最終話 辿りついた幸せの未来
閑静な住宅街にその家はある。
現代的なキューブ型の造形で建築されたモノトーンカラーのスタイリッシュな二階建て一軒家。
真新しく立派なこの家が、今の俺の帰る場所だった。
(立派すぎてちょっと分不相応かもしれないけど……人数が増えた分マンションじゃちょっと手狭だったからな)
二十代の若造である俺には少々分不相応かもしれないこの家だが、購入費の大部分をポンと出してくれたのは時宗さんである。
俺は当然ながら強く遠慮したのだが、『頼む! とにかく君達の門出が私も妻も涙が止まらんほど嬉しいのだ……! 親としてどうかこれくらいはさせてくれ!』と熱望されて押し切られたのだ。
(ああ、今日も明かりが点いているな……)
かつて前世で俺を毎日迎えていたのは、安アパートの一室に広がる暗黒のみだった。それに比べると、家の窓から漏れる照明の明かりがなんと暖かいことか。
そんなことを考えながら玄関に近づくと――
「おかえりなさい、心一郎君!」
「――――」
玄関のすぐ前で、エプロン姿の彼女は待っていた。
艶やかなで長い髪、ミルクのような白い肌、宝石のように輝く瞳を持ち、誰もが振り返る美貌が家の優しい灯りに照らされる。
成長した美貌はそこらの女優なんか歯牙にもかけないほどに美しく、けれどその純粋かつ清廉な心はあの頃のままという――本当に女神と言っても過言じゃないほどの魅力に、いつだって心を奪われてしまう。
高校生だった頃と同じく……いいや、あの頃以上に眩しい笑みを浮かべて。
(ああ――)
一日外で働いてきた疲れもまだ幾分か残っていたアルコールも、その笑顔を見るだけで全部吹っ飛んだ。
俺にとって最も大切なひと。
俺が恋い焦がれて溢れ出た想いを、受け止めてくれたひと。
毎日のように見惚れている俺の奥さん――春華はそこにいた。
「ただいま春華。わざわざ迎えに出てくれたかのか?」
「はい、二階のカーテンを閉めていたらちょうどあなたが帰ってくるのが見えたので……なんだかとってもお出迎えしたくなったんです」
花咲くような笑みで『あなた』と告げてくる奥さんに、俺は毎度のことながら胸が熱くなってしまう。
春華は普段から「心一郎君」と「あなた」を使い分けているが、夫を呼び表す後者の呼称は未だに俺の胸に甘い疼きをもたらしてしまうのだ。
「そっか……ありがとうな春華」
「あ……」
いつもそうしているように、俺は春華を抱き寄せた。
頭がクラクラするようないい匂いと温かい体温を感じながら、艶めかしいばかりに柔らかい身体の感触を全身で堪能する。
「し、心一郎君……人は全然いないですけど、ここはまだ外ですよ?」
「……我慢できなかった」
「もう……そんなことを言われたら私も……」
春華は頬を染めながらも俺に身を委ね、ゆっくりと目を閉じた。
そして俺は、もう何度目かわからない口付けをする。
甘く蕩けるような感触とともに、心の全てが満たされる。
俺と春華の想いが唇を通して通じ合い、幸福でいっぱいになる。
「……ごめん、ちょっと冷静になったら俺も恥ずかしくなってきたな」
春華を腕の中から解放しつつ、俺は今更ながら羞恥で頬を染めた。
今日は時宗さんとの酒や元級友からの連絡があったせいか、どうも気分が昂ぶっていたらしい。
「ふふ、でも私としては嬉しいですよ。私の大好きな心一郎君が、こうやって気持ちをいつも形にしてくれるのが」
月明かりに照らされる中で、春華はうっすらと微笑む。
こうやって俺の奥さんは、いつも俺を喜ばせてばかりだ。
(もう、結婚してそろそろ五年も経つのに……本当に俺ってばいつまで経っても春華への熱が増える一方だな)
高校二年生から付き合いだして一緒の大学に入学して、就職と同時に結婚――その間にあった波乱を差し引いても、思い起こされれるのはただ幸せな思い出ばかりだ。
だというのに、一度その味を覚えてしまった俺は隙あればベタベタしたいという欲求に支配されてしまう。
「おかえりなしゃああああああああああああい!」
「おわっ!?」
不意に、一つの影が弾丸のように走ってきて俺の足に強烈なタックルを見舞った。
驚いて自分の足元を見ると……そこには小さな天使がいた。
「おとーさん! いつもおつかれさまですー!」
俺に足にしがみつくようにして満面の笑みを浮かべるのは、俺と春華の娘である3歳の女の子――咲良だった。
さらさらとした艶やかな髪を少し伸ばしており、母親ゆずりの美貌と屈託のない笑顔は誰であろうと心を蕩かされずにはいられない。
俺にとって、この世で最も大切なものが優劣を付けられずに二つ存在しているが、その一つがこの世界一可愛い俺の娘である。
「ああ、ただいま咲良。今日は何をしていたんだ?」
「えーとですね、おえかきとおひるねです!」
全ての疲れが吹っ飛ぶような愛らしい声に、なんとも相好が崩れる。
親馬鹿目線を差し引いても愛らしさが人間の限界を超えており、時宗さんと秋子さんなんてこの孫と会うときは人語を失うほどに可愛がっている。
「それで、おとーさんとおかーさんはまたチューしてたんですか?」
「さ、咲良……そ、そういうことはあんまりお外で言わないでください……」
夫婦の愛情表現が娘に目撃されていたという事実に、俺と春華はみるみる顔を赤くしてしまう。
つい先日まで赤ん坊だったのに、もうこういうことを言い出すんだもんな……。
「そうなんですか? でも、さくらはおとーさんとおかーさんがチューしているのも、さくらがチューされるのも、とってもすきですよ?」
「もう……でも、そうですね。お母さんも、咲良にチューするの好きですよ」
言って、春華は膝を折って娘と目線を合わせると、その頬に優しく口づけをする。
すると、咲良はとても幸せそうに目を細めた。
(…………ああ)
愛する二人を眺めていると、俺の中が何もかもが完全に満たされていくのがわかった。
そうならなかった虚無と絶望を知っているからこそ、この光景に世界中の財よりもなお価値があるのだと深く実感できる。
胸が溢れそうなくらいにいっぱいになって、目頭が熱くなるほどに感極まってしまう。
(――辿り着いたんだな。俺が願った未来に)
ふと自分の長い足跡を思い浮かべた。
始まりは、失敗に塗れた人生への後悔だった。
ただ涙と血反吐だけを流し続ける運命しか選べなかった自分が、あまりにも惨めだった。
次に、後悔を燃料に、願いを道にして走り始めた。
自分が本当に欲しいものを手に入れるために、戦うことを恐れずに全身全霊で駆け抜けた。
そうして、俺は今此処にいる。
願い、祈り、焦がれ、狂おしく辿り着きたかった地平へと。
「それじゃ、もうお家に入りましょうか。ふふ、今日は咲良の好きなハンバーグですよ。おまけに目玉焼きも付けちゃいます!」
「ほんとですか!? わ、わああああ! いそいでおててあらわないと!」
春華が慈愛に満ちた表情で告げると、咲良は目をキラキラと輝かせて玄関へとダッシュして、慌ただしく家の中へと入っていった。
そんな愛らしい娘の姿に、俺たちの頬が大きく緩む。
「それじゃ、俺たちもさっさと入るか。……ああ、春華」
「はい?」
それはもう何度も口にした言葉であり、俺自身口にする頻度が多いという自覚はある。
それでも、胸の内で気持ちが溢れたら告げずにはいられない言葉だった。
「愛してる」
「……っ!」
つい先ほど抱き合って口付けまでしたのに、春華は俺の気持ちを聞くたびにこうして顔を赤らめてくれる。
その学生時代から変わらない反応が、たまらなく愛おしい。
「はい……私も同じ気持ちです」
頬を薄桃色に染めた春華は、想いを込めて言葉を紡ぐ。
「私も愛しています――心一郎君」
春華は夜闇の中で大輪の花のような晴れやかな笑みを浮かべた。
そこには陰りは一欠片もなく、ただ溢れんばかりの幸せだけがある。
そうして、俺たちは手を取り合って暖かい光が漏れる我が家へと足を向けた
胸には走り続けた自分へのささやかな誇りが。
未来には眩しいほどに輝く道行きが。
隣には想いを通じ合わせた人と、小さな幸せな結晶がいてくれる。
辿り着いた奇跡の幸せを噛みしめながら――
俺たちは、この勝ち取った未来の先へと歩んでいく。
(陰キャだった俺の青春リベンジ 天使すぎるあの娘と歩むReライフ -完-)
皆様への感謝とあとがき
https://kakuyomu.jp/users/keinoYuzi/news/16817330665962904146
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