてしまう。

 心臓の脈動は恋の燃え上がりにも形容できる。


 ドキドキするのだ。

 彼女みたいな人種に出会うと。


「あ…………」


 唐突に涙がこぼれ落ちた。

 覆水盆に返らず。


「うえ……? やり過ぎた? ちょっとSッ気強すぎたかしら?」

「ごめんなさい……ごめんなさい……そうじゃなくて……そんなんじゃなくて」


 私は自分の業を話していた。


 親戚のお姉様に人の尊厳ごと情欲を支配されたこと。

 その調教のせいでノーマルの感度を失ったこと。

 アブノーマル……それも極北もモノで無ければ私は興奮も悦楽も覚えないこと。


「……………………え?」

「引きますよねー。だから言いたくなかったんですけど」


「そのお姉様は?」

「親戚一同によって隔離されました。さすがに刑法違反なので。でも私の性癖は……もう取り返しのつかないレベルで調整されてしまっているんです。だから私みたいな畜生を相手にすると……ハンパなSだと後悔しますよ?」


「本当に?」

「言っておきますけど私の獣性はかなりヤバいですよ? それこそ四六時中征服して貰わないと性欲が治まらないくらい。罵って、嘲って、調教と御褒美を間断なくもたらさないと私とは付き合えません」


「だから普通を装っているの?」

「道徳の倫理観くらいは授業で学んでいますので、マイノリティであることは自覚しています」


「今でもお姉様に会いたい?」

「どうでしょう。自分の隷従心がどこまで正解か私にも分からないんです。この肯定が調教の結果なのか。先天的な性癖なのか。その双方なのか」


「じゃあ――」


 赤月蓮華の唇が私の唇に重ねられた。


 舌が入れられる。

 ディープキスと唾液の交換がとても淫靡だ。


 糸を引いた唾液を舐め取って、彼女は恍惚に私の瞳を覗き込む。

 彼女との時だけ、私は恣意的に眼鏡を取り払われる。


「じゃあ一緒。私も乙姫も純粋な恋愛を知らない。私だけじゃなかったんだ……」




 モテすぎて人の恋慕が分からなくなった赤月蓮華。

 調教されすぎて自己の恋慕の規準を見失った私。




 どちらもがどちらもに、およそ他人というモノを恋愛に換算しない。

 変数すら求め得ない。


「じゃあ私が貴方に恋を教えてあげる。だから貴方は私に純真を教えて?」

「出来ますか?」


 一応性別からして乖離気味なんですけど。


「可愛いわ。乙姫。貴方が私に恋してくれないと、私は靄の曖昧の中でまた五里霧を彷徨わないといけない運命よ?」


 赤月蓮華は私の涙を舐め取る。

 赤面してしまう私をクスリと彼女は微笑んでからかった。

 その蒼穹にも似た爽やかさは、流石の蓮華お姉様で。


「じゃあ私の根幹に根付いた獣を調律してくださるんですか?」

「貴方さえ適うなら幾らでも。でも」

「でも?」

「私以外の人間と親しくしないで。それだけは許せない」


 うーん。

 これって愛されてるって事なのかな?


「足を舐めていいですか?」

「ダメよ。そういうのは身体を清めてから。SにはSのルールがあるのよ。単に嬲るだけなら強姦魔と変わらないわ。だからね乙姫? 私は清らかに貴方を独占してあげる」

「お姉様って……呼んでいいので?」


 赤月蓮華は掴んだ私の手を自分の乳房……心臓に押し付けた。

 ドクンドクンと脈拍が高鳴っている。


「この鼓動に誓って幸せにするわ」






 きっとソレは純粋な恋心の一滴で。

 調教の呪鎖を解き放つかも知れない純心で。

 だからこそ理論武装のない純情でもあった。

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