第167話 想い寄せるほど名残惜しく
「わぁぁぁぁ……! 凄い! 凄いです! おっきい……!」
「おお……確かにこりゃ凄い……」
水族館のルートを巡ってきた俺達は、大勢のお客に交じってこの施設最大の目玉である巨大水槽を前にして圧倒されていた。
とにかくデカい。
説明のプレートを見るとどうやら小学校のプール十個以上もの容積があるらしく、シュモクザメ、エイ、ジンベイザメなども多く泳いでいる。
そのとてつもないスケールは、もはや海の断面図を見ているようだ。
「なんだか現実じゃないみたいですね……キラキラして幻想的で……」
大型の水生生物や小型の魚の群れまでが共存する巨大水槽は、確かにどこかお伽話めいているようにも見える。
照明を光量を絞った薄暗い館内で、巨大な水槽は陽光を浴びているように輝いており、水棲生物達は閉じられた一つの世界を遊泳する。
その様は、スケールの大きさも相まってあまりに神秘的だ。
(確かに現実じゃないみたいだな……春華とこうしているなんて)
今俺の隣には春華がいる。
ずっと恋い焦がれた永遠の宝石であり、自分の未来が失われようとも彼女だけは助けたいと思えた少女だ。
そんな春華が俺の想いを受け入れてくれて、俺の事を好きだと言ってくれる。
気持ちが通じ合ったあの日からどれだけ経っても、夢心地のままだ。
(本当に……春華が好きすぎるよ俺は)
この俺の重たすぎる想いこそが『運命』に選ばれた要因なのだとしたら、笑いがこみ上げてきそうになる。
だが、それでも――その想いに偽りはない。
俺は春華が、ずっとずっと大好きなのだ。
「しかしなかなか凄いもんだな……数年前にオープンしていたらしいけど、ここまで設備が充実しているとは思ってなかった」
「はい! 以前から水族館というものに一度来てみたかったんですけど……夢が叶って良かったです!」
「え……もしかして人生初の水族館なのか?」
流石にそれは驚きだった。
普通は子どもの頃に一回は来た事がありそうなもんだが……。
「ええ、お恥ずかしながら……子どもの頃こそこういった施設はたくさん行きたかったんですけど、やっぱりお父様が忙しすぎて」
その頃を思いだしているのか、一瞬遠い目をして春華は苦笑した。
「もちろんお母様や家政婦さんと一緒に行く事はできたんですけど、やっぱり子どもの私としては家族揃って行きたかったので、結局……という感じです」
「そうか……お父さんの会社にとって一番大事な時期だったろうからな……」
春華がイベントや行楽を人一倍喜ぶようになったのも、その辺が理由だろう。
まあそれにしても、あんなにもキラキラした顔で楽しめるのは春華の純粋さのおかげだと思うが。
「だから、今日は本当に楽しいですよ。行きたかったところに、好きになった人と来れて」
ごく自然にそう告げられて、俺の心臓はまたも跳ねる。
「こういう素晴らしい気持ちを……また味わいたいたいなって思いま――あ……」
春華のしなやかな指に、俺は自分の指を絡ませた。
さっきから胸の中で高まり続けている俺の胸の熱を、少しでも伝えたくて。
「なら……また行こう」
春華の指の感触を感じながら俺は告げる。
「水族館でも動物園でも遊園地でも……春華が行きたいところに」
君が行きたいと願う場所へ、どこへでも。
「俺は春華とこれから色んなところに行ってみたい。色んなものを見て、たくさんの時間を共有したい」
俺という時間を、君の時間に限りなく近しいものにして欲しい。
同じ景色を見て、共に笑い合えるように。
「どうかな。付き合ってくれるか?」
「……はいっ! 行きます行きます……!」
春華は涙に瞳を潤ませながら、気持ちがこもった声で返す。
今にも、気持ちが溢れそうな様子で。
「心一郎君と一緒に……どこにだって行きます!」
俺と手を繋ぐ恋人は、透き通る水槽の前で喜びの花が咲くような笑みを浮かべる。
これからの未来への希望に満ちた、何よりも貴い少女の心のままの笑顔が――そこにはあった。
■■■
「ふうう……かなりガッツリ楽しめたな……」
「ええ! 本当に見応えがありました! 白いクラゲがくるくる回っている水槽はずっと見てられましたし、アシカも動きが想像以上にダイナミックで……!」
「見せ方とかめっちゃ工夫してあったよな。俺的には実際のカピバラが意外とデカいのにびっくりしたよ」
「あ、私もです! ぼんやりと猫ちゃんくらいのサイズだと思っていました!」
全ての順路を制覇した水族館を出た俺達は、館外に広がる臨海公園を歩いていた。
もう冬も近い季節なだけありもう周囲は夜闇に覆われており、俺達以外に歩く人はほぼいない。
(楽しかったな……)
水族館の内容もかなり良かったが、やはりこんなにも胸がフワフワした気持ちになっているのは春華と一緒にいてくれたからだ。
ようやく理解したが、世間のカップルがやたらとデートに行きたがるのはこの気持ちのためなのだろう。一日の時間を丸ごと共有するこの幸せな気持ちは、他の何事にも代えがたい。
(ああくそ……まだ終わりたくない。まだもう少し一緒にいたい……)
もうそろそろ春華を帰すべき時間なのに、どうしても後ろ髪を引かれてしまう。
今日は朝から一緒にいたのに、俺はまだ春華という存在を摂取し足りないらしい。
「まだ夕方だけど結構暗くなったな……春華は門限は大丈夫か?」
「ええ、親にはメールしましたし、まだ少し時間はあります。その、だから……もし、心一郎君がよければですが……」
「?」
何故か春華は恥ずかしそうに顔を伏せ、もじもじと指をいじる。
一体何をそんなに言いにくそうに――。
「もう少しだけ……一緒にいてもいいですか……?」
「……っ」
子どもが親におねだりをするかのように、春華はあまりにも可愛すぎる上目遣いでそう口にした。
「今日はこれだけ一緒にいたのに……もう少しだけ心一郎君と一緒にいたいって……そう思ってしまっているんです」
思慕の情が滲むように、春華は頬を染めながら心中を吐露する。
そのあまりのいじらしさはまさに反則級であり、一瞬意識が飛びそうになる。
「その、実は俺も……」
春華に先に言わせてしまった事を反省しながら、俺もまた心中を口にする。
「俺も……同じ気持ちだった。春華ともう少しだけ一緒にいたい。今日をまだ終わらせたくないって……そう思ってた」
「心一郎君……」
思いが同じだと知り、春華は嬉しそうに笑みを浮かべた。
夜闇の中にあってなお、その笑顔はとてつもなく眩しい。
「そ、その……そうだな。向こうに展望台があるから、そこまで行ってみるか?」
「は、はい! もちろん行きます!」
もうデートも終盤だというのに、俺達はまだ揃ってドギマギしていた。
ああ、俺達は本当にまだビギナーだ。
相手の一挙手一投足に反応してしまうし、ささいな事でつい照れてしまう。
「…………」
「あ……」
俺は少しだけ逡巡しつつも、隣を歩く春華へそっと腕を出した。
春華は一瞬目を瞬かせていたが……すぐにその意味に気付いたようで頬を赤らめつつおずおずと俺の腕に自分に腕を回してくれた。
腕を組んで歩くと、さっきまでよりもさらに胸がドキドキした。
触れ合っている面積が大きい分、体温のみならず春華の身体柔らかさまでしっかり伝わってくる。
そして俺達は、長湯してしまったような顔のまま腕を組んで歩き始める。
今日という日に、もう少しだけ一緒にいたくて。
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