美術部員デビューを果たした男子高校生の話

ついにこの日がやってきた、と思う。アルコールマーカーを使う。大げさに聞こえるだろうが、個人的ビックイベントだ。ああそうだ、所詮個人的である。美術室を見つけた、正確にいうと口止めしようと人を追ったらたどり着いた日から一週間以上は経つ。その一週間のうちになにか特筆すべきことがあったか、と言われると、何もない。強いて言えば、駅前で見た中学の同級生の髪が、金色に染まっていたことくらいだ。そんなことは本当にどうでもよい。

華々しい美術部デビューを夢見て買った少し高めのアルコールマーカーをやっと使える。基本的に家では絵を描かないことにしていたから使う機会がなかったのだ。

しかし、俺は色を塗る前に線を描かなければならない、ということを完全に忘れていた。今まで塗り絵しかしてこなかったのか!とツッコミが入るのも無理はない。実際はそんなことないのだが。

それからずっと下絵を描き続けて5日間、線画を見る。達成感でしかない。


「あ、それあの真似してた漫画の絵でしょ」

さすが、真瀬、鋭い。

「いい加減忘れろよ」

「あんな面白い事件忘れられないでしょ」

「その分の脳の容量他のことに使えよ」

ボキャブラリーが乏しい俺にとってはこれが精一杯の反抗だった。

とまあ、こんな会話ができるくらいに真瀬とは仲良くなれた。平戸の方はというと…全く持って喋らない。真瀬と平戸は女子同士なのか昔からの仲なのか普通に喋っているが、俺に対しては目すら合わせてくれない。やっぱりあの1人劇を見たせいで警戒しているのだろうか、それしか考えられない。


「さっきから筆が止まってるけど、まさかこのマーカーの使い方分からないとか?」

傍から見ると、上の空にしか思えなかったのだろう。

「いや、ちょっと考え事をしてたんだよ」

「なんの?」

今考えてたことを話すわけにもいかないし、認めたくはないがマーカーの使い方もいまいち分からなかった。

「すいませんでした。分かりません」

少しニヤリとする彼女。

「私が教えてあげようじゃないか」

「…お願いします」


たしかに真瀬の腕前はすごい。彼女の目の前のキャンバスにはこの部屋から見える景色が寸分狂わず描かれている。遠くに見える偽物の自由の女神すら綺麗だ。

グラデーションの見本を作っている彼女に尋ねる。

「昔、絵とか習った事ある?」

こんな事自分の力でも知ることはできる。でも今年は使わないお約束だ。偉い、俺。

「習ってないよ」

「習ってないのにこんなに描けるってすごいな」

彼女の絵を指差す。

「ああ、私よく学校行かずに絵描いてたからね。まあ慣れだよ」

「それでよくこの学校入れたな」

この高校は自分で言うのもなんだが、地方の高校の中ではなかなか偏差値が高く、一朝一夕の勉強では入れないことが有名だ。去年は学年の3割が国公立の大学に進学した。

「雛子、頭いいもんね」

向こうの机にいた平戸が珍しく、というか初めて会話に入ってきた。少し動揺したが、自分がこの場にいることを彼女に認識されたようで安心した。

「それ、奏が言う?この子めっちゃ頭いいんよ?」

「成績だけ見たらね」

「とりあえず、2人とも頭いいんだね、分かった分かった」

女子同士の褒め合いはいつ終わるか分からないのでここらで切らせてもらう。

正直に言うと、すごい羨ましかった。絵も描けるし勉強もできる。間違いなくあの2人は自分の画力を誇ることができるくらい上手い。

それに比べて俺は何も自分自身の中で誇れるものがない。たしかにこの学校にいる時点で俺も頭はそれなりにいいのかもしれない。でも、あの2人とは違って+αのものがどこにもないし、それに努力してやっと手に入れた物も少し油断するとすぐに離れていく。




「とりあえず青色のグラデはこんな風に作るの。上手くなったら自分でも色々工夫できるから、やってみて」

つい、ぼーっと、いやぐるぐるとネガティブに考えていた。頭の中が暗い。

「おお、ありがとう」

「じゃあ、私たちは帰るから、じゃあね」

部屋から出て行く2人を目で追う。いつかはあの2人に努力で追いつけるように、と。

二人の描いた絵を見た。真瀬は風景をとことん細かく描いていた。寒色ばかりの街なのになぜか温かさを感じる。うって変わって平戸は可愛らしい少女と猫が戯れている様子をポップに描きあげていた。何故だろう、その少女の微笑みの中には少し悲しげな様子が伺える。その二枚の絵は夕焼けの差し込む教室の中で異彩を放っていた。

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男子高校生奮闘記(仮) 南山猫 @tea_hourglass

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