第170話 エピローグⅡ 色鮮やかな世界


(まったくとんでもない話を聞かされたな……)


 夕方を過ぎてすっかり夜闇が広がった時刻。

 自宅へ向かう電車の座席で、俺はつい一時間ほど前に時宗さんが口にしたとんでもない発言を思い返していた。


(まったく、社会人経験が人より十数年程度多いだけの俺なんかが大企業の社長なんて務まる訳ないっての。まあ、結局十年近く先の話らしいし、その時には時宗さんも冷静になってもっと優秀な人を選ぶだろうけどさ)


 まあそれはそれとして、前世と違って大規模な企画などの仕事に携われているのはなかなかに面白い。『やりがいのある仕事』なんてブラックの常套句だが、まさか本当に仕事にやりがいを感じる日が来るとは思わなかった。


 社内での特別視を防ぐために旧姓を名乗っているおかげか、職場での人間関係も良好だ。前世とは比べものにならないほどに、人間らしい穏やかかつやりがいのある日々を送れていると言っていいだろう。


(……ん? ああ、香奈子がまた新しい動画を出したのか)

 

 スマホに表示されたメッセージをタップすると、某有名動画配信サイトへのリンクが開く。


 その先には『KANAチャンネル☆』という何のひねりもないチャンネル名が表示されて、さらにすっかり美女に成長した俺の妹の香奈子が一切素顔を隠すことなく堂々とした笑顔でサムネイルに映っていた。


 その度胸に今更ながら感心しつつ、俺はカバンから取り出したワイヤレスイヤホンを耳に着けて再生アイコンをタップする。


『はい、どーも! KANAでーす! 迷える少年少女たち見てるー!? さてそれじゃ、今日も恋愛相談をガンガン受け付けていくよ!』


 香奈子は現在アパレル会社のOLをやっているが、同時に動画配信者もこなしている。そのジャンルは――香奈子が得意中の得意(自己申告)とする恋愛相談。


 モテないけどどうしたらいいかとか、意中の人が別の女の子が好きで辛いとかリスナーからの真剣な悩みに答えていく形式だ。


 服や髪型の実践的なチョイス方法を伝授し、踏ん切りがつかない心を熱烈に後押しして、本当に悩みが深刻な場合は動画外でも直接連絡をとって話し合う――そんな熱意に溢れたスタイルで一気に人気に火が着き、今やそこそこの有名人である。


 なお、俺のことは配信中に『ウチの兄貴は~』と凡人が努力で貴族的な女性を射止めた例としてたびたび語られており……その際に香奈子が妙に饒舌になるためファンからは『KANAさんはブラコン』といじられてしまい、パソコンに向かってやたらと憤慨していたこともあった。


(……まったく、楽しそうな顔しやがって)


 動画内で元気いっぱいな笑顔を見せる妹の顔を眺め、俺は微かに口の端を広げた。


 一周目世界と違い、十代で関係を回復した俺たちは大人になって今も円満な関係を保っており、会えば学生の頃と変わらないノリで談笑できる。

 その事実が……俺にとって涙がでるほどに嬉しい。

 

(やっぱり、母さんが元気にしてくれているのが大きいよな……)


 新浜家にとって一周目世界との最も大きな違いは、本来ならすでに亡くなっている母さんが現在もすこぶる元気だということだ。


 ストレスを溜めて病気になるどころか、未だに仕事を現役でバリバリとこなして友達と旅行にいったり趣味に邁進したりと笑顔が絶えない。


 果ては『あんたたちも完全に自立したし、私も婚活でもしてみようかしら……? いえね、心一郎を見ていたらもう一度そういうのもいいかなーって』とまで言い出すほどだ。


 一周目世界における俺の最も重い罪こそが母さんの死だが……その本人が実家に戻るたびに元気いっぱいに自分の新しい人生を邁進しているのを見ると、いつも涙腺が緩んでしまう。


「ん……?」


 家族二人が笑顔でいてくれている幸福を噛みしめていると、グループチャットに新しいメッセージが投稿されたとスマホが表示した。 

 

『幸せ絶頂男の新浜君へ。いくら日々が砂糖漬けだろうと同窓会のことは忘れないでくださいね? こっちは懐かしいメンバーが揃うのを超楽しみにしていますから』


 その特徴的なメッセージを送ってきたのは、我が道を生きるメガネ女子の風見原美月からだった。


 高校卒業後は大学に行っていたらしいが、なんと在学中にラノベの賞を受賞して作家デビューした。現在ではすでに人気作家となっているのだから、その才能には驚嘆するしかない。


(ただまあ、そのデビュー作ってのがな……陰キャだった凡人高校生が気合いと努力で才色兼備なお嬢様を射止める話ってさぁ……)


 発売当時に俺が『おいこれ……モデル……』とジト目で苦言を呈したが、あいつは『…………この物語はフィクションです。実在の人物や団体とは一切関係がありません』などと目を逸らしながらすっとぼけやがった。


 まったく、いくつになってもマイペース極まる奴である。


『同窓会楽しみだね! いやー、あの頃は海とか行ってホント青春だったよ! 積もった話をいっぱい話そうねー!』


 続いてグループチャットに送信されたメッセージは、元気女子の筆橋舞のものだった。


 ジムでのスポーツインストラクターという仕事はあいつにとっては天職だったようで、充実した毎日を送れているらしい。


 大人になった今でも良い意味で高校生らしい明るさとフレッシュさを持ち合わせており、同僚やお客からは大変好かれているようだ。


 ただまあ……見込みがある相手に対しては指導方法がややスポ根のノリが強くなるようで、ジムの生徒からは『スパルタ先生』などと不名誉なあだ名がつけられてしまうこともあるようだが。


『ちょっと忙しいけど俺も出るぜ! 高校生の同窓会がこんなに楽しみになるなんてめっちゃ予想外だけどなー』


 筆橋に続いてメッセージを送ってきたのは、俺の高校時代で最も仲が良かった男友達である山平銀次からだった。


(銀次の奴は一周目世界とかなり変わったよな……)


 一周目世界において銀次の奴はあまりよくない会社に入って(俺のクソ会社よりはちょっとだけマシだったが)俺と同じく人生の失敗を嘆く毎日を送っていた。


 それを知る俺は、あいつがもう少しマシな道を選べるようにアドバイスできないかと色々考えていたのだが――


 その本人は、高二の冬ごろに唐突にとある宣言をしてきたのだ。


『新浜……俺、ちょっと感動したよ。オドオドした陰気でオタクなお前でも、努力次第であんなお姫様みたいな娘をゲットできるってのを証明してみせてくれたんだからな。おかげで、俺の人生観はちょっと変わったぜ』


 褒めてるのか貶しているのかよくわからんことを言い出した銀次は、神妙な顔でさらに続けた。


『なんとなくだけど、このままじゃ俺の人生って下の中くらいの会社に入って恋人もいないまま淡々とした人生で終わりそうな気がするんだよ。だから、お前を見習ってちょっとレベルを上げなきゃって思い始めたんだ』


 その言葉に嘘はなく、あいつは勉強に精を出し初めて第一志望の大学に合格した。のみならず、IT関連の勉強を積み重ねてプログラマーとなり、今は昔から憧れだったという大手のゲーム会社で働いている。


 俺が何か直接干渉した訳でもないのに、自分の運命をセルフで改変してしまったそのパワーには驚嘆するしかない。

 あいつの方が俺よりもよっぽど人間としての底力が凄いのでは……?


(しかしまあ……本当に身に染みるな)


 大切な家族が、かつての級友たちが円満に暮らしている未来。

 近しい人たちが健やかに生きているその事実だけで、胸がいっぱいになる。


 本来有り得なかったこの状況が奇跡すぎて、あまりにも眩しく、あまりにも尊い。


(まあ、でも……)


 ゴトゴトと揺れる電車の中で、俺はスマホをポケットにしまいつつ苦笑する。


(俺の現状こそが、一番の奇跡だろうけどさ――)

 

 前世で帰りの電車に乗っていた時は、降りるべき駅に永久に着かなければいいと思っていた。

 何故なら、駅に降りて家に帰らなければ時間は進まない。

 苦痛に彩られた朝なんてやってこなければいいと、生気が枯れた頭で自分のルーティンを呪っていた。


 だけど今は、一刻も早く家に帰りたい。

 俺にとって最も大切な幸せが、そこにあるから。

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