第169話 エピローグⅠ 社畜と社長

 

 未来は無限の可能性。


 使い古された言葉だが確かに間違いではない。

 少なくとも今のこの状況は、人生やり直しを開始したばかりの頃は想像だにしていなかった。


(……マジでわからないもんだな未来ってのは)


 上から下までそれなりのスーツで身を固めた俺――新浜心一郎は、感慨深い想いを抱いて琥珀色の液体が入ったグラスを傾けた。


 今俺がいるのは、一等地にそびえ立つ千秋楽書店本社ビルの最上階に設置されているラウンジだった。


 広々としたその部屋からは夜闇に輝く夜景が一望でき、室内のインテリアも高級ホテルのラウンジのようでかなりセレブ感があるが、民間の店ではなく会社が福利厚生のために作った部屋だ。

 

 勤務時間外であれば社員の誰でも飲み会やランチミーティングに利用できる人気のスペースだが、本日は貸し切りである。


……ちょっと飲み過ぎでは? また秋子さんに怒られちゃいますよ?」


「ははは、固いことを言うな! またしても新しい事業が当たって業績は過去最高なんだぞ! 商売人としては少しは浮かれたくもなる!」


 俺の隣に座る我が社の社長――紫条院時宗さんはウィスキーを傾けて上機嫌に笑った。

 初めて会った時からもう十年経つが、ずっと第一線で活躍しているせいか奥さんの秋子さんともどもまったく老ける気配がない。


(まさかこの人とこうして頻繁に酒を酌み交わすことになろうとはなぁ)


 高校卒業後――俺は志望した大学へ特に危なげなく合格し、卒業後すぐに千秋楽書店へと入社した。


 面接後に採用通知が届いた時は、高校時代に時宗さん本人からもらった採用チケットが効いたのだと俺は狂喜乱舞したが……後に聞いたところによると、社長自らが便宜を図る必要もなく人事部は普通に採用の判断を下したらしい。

 

 そうして俺は二周目人生での大目標だったホワイト企業就職を果たし、もう五年が経った。幸いにも仕事は順調で、人が人として扱われる真っ当な企業のありがたみを日々噛みしめているのだが――


「しかし、俺みたいな平社員をたびたび社長室に呼ぶのはやめてくださいよ社長……。周囲からはお前は何者なんだよみたいな目で見られまくっているんですから」


「ふん、何が平社員だ。自分の価値がまだわかってないのか? 高校生の時に君が述べていたアイデアは現在の千秋楽書店を支える大きな助けとなったし、入社してからも経済や時流に関するいくつもの予言を的中させて我が社に多大な利益をもたらしているだろうが。その慧眼ぶりを見せつけられては、私としてもことあるごとに意見を聞きたくもなるさ」


「いや、それは……」


 自業自得と言われたら、確かにそれはその通りだった。


 思い起こすこと十年前、高校時代のバイト中に時宗さんから戯れに経営戦略を尋ねられた時、俺はつい未来で得た知識を披露してしまった。


 時宗さんはそれを一笑に付すことなく真剣に受け止め、自社の改革に組み込むことまでしたのだが……結果としてそれは大当たりした。


 紫条院グループと共同で立ち上げたネットスーパー『SENSYU』は今や日本最大手になっているし、全国の千秋楽書店の店舗もブックカフェやサロン併設型書店などの新しい形に生まれ変わって堅調な売上げを見せている。


 その後も様々な事業が当たって千秋楽書店やその他の紫条院グループはこの不況の時代において絶好調であり、メディアはその先導役となった時宗さんを『不況の波を切り拓く経済界の雄!』『未来を見通す先見の明!』とベタ褒めだ。


「世間では何もかも私の手柄のように言っているが、君が入社してから提示してきたアイデアや予言の恩恵も極めて大きい。次はこれがブームになるとかあそこの会社は潰れるとか、百発百中の予言で我が社の舵取りを導いたろう。本来ならその功績に見合うようにガンガン出世させたいところだが……まあそれはもう少し社内で実績を作ってもらってからとしよう」


「いやだから、何度も言っているように俺に先見の明とかないんですってば! 今までのは本当にたまたまで、確実にあと数年で何も読めなくなりますから!」


 言うまでもなく、俺は慧眼なんて持っていない。未来知識というチートのおかげで予言や先取りができただけで、それも前世の享年が過ぎればお終いである。


「またよくわからんことを……仮にそうだったとしても素で優秀なんだから何も問題ないだろう。君の上司である三島君からも『昔ブックカフェでバイトしていた時も思いましたけど、すでに二十年くらい社会人をやってるみたいなベテランっぷりでちょっと引きますね……』と褒めていたぞ」


「褒めてるんですかそれ!?」


 入社と同時に再会したかつてのバイト先店長(現上司)の顔を思い浮かべて俺はツッコんだ。

 

 ちなみに会社では三島という旧姓を名乗っているが、三十路直前で部下の男性と交際して紆余曲折(周囲の人間曰く三島さんのポンコツぶりのせいでなかなか進まなかったらしい)してめでたく結婚している。


「ふ、それにしても……あの時春華が初めて家に連れてきた少年とまさかこうして酒を酌み交わすことになるとはな」


「ええ、俺も懐かしいですよ。あの大人げない圧迫面接」


「ええい、そう何度も蒸し返すな。あの時は私も興奮して頭のネジがちょっと飛んでいたんだ」


 少々酔いが回った声を交し、俺と時宗さんはかつてを懐かしんで微かに笑みを浮かべる。


「実はな……今でもふと考えてしまうんだ」


「え……?」


「春華の心が壊れてしまったあの時……君がいなかったら春華は二度と元に戻らなかったのではないかとな」 

 

 一瞬だけ酔いが醒めたかのように、時宗さんはボソリとそのあり得たかもしれない可能性を口にした。


「春華を救ってくれたのも、会社を改革するきっかけを与えてくれたのも君だった。君がいたから私を取り巻く世界はとても優しい方向に変わったのではないだろうかと、そんな考えが最近よく頭によぎる」


「時宗さん……」


「紫条院家に伝わる与太話を信じているわけではないが……君こそが間違いなく私たち一家の『救い主』だったよ。本当に……深く感謝する」


「ちょっ! 頭なんか下げないでくださいよ!」


 座したままとはいえ、身体をこちらに向けて深々と頭を垂れた社長に俺は慌ててしまった。

 そもそも俺は自分の恋心のために邁進しただけであり、こんな傑物から頭を下げられるのは恐れ多い。


「まあ、その礼も兼ねてどんどんプロジェクトを与えるからガンガン成果を重ねてくれたまえ。なんせゆくゆくは君に社長を任せる予定だからな」


「…………は? しゃちょ……え?」


 時宗さんがあまりにもさらりと口にしたその意味不明なワードに、俺はしばし思考が飛んでしまった。

 この人、今なんて言った?


「だから社長だ社長。もちろん今はまだ未熟だが、これからは私がバシバシ鍛えて経営を学ばせてやる。ああ、ちなみにゆくゆくは幹部となる三島君にはその腹心となってもらう予定だぞ」


「はあああああああ!? いや、何考えているんですか!? 俺なんかがそんなもん務まる訳ないでしょう!」


 こちとら元社畜だぞ!?

 そんな奴隷が王様になるようなサクセスストーリーは荷が重すぎますって!


「何を言うか。君は先見の明があるだけじゃなく、とにかく学びに対して貪欲で、いつも自分をより良くしようという意欲に溢れている。私の知識と経験を全てを伝授した上で優秀なサポート体制を築けば問題なくこなせると確信している」


 自分の直感を重んじる時宗さんは、さも当たり前のように言う。


「それに……世襲制というのはあまり好きではないが、『身内』が後を継ぐというのは自然かつ反発が少ない話でもあるだろう」


「いや、それはそうかもですけど……! 田舎の中小企業じゃないんですよ!?」


「まあ、最終的に任せられないと判断したら別の者に頼むさ。そう気構えずにそういう未来もあるということも頭に入れておいてくれという話だ」


 俺の慌てっぷりを肴にするかのように、時宗さんは苦笑しながらウィスキーのグラスを傾ける。


 ああもう、まったくどこまで本気か知らないけど、なんだかどっと疲れた……。

 

「まあ、ともかく来週からはみっちりと経営学の指導時間を設けるので家にはちゃんと言っておきたまえ。君を不当に拘束していると思われたら、怒りの電話を食らってしまうからな」


「どんだけやる気まんまんなんですか!? やっぱり考え直しましょうって! 俺なんか大企業を潰した無能な二代目にしかならないですからぁぁぁ!」


 俺の精一杯の抗議に、時宗さんは実に可笑しそうに笑った。

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