第168話  たとえ時を遡ろうとも――


「昼間なら綺麗に海が見えたんだろうけど……今の時間は大したもんは見えないだろうなー」


「いいんですよ。暗い時間の海もそれはそれで見てみたいですし!」


 臨海公園内にある展望台の階段を、俺達は雑談しながら上っていた。

 もう遅い時間であるせいか俺達以外に人の気配はなく、微かに遠くの方で潮騒の音がするのみだ。


「それにしても……ふふっ」


「ん? どうした?」


「あ、いえ……両親に許可は取っているんですけど、こんな夕方まで男の子と二人っきりなんて、急に自分が大人になったみたいに思えたんです」


「わかる。なんか知らない領域に来たみたいな感覚になるよな」


「そうそう! そうなんです!」


 想いが通じ合った人と一緒にいて、心の奥から幸せになる。

 確かにそれは、前世において過労死した俺と、破滅を迎えてしまった春華が知らずじまいだった領域だろう。


 けれど俺達は今――揃ってそこを歩いている。


 そんな事を考えていると、長い階段もとうとう終わって俺達は展望台の頂上まで登り切った。


 そこに広がっていた風景は――


「おぉ……」


「わぁぁ……!」


 夜闇を照らし出すように、地表に星屑のような数え切れない光が輝いていた。


 特に眩いのは彼方に見える都市部であり、今日は雲もなく空気も澄んでいるせいか、その夜景は特に鮮烈に映る。

 あまりにも煌びやかな人の営みの光が――そこにはあっった。


「凄いな……やっぱり海の方はあんまり見えないけど、夜景がこんなに綺麗に見えるのは予想外だ」


「ええ、とっても綺麗です……」


 俺達は、しばし彼方の夜景に魅入った。

 普段あの中で暮らしているはずなのに、こうやって俯瞰してみるとその輝きはあまりにも眩しい。


 不意に、冷たい風が俺達の肩を撫でた。

 海に行ったのはついこの間のような気がするのに、季節はもう移ろいつつあるらしい。


「……風も結構冷たくなってきたな。もうそろそろ冬か」


「ええ……もう、そんな季節なんですね」


 煌々と輝く夜景に目を向けたままで、春華は感慨深げに言った。


「心一郎君がとても活動的になって私と仲良くしてくれるようになったのが……七ヶ月ほど前の春でしたね」


 七ヶ月前――俺がタイムリープしてきた直後の事を口にして、春華は少し遠い彼方を見つめた。


「あの頃から私は毎日がとても濃厚で……とにかく楽しい事ばかりでした」


 思い出を噛みしめるようにして、春華は続けた。


「お祭り騒ぎだった文化祭に、必死に頑張れたテスト勉強、ウチのクラスが優勝できた球技大会。夏になってからは心一郎君のお家に泊めてもらったり、海で夢のような時間を過ごしたり、ちょっと大人になった気分でアルバイトしたり……」


 春華が指折り数える思い出は、そのどれもが俺にとっても宝石の記憶だった。

 二周目の人生は絶対に後悔しない――その誓いと共に進んだ軌跡だ。


「その思い出の全部に、心一郎君がいてくれました。私はずっと鈍感で気付いていなかったんですけど……好きな男の子が側にいてくれたから、あの日々は涙が出るくらいに楽しかったんです」


「……春華……」


 春華は俺へと振り向き、そっと微笑んだ。

 その眩しさは背にしている夜景よりもなお眩しく、どこまでも魅了される。


「今、私はとても幸せです。美月さんや舞さんと毎日他愛ない話が出来て、他のクラスの皆とも馴染めてきて、こうして心一郎君の恋人になれて……」


 今の自分が信じられないという様子で語る春華だったが、不意にその表情に陰が差した。


「でも……だからこそ怖くなる時もあるんです」


「怖くなる……?」


「ええ、こんなに楽しい青春も……いつか終わりが来てしまうから」


 春華は僅かに顔を伏せて、ポツリと心中を口にした。


「もう冬が来て、それが終わったら私達は三年生です。嫌でも色んな事を考えないといけない時期になります。それはもちろん当たり前の事なんですけど、なんだか無性に寂しくなってしまって……」


「ああ、青春っていうのは本当に……期間限定だ」


 子どもである事が許されている時間。

 大人と子どもの狭間にあるのが学生としての青春だ。そこにいつまでも留まる事は、誰にもできない。


「その……これから先、私達は……」


 そこで、春華は何事かを言い淀んだ。

 聞きたい事だけれども、望む答え以外を聞くのが怖いのだと言うように。


「いえ……心一郎これからどんな大人になりたいですか?」 


 明らかに本当に聞きたい事を隠した様子だったが……俺はさしあたりその問いについて真面目に答える。


「……そうだな、やっぱりちゃんとした大人になりたいかな。しっかりしたところに就職して、人間らしい喜びのために生きる。地味かもしれないけど、俺が欲しいものはやっぱりそれだよ」


 ちゃんとした勤め先を見つけて、人間的に健やかな日々を送れるようになる事。

 それは、俺が二周目人生をスタートするにあたって決めた大前提の一つだった。


「いいえ、地味なんかじゃありませんよ」


 多くの人にとって何の面白みも感じないであろう俺の将来設計を、春華は優しく肯定してくれた。


「他のどんな夢にも負けないキラキラとした素敵な未来です。本当に……心からそう思います」


 夜闇の中で輝く春華の笑みは、ごく純粋で素直な気持ちだけが表れていた。

 その願いが本当に綺麗なものであると、心の奥から思ってくれていた。


「ありがとな春華。でもさ、俺の願いはそれだけじゃないんだ」


「え……?」


 海風がそよぎ、俺達の肩を撫でていく。

 夜闇の中で聞こえてくるのは、彼方からの波音と小さな虫の音のみだった。


「春華の言う通り……青春はずっと続かない。楽しいからこそ時間はあっという間に過ぎて、俺達は嫌でも大人になる」


 それが寂しいのは俺も同じだ。

 この宝石のような日々を、俺にとって欠けるものがない黄金の時間が永遠に続けばいいとすら思う。


 だけど、それは叶わないし叶えちゃだめだ。

 回り道をしてもいいし休んでもいい、時にはやり直すのもいいだろう。

 けれど最終的には――どうあっても人は前へと進まなければいけない。


「これから俺達の外も内もどんどん変わっていく。けど、それは悪い事ばかりじゃない。進んで行く事で得られるものも、確かにあると思う」


 時が経つのは恐ろしい。

 未来が必ずしも輝かしいものでない事は、俺が骨身に染みて知っている。


 だからこそ俺達は、より良い未来に手を伸ばし続けないといけない。


「さっき言った通り、俺はちゃんとした道を歩いて幸せになりたい。自分の人生は間違いなく幸せなんだって、胸を張って言えるように。だから、その……」


 俺の顔を見つめて聞き入っている春華へ、俺は言い淀みながらもさらにその先の言葉を紡ぐ。

 かなり先走りすぎな話だけど、そういう気持ちだと知っていて欲しいから。


「これから青春が終わって高校を卒業して大人になって……その時でもまだ春華が俺に愛想を尽かさずに隣を歩いてくれていたら、俺がちゃんと春華を支えられる男になれていたら――」


 その先を言うために必要な勇気は、俺のこれまでの軌跡が与えてくれた。

 俺はもう、ただ悲嘆と後悔に塗れていただけの男じゃない。

 

 陰キャだった俺の青春リベンジは――単に俺の後悔を晴らすだけでなく、未来へと進むための成長の道行きでもあったのだから。


「その時は、春華の未来が欲しい。俺が望む、人生最高の幸せのために」


「――――!!」


 俺の想いそのままの言葉に、春華は口に手をを当てて驚きに目を見開いた。

 そのまま十数秒もの間、衝撃を受け止めきれないように硬直し――


「……っ……その、時は……」


 昂ぶる感情を御しきれない様子で。

 声を震わせながら、春華が口を開く。


「私を、幸せにしてくれますか……?」


 春華の頬を、一条の涙が伝う。

 その何よりも尊い雫は、月明かりを受けて輝いていた。


「ああ、約束する」


 それは俺にとって当然の誓いだった。

 俺の最も大切な女の子を幸せにする事こそが、俺自身の幸福でもあるのだから。


「俺は自分でもびっくりするくらいに、春華が大好きだから」


「しん、いちろうくん……あっ……」


 春華はさらにボロボロと涙を零し、頬を濡らしていく。

 そんな彼女があまりにも愛おしくて、その全身を包むように抱き締めた。


 春華の身体の柔らかさを全身で感じて、その甘い匂いに頭が蕩けそうになる。

 ただそれだけで気を失ってしまいそうなほどに、彼女の事が好きだった。


「すき、好きです……!」


 春華は自分の想いの丈を伝えようとするかのように、俺の背に手を回してぎゅっと力を込めた。


「私も大好きです心一郎君……! だから……!」


 お互いが求め合って、俺達は深く結ばれる。


「だから、ずっとそばに……いさせてください……!」


 そして――俺達の上気した顔はいつの間にかごく近くにあった。

 

 お互いの息がかかってしまいそうな距離で、春華は期待するようにそっと目を閉じた。

 阻むものは、もう何もない。


「ん――――」


 桜色の唇に想いを込めて口付けをする。

 想いが突き動かす熱のままに、お互いの情熱を一つに合わせるように。


 今俺が求めるもの全てが――俺と春華の交わりによって生じる温かいものが、俺の内を余すことなく満たしていた。

 

 ――――ああ、誓うよ春華。


 俺はずっと君のそばにいる。


 現実は常に薄氷で、辛い事も悲しい事も山のようにある。

 未来は往々にして希望だけでなく、絶望をも多く振り撒く。


 けどこれからどんな困難があろうとも、どんな運命が待っていても――俺はその全てを乗り越えてみせる。

 春華を想い続けて、ただひたすらに前へと歩き続ける。



 たとえ時を遡ろうとも――君を幸せにするために。




(次話:エピローグ)

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