第163話 私の大好きな人なんです!
ダァンッッ!!と耳をつんざくような音が食堂に鳴り響き、騒がしくザワついていた食堂が一気に静まりかえる。
そして、その場にいる誰もが注目する。
今しがた両手でテーブルを力いっぱい叩いた、紫条院春華という少女に。
「黙って聞いていれば……! どこまで失礼なんですか貴方達は!? 訳がわからない事を言うのもいい加減にしてください!」
驚愕に固まった大勢の視線が集中しているにも関わらず、春華は躊躇いなく声を張り上げた。
「心一郎君は冴えないどころか最高にカッコイイんです! どんな事で凄く頑張ってなしとげて、障害があっても全然あきらめません! それでいてとても優しくて、こんな私の事を数え切れないほどに助けてくれました!」
ほわほわの天然美少女として認知されている春華が見せる怒りはまるで予想外だったのか、五人組はただ目を白黒させて固まっていた。
「心一郎君の素晴らしい点ならいくらでも言えます! とっても頭が良くて、勉強を教えるのが上手くて、バイトの仕事でも大人顔負けの能力があって、照れたり笑ったりするお顔の全てが可愛くてホッとして、困っている私を助けてくれる時の頼もしさには思わずポーッとなっちゃいます!」
あらゆる角度から褒められる俺は、大勢の視線を感じて顔から火が出そうな程に恥ずかしかったが……それでもなお、春華がそう言ってくれるのは俺にとって望外の喜びだった。
「貴方たちなんか比べものにならないくらいに素敵で――私の大好きな人なんです!」
胸に手を当てて春華は、なんの躊躇いもなく堂々と言い切り――その強烈すぎる感情の暴露は、食堂中の人間全員の目を見開かせる程だった。
(……春華……)
そして俺もまた、その純粋に告げられた言葉に脳が甘く痺れていた。
大好きな人から大好きと言ってもらう。
それは、世界で最も幸せな事なのかもしれない。
「もういいだろ、お前ら」
春華の勢いに飲まれて固まった五人組どもに、俺はゆっくりと語りかけた。
「納得できないかもしれないけど、俺は本気で春華と付き合っている。まだ文句があるなら、俺が聞く」
春華の前に立ちはだかって睨みを利かせる俺に、五人組の表情がひきつる。
なにせ、これまでのやりとりによりこの食堂は完全に春華に持って行かれている。特に女子達は臆さずに自分の恋を語る春華に完全に味方しており、そもそも物言いが失礼すぎた五人組に向けられる視線は極めて冷たい。
「ちっ……くそ!」
自分達の不利を悟ったのか、五人組はそそくさと逃げ出す。
そうして、やっと難癖タイムは終わったのだが……
「おわっ!?」
次に起こったのは、食堂内の生徒達からの盛大な拍手だった。
「やるじゃん紫条院さん!」「めっちゃスカッとした!」「うぁぁ……ちくしょう! そんなにそいつが好きかよぉぉぉ!」「恥ずかしいなぁ、もぉー……」「くそ羨ましい……! あのイメチェン野郎め!」「うぅ、私もそこまで言える彼氏欲しいぃぃぃ!」
まるでそういうエンターテイメントを楽しんだかのように、多くの女子は興奮したりニマニマしたりしながらも手を打ち鳴らし、少なくない男子も同調していた。
……男子からは怨嗟の声も多いが、まあそこはご愛敬だ。
「あ……えと……わ、私……感情に任せて凄い事を叫んで……」
万雷の拍手の中心にいる春華は、自分が何を叫んだかを冷えた頭で冷静に理解できたようで、今になって顔を火照らせていた。
「す、すみません……内緒にしておくどころか完全に暴露しちゃいました……」
「いやいや、そもそもかなりバレてたみたいだし全然構わないって」
申し訳なさそうな春華の頭を撫で、絹糸のような髪の感触を堪能しながら俺は言った。
そしてここからは……周囲に連中に聞かれないように春華に一歩近づき、俺は囁くような小声で語った。
「それより……嬉しかったよ」
「え――」
「あんなにも怒ってくれて、あんなにも強い言葉で俺を肯定してくれたのが……頭の奥が痺れるくらいに嬉しかった」
「い、いえ、そんな……ただ思ってる事を言っただけで……」
それが『思っている事』だからこそ嬉しいだと俺は胸中で呟き、少女への愛しさのままにさらに頭を撫でる。
「春華が本気でそう思ってくれている事がわかるからこそ、俺は嬉しかったんだ。だから――ありがとう」
「心一郎君……」
俺がそう言ったのがそんなに嬉しかったのか、春華はぱあっと花が咲くような笑顔を見せる。
気持ちが通じ合っている事を確かめ合うのがとても心地良くて、俺と春華はしばしぼんやりとお互いの顔を見つめ合い――
「二人ともさぁ……そろそろ周囲も見回した方がいいんじゃないの~?」
からかうような筆橋の言葉に我に返ると……いつの間にか拍手は止んでおり、かわりに興味津々な視線が俺達に集中していた。
見れば、級友三人もニマニマ顔で俺達を眺めており、今自分達が恥ずかしさの上に恥ずかしさを重ねていたのだとようやく悟る。
「その……お互いに浮かれて油断しがちだから、もうちょっと気を付けた方がいいかもな……」
「そ、そうですね……」
さっきから何度赤くなったかわからない顔をまたも朱に染めて、俺と春華は注目から逃れるために着席し、未だに止まぬニマニマ視線に耐えた。
なおこの出来事により、俺達の交際はあっという間に学校中に知られる事となり……しばらくは俺も春華も廊下を歩くだけで注目されっぱなしの日々を送る事となったのである。
■■■
「なんかもう、すっかり有名人になってしまった感があるな俺……」
「ええ、なんともくすぐったいですけど……未だに学校中の話題みたいですね……」
放課後の図書室。
極めて久しぶりに二人っきりで図書委員の当番を担っている俺達は、静かな室内でここ数日の騒動を思い出していた。
あの食堂事件の後――どうやら情報はいち早く伝わっていたようで、教室に戻った俺達はクラスメイト達から取り囲まれた。
『やっぱりか! 朝からもうこれ決定だろと思ったんだよ!』
『おめでとー新浜君! 押せ押せなスタイルが実ったじゃん!』
『今までヤキモキしてたから、これでちょっとすっきりするねー』
そんなふうに祝福してくれるのはありがたかったのだが――俺はふと違和感を持った。皆の物言いは、まるで俺が春華が好きな事が以前からバレバレだったようにしか聞こえないからだ。
その疑問を呈してみると――
『ぎゃはははは! なんだお前、あれで隠してるつもりだったのかよ!』
などと、文化祭で俺を困らせたアホの赤崎には爆笑され、
『え、いや……皆気遣って黙っていただけで、逆にあの親密さで付き合っていない事の方が不思議でならなかったな……』
イケメン野球部の塚本にはちょっと呆れ顔で言われてしまい、他のクラスメイトもそれに深く頷いていた。
「でもま、思ったより平和に認知されて良かったよ。正直、あの五人組みたいなのはもっと大量に来ると思っていたし、御剣の馬鹿野郎が復活してまた突っかかってくるかもとも思ってたからな」
「ああ、あの失礼で無神経な人ですか……大丈夫ですよ、その時は私が絶対に追い払いますから。正直、もう視界に入れたくもないですけど」
「お、おう……」
その名前が出た途端に、春華はハイライトが消えた闇落ちヒロインみたいな顔になって、北極の氷河よりもなお冷たい声でバッサリと言った。
こ、怖え……やっぱりあいつだけは本当に嫌いなんだな……。
「あー、ところで春華……その、身体の調子はどうだ?」
「はい、最初の数日はやっぱりまだ本調子じゃなかったんですけど……今ではもうすっかり元気です! 遅れている勉強は大変ですけど、元気はいっぱいですよ!」
活力の溢れる笑顔で応えてくれた春華に、俺はほっとした。
なにせ未来記憶の接続なんて、人類にとっては未知すぎる現象だ。何か後遺症が残るのではないかと密かに心配していたのだ。
「そ、そっか。なら、その……ちょっと提案があるんだけど」
「はい! 心一郎君の提案ならなんでも受け入れますから、どんな事でも言ってみてください!」
天真爛漫な少女は、またしてもそんな無防備な事を言って俺の心を惑わせる。
あまりにも愛らしくついついてポーッとなりそうだったが……自分の心に渇を入れて俺はそれを口にした。
「今度の土曜……一緒に出かけないか?」
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